軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

東奔西走!

18日に千葉県印西市まで出かけ、海自先輩と司会者の3人で≪我国を取り巻く安全保障環境≫に関するシンポジウムに参加してきた。都心から電車を乗り継いで1時間半、利根川河畔の田舎町だったが、市民会館には140名もの聴衆が集まり、終始熱心に聞いてくれた。
3連休で敬老の日前、田舎では農作業もこれ有りなかなか集まらないだろう…と思っていたが、椅子が足りなくなる状態で、主催者の県会議員、市会議員はホットしたようであった。
月初めにも同じ千葉県の養老の滝の旅館で、午前一時半まで討論会をし、翌朝は露天風呂で続きをやった事を書いたが、多くの「市民」は情報、特に安全保障関連について知りたがっている事を痛感した。
今回も、些か専門的な内容になったので少々気になったのだが、夕食会で≪このような情報に飢えていた≫と言われる方が多かった。中にはシナ戦線で戦った御老人もいて「すっかり百姓が身についたが、久しぶりに懐かしい軍事の話しを聞いた」と喜んで下さった。ここでもやはり新聞やテレビの情報に、かなりの疑いを持っている方々が多く、衆院選での予想など、信用できない、という会話が多かった。
印西市は、いわば新興の「ベッドタウン」で、北部の保守的な「旧町村部」と、南部の革新的?な「新興都市部」との調和に、地元議員がいかに苦労しているかを知ることが出来た。新興都市部分の住民は、いわば≪よそ者≫であり、都心で働いて「ベット」に戻ってくるだけの存在なのである。地元の発展にいかに関心を持たせるか?市長や議員達にとっては頭痛の種だろうが、地方選挙では、新興都市部の住民は大事な≪一票≫なのである。どちらも軽視できないしバランスを取らねばならない!
夕食後は、新興都市部の駅前のホテルに荷物を置き、市街地の真中?に有る≪温泉≫で裸で語り合った。1700メートル掘って建設した≪本物の温泉≫であり、市民の憩いの場でも有る。時はお彼岸、中秋の名月を戴きながら、露天風呂を満喫したが、家族づれで11時過ぎまで賑わっていた。

  • 19日は今度は西東京京王多摩センターで≪教育≫について講義をする事になっていたので、私一人で8時前にホテルを出た。ホテルの隣のビルの前に、若者達の行列が出来ていて50人以上もの男女が地面に座って何かをじっと待っている。催し物のチケットを入手する為の若者達の行列だろう?と思ってビルの中を見ると、なんとそこは「パチンコ屋(スロットましん屋?)」であった。人生の、一番充実した時期を、こんな新興タウンのど真ん中の「パチンコ屋」で過ごす青年たちを見て、折角好印象を持った「印西市」の印象が些か薄れてしまった。

少子高齢化学力低下…と言われて久しい。日本の未来を担う青年達の行動が気になる今日この頃だが、晴れ渡った秋の青空のもと、喧騒な屋内でパチンコ遊戯に青春を「捧げる?青年達」の姿に、俺はなんの為に「国防講演会にこんな田舎(失礼)にまで汗を流して走り回っているのか!」と力が抜けかかった。8時14分発の電車で「千葉ニュータウン中央駅」を発ったが、地下鉄などを乗り継ぎ、2時間かけて京王多摩センターに着いた。

  • 前に書いたことがあるかと思うが、ここには整体の名医師、Y博士が治療院を開いている。空中格闘戦のやり過ぎで、「椎間板ヘルニア」という≪名誉の負傷≫をしている私は、現役時代に良く「ぎっくり腰」になって部下達を心配させたものである。迎えの車に乗るのが一苦労!乗った後が又苦痛!靴下も履けず「素足」のまま短靴を履き、玄関前で迎えてくれる当直幹部から「服務中異常なし!」と報告を受けた直後、コッソリ小声で「司令官、靴下を忘れておられます!」と助言される有様。そこでポケットから靴下をちょっと出して見せると当直幹部は「ぽかん?」とした顔をしたものである。北は三沢から、南は沖縄まで、カイロプラックテック、整体、鍼灸師など、ありとあらゆる治療体験があるが、効果的な治療は殆どなかった。勿論現代医学では痛み止め注射だけだから、完治することは殆どない。ところが「退官後」、人づてにY博士を知って以降、不思議な事に「ぎっくり腰」になったことがない。勿論、1ヶ月か2ヶ月間隔で「予防整備」に行くことにしているからかもしれないが、現役時代にY博士を知っていたら…と悔やまれたものである。

今日はそのお弟子さん方に≪操縦教育≫の体験談をして欲しい、という依頼があったので、千葉から駆け付けたのである。
お弟子さんは約30人、若い男女を中心に壮年、初老と幅があったが、皆さん「解剖学」や、「人体構造学」など、整体師資格受験の為に必要な座学教育を受けているのだが、現代教育の「成果?」なのか、些か若者の授業態度に「真剣さ」が欠ける?と博士は感じたのだろう。
そこで「念願のパイロットになるために、青春時代の一番大切な時期を、飲む、打つ、買う?を控えて、是が非でもウイングマークをゲットするのだ!」という経験をしてきた私の≪パイロット教育体験談≫を約1時間半、お話したのだが、「生命の危険にさらされる経験」など殆どなく、常に「過保護な中に育った現代若者達」に理解してもらえたかどうか…。要は、パイロットは、一度車輪を上げて離陸してしまえば、どんなに腹が痛くなっても、目が見えなくなっても、操縦桿を手放せない。「助けてください!」と叫んでも、首相も防衛庁長官も、司令官も、助けに来てはくれない。一度上げた車輪を自ら下げて、滑走路に接地し、駐機場に戻ってエンジンを切らない限り助からない。つまり全ては「自己責任」なのだ!ウイングマークが取れなければ(パイロットになれなければ)それは自己の努力不足、誰の責任でもない、いわば「自業自得」なのだ、ということが言いたかったのである。
自分の人生を全て「他人様」に預けて、目的が達成されないと、自分の努力不足は棚に上げて、先生を非難する。そんな理不尽は≪パイロット教育には通用しない≫。
危険な状況に陥った時に他人様は絶対に頼りにならないこと、最後の最後には自分の腕しか信用できない事、強靭な意思力こそが生き残る為の必須条件である事、甘えは死につながること等を自分の体験からお話し、少しでも役立てて欲しいと思ったのだが、若い現代女性達にとっては理解が困難だったかもしれない。多忙だったが、色々な方々にお会いし、良い勉強をさせてもらった2日間だった。