軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

念仏で侵略は防げない

 6者協議や核の脅威、中国の軍事力増強など、我が国周辺事情勢を見ていると、日本人ほど「お人よし」はいないことを痛感する。お人よしはそれ自体悪いことではないが、国際関係には通用しないことを知ったうえでのことだろうと思う。
 今世紀「最大の悲劇」と言われる中国のチベット“併合”について、日本人は殆ど知らない。ただ、ダライ・ラマ14世の偉大さを口にするだけである。念仏を唱えているだけでは、平和は保てないと言う“好例”として、今日は、でこくーるという女性漫画家から(私のブログ愛読者だそうだが)エッセイを依頼されて書いた文章を、少し長くなるが掲載しておきたい。彼女の漫画本は「平和の国のネバーランド」という、萌え系?防衛本(防衛弘済会¥476+税)だが若者達に受けているという。安価だから是非手にとって読んでいただきたい。加えて今私が読書中の「中国はいかにチベットを侵略したか」(マイケル・ダナム著・山際素男訳:講談社インターナショナル¥1800+税)もご紹介しておきたい。

『正義なき力は「圧制」、力なき正義は「無効」』(パスカル
 ネパールに亡命を試みたチベット人たちが、中国兵に射殺されたシーンがインターネット上で公開され大きな問題になっている。
 現場はエベレストに近い氷河地帯で、ルーマニアの登山家・セルゲイ氏がたまたま撮影したものだが、発砲音の後、先頭の尼僧が倒れ、続く発砲で最後尾の少年僧が倒れた。映像にはセルゲイ氏の「まるで狗のように撃ち殺した」というコメントも入っている。そして「亡命者の約半数が10歳以下の子供たちだったことが判明」したそうだが、私はこの映像を見て、数年前、静岡県にある某私立高校での体験を思い出した。この学校には、モンゴルやインドやネパール、それにチベット等から、貧しいながらも向学心に燃えた子供たちが留学している。
 学園祭に招かれた私は校長の案内で、各国のパビリオンを見学したのだが、印象的だったのはチベットの小柄な女子高生たちであった。彼女たちは流暢な日本語で「チベットに観光に来て下さい」とパンフレットを勧め、きらびやかな寺院の写真を指差し「でも大切な仏像のほとんどは破壊されましたが・・・」と言ったのである。校長が「この子はつい最近、インドの難民キャンプにラサから逃げてきたのです」と言ったので聞くと、「両親は、私を逃がそうと必死でした・・・。両親はラサに残っています。心配です」と涙ぐんだ。
 その後ペマギャルポ氏の講演会で、彼にこのことを話すと「彼女は幸運でした。毎年3000人近くの亡命者が国外に脱出していますが、行方不明になったり死んだりして難民キャンプには殆どたどり着けないのです」と教えてくれたがそれを今回の映像が証明している。承知のように独立国家であった頃のチベットは敬虔な仏教国であり平和を尊び戦いを好まなかった。しかし、「銃口から政権が生まれる」ことを信じている国には、そのような「平和主義」が通用する筈もなく、1949年、高々人口600万人の微弱なチベット軍は頑強に抵抗したが中国の圧倒的な軍事力の前に蹴散らされた。そしてその後の結果はご承知のとおりである。現在でも「命を掛けた」亡命が続いていることは、今回の映像でも明白だが、「95%に上る僧院が破壊され貴重な仏像が破壊されるにいたって、さすがに穏やかな仏教徒であるチベット人の中にも銃を取って立ち上がる者も出たのだが、驚いたことに国の指導者たちは、山間に立てこもってゲリラ戦を続行する彼ら自国民たちを、愛国者ならぬ暴力主義者として非難した」というペマ・ギャルポ氏の話を聞いて、愕然とした。その結果はどうであったか。これまで貴重な文化遺産の殆どが破壊され、延べ120万人の人命が失われた」という。
 我が国の憲法前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるが、チベット併合の事実は、それが全くの虚構であることを雄弁に物語っている。
「正義なき力は圧制、力なき正義は無効」だとパスカルは言った。
 微弱な軍事力にとどめ置き、しかもその行使を平和に反するとして非難する。
平和憲法さえ守っていれば・・・」という駝鳥の平和を信じて疑わない者たちに聞かせてやりたいものだが、「この悲劇は、仏教国・チベットが平和主義、無抵抗主義だったからというよりも“事なかれ主義”に過ぎなかったのです」というギャルポ氏の見解を、私は複雑な思いで聞いたのであった。