軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

自衛隊のイラク復興活動が報道されなかった事情

 私のところには多くの情報誌が届く。中でも市販されていそうにない、個人的資料や、戦友会等の記録は実に得がたい情報を含んでいるときがあるが、今日は自費購入誌である「THEMIS・10月号」から、表記の話題を書いておきたい。
 今月号には、「ロシアに屈した外務官僚の『怠慢』を斬る(佐藤優)」「日経新聞富田メモ』と中国の因縁を解く」「共同通信平壌支局』は金正日延命装置だ」「文革礼賛を取り消さない朝日新聞の恥知らず報道(高山正之)」など、読み応えのある記事が目白押しだが、表記の記事には愕然とした。
「今年7月まで2年半に及んだ自衛隊イラク派遣は、国際貢献を目指す日本にとって『大きな第一歩』だった。実際に世界各国から日本の復興支援活動を評価する声が高まっているのに、その内容が日本国民に今一つ伝わっていない」。
 自衛隊自身は、イラク派遣で多くのことを学んだし『自信を持った』。例えば最後の第10次派遣群長を務めた山中1佐は、「もともとイラクの人たちは日本人を尊敬していた。あの米国に負けはしたが、日本は一国で立ち向かった。国を守る気概のない国というのは軽蔑される。焼け野が原の中から経済復興を遂げ、世界第2位の経済大国になったということに関して、彼らは非常に尊敬の念を持っていた。また、サマワ総合病院は日本の商社が作った病院だということも良く知っていた。そのときにたくさんの日本人技術者や医者が関わったのだろう。彼らの勤勉さや技術の高さを良く知っていて、日本人を尊敬していた。そういう場所で我々が活動できたのが、安全に帰ってこれた原因だと思っている」と胸を張って答えている。
 陸自だけではなく、海自も空自も現在も活動中なのだが、「日本の新聞は彼らの活動をまるで報じていないが、今後は自衛隊の広報活動に関する課題も大きい」と書いた。
 ところが、取材する側の立場から、読売新聞政治部の飯塚恵子記者が「なぜ、日本の報道機関はイラクの状況と自衛隊の実態を伝えられなかったのか」について、「04年4月から日本の主要メディアはイラク南部から一斉に消えてしまった。それ以来、2年半の間全く取材しないまま、自衛隊は帰ってきた。私はロンドン支局にいたこともあって、英軍に従軍を申し出てイラク南部を取材したが、日本政府は陸自の取材を認めなかった」というのである。「テーミス」誌はこう補足する。
「日本のメディアは04年4月以降、外務省に『速やかな退却』を求められ、イラク自衛隊の取材は一切出来なくなった。05年4月には防衛記者会のサマワ合同取材が計画されたが、これも直前になって首相官邸の横ヤリが入り中止になった経緯がある。確かに政府には完全な『安全確保』という発想があった。飯塚記者は05年3月、英軍の協力を得て南部の多国籍軍を統括する英軍に同行、サマワのあるムサンナ県から撤収されるオランダ軍への治安権限委譲式典を取材している。このときも飯塚記者は陸自の取材を申し入れたが、日本側の事情でかなわなかった」
防衛庁自衛隊内には『撤収前にきちんとした報道があってもいい』という声が高まっており、サマワ陸自宿営地の取材日程まで決まった。にもかかわらず、東京の読売新聞には外務省からあらゆるルートを通じて『取材不可』の要請があった。飯塚記者に対しても首相官邸高官から『あなたがロンドン特派員として英軍に同行してイラクを取材するのは勝手だが、サマワ陸自取材は絶対にだめだ。単独取材は認められない』と衛星電話が入った」というから驚く。確かに新聞社によっては「ロケット弾の着弾位置を無神経に書いたり、陸自の活動についての重要情報を漏らすお粗末な記者もいる」が、「報道各社が横並びで」という発想では「とても国際貢献のレベルに達することは出来ない」とテーミスは続ける。
 第一次派遣群長であった番匠陸将補は、「やはり人質事件が大きかった。私たちにとっても現地に日本人記者がいないのは残念だった。現地としてはいいことも悪いこともあるが、“定点観測”をしてほしかった。日本で感じることと、現地で感じることは気温だけではなく“温度差”があったと思う。今回の教訓を十分踏まえ、これからのオペレーションに生かして生きたい」と語っているが、現地自衛隊だけが如何に教訓を学んで生かそうと努力しても限界がある。
 私もかって、沖縄“守備隊長”時代に、台湾空軍OBがヘリコプターをチャーターして尖閣に侵入するという情報に伴い、スクランブルの厳戒態勢を敷いた際、「武器は使うな」などという“官邸筋”からの指導が伝えられたことがある。領空侵犯措置については、司令官に権限が与えられていて、定められたことを粛々と遂行すれば済むことであるが、生き物でもない“官邸筋”が口を挟むのである。今回の記事を読んで、それを思い出した。
 政府関係者が、自衛隊の活動振りを国民に正しく伝える「義務」がある報道陣に対して、理由を示すことなく「取材不許可」を要請したとしたら、首を傾げざるを得ない。同様に、この理不尽を大きく取り上げなかった報道各社の神経も疑いたくなる。
 2年半にわたる、自衛隊の見事な貢献と、復興支援の評価を「省略できた」ので、胸をなでおろした、というのが真相ではなかったのか?飯塚記者一人以外は…。
 自衛隊が良いことをすると記事にしない「前例を守って、政府の責任にして、逃げた!」そんな気がしてならない記事であった。