軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

鯨に“善意”は通じない…

 今朝の新聞は、前輪が出ずに<胴体着陸>した全日空機の話題でもちきりである。昨日のテレビは、テレ朝を除く全社が<実況中継>して興奮していたが、この程度のトラブルに完全に対処するのは、プロのパイロットとしては当たり前のことで、何ら大事件ではない。問題は、この機体(DHC−8)には、かなりの脚トラブルが発生していたということで、その完全処理をせずに、高額な料金を取った乗客に“大変なご迷惑”をかけていたこの会社の経営姿勢にある。整備不良だけの問題ではない。機械は、人間が作ったものである以上、間違いなく故障する。その時にどうしてこれを解決し、極力「完全・安全」なものに完成していくか、が人間・組織の果たすべき役割であって、この機体のように、同種故障が「ダントツ」に多いまま、低速のプロペラ機だという気安さからか、原因究明を軽視していたのではないか?という点が問題である。これが多数の乗客を乗せたジャンボ機であったら、また、主脚の異常であったら、この程度ではすまなかったはずである。そこが問題なのであって、多分事故調査委員会はその点を重点に調査することになるだろう。
 JAL123便の大事故のように、以前伊丹空港でしりもち事故を起こし、後部胴体を損傷して修理した際、隔壁の修理が信じられない「ポカミス」で、全く強度が維持できない状態であったにも関わらず、便所のドア開閉などの不具合を抱えたまま運行に供し、ついに破断して520名もの犠牲者を出すに至ったのだが、この時もメディアは自衛隊の救出遅れを喧伝し、肝心の修理ミスについての責任追及を国民の目から遠ざける役割を果たした。
 修理を請け負ったボーイング社は、全世界を飛行中のジャンボ機の運行停止に発展すれば、尋常ならざる損害をこうむることが明白であったから、直ちに「修理ミス」を公表して、当該機だけの特殊事故として、他への波及を阻止した。
 問題は、このとき当該機の修理を要求したJALの整備責任者による検査と、運輸省による二重の検査を、どうして「パスしたのか?」ということにある。この点が改善されなければ、520名の犠牲者は浮かばれまい。

 さて、もっと私に理解できない事件は、13日に宇和島湾で起きた「鯨殺人事件」である。この「気の毒な鯨」を何とか外洋に逃して救ってあげようと、ボランティア活動をしていた漁師さん始め地元の男性方の、恩があだとなって、暴れた鯨に船を転覆させられて一人が亡くなったが、救命胴衣をつけるよう「マニュアル」に書いてあったにもかかわらず、それをつけていなかった・・・などという解説が、まことしやかにワイドショーでなされていたが、なぜ天から与えられた鯨を日本人は食しないのだろう?と私は思う。これがマグロやはまちだったら皆はどうしたことだろう?
 勿論、哺乳類の貴重な鯨を保護する・・・などという、牛を殺して平気で食べる民族の脅迫が怖いから・・・という現状は分からないでもないが、浅瀬に乗り上げた鯨を、人間が犠牲になってまで何とか救出しよう、という行為は「偽善」ではないのか?「人間の命は地球より思い」と言った首相が昔日本に居たが、それはさておき、鯨に人間の善意が通じる筈がない。
 憲法に「諸国の公正と信義に信頼して」と書いていても、全く信頼できない「周辺諸国が存在すること」は明白に証明されていて、人間様でもそうなのだから、ましてや「動物」に、自分を取り囲む人間が「救助しようとしてくれている」などと言う善意が通じる筈はない。
それとも哺乳類である鯨にだけは通じるとでも思っているのだろうか?
 これは人間のある種の傲慢の裏返しであるように私には思われる。ロープをかけて鯨の体を引っ張って、外洋へ連れ出して「救出」しようとしたというが、鯨は「捕獲され、殺される!」と思うこと間違いない。だから必死になって抵抗する。 そして鯨には理解できない“善意の人間”が一人犠牲になった。しかし鯨は決して「誤解していた」と謝罪し、哀悼の意なんぞ表す筈もない。
 昔は日本人は鯨を捕獲し、ひげも骨も余すところなく活用し、天に感謝し鯨に感謝し、供養の祈りを捧げて共生してきたものである。それが日本の文化であって、無理やり嫌がる?鯨にロープをかけて外洋に引っ張り出し、「救出」したと考えるのは、人道ならぬ“鯨道”を尊重した?などという自己満足、人間の独りよがりに過ぎないのではないか?
 松島時代に、牡鹿半島鮎川町伝統の「鯨祭り」に招かれたことがある。(写真)


 勇壮活発な伝統漁法の展示と、集まった人々へ鯨の肉の分配があり、一日町は鯨一色であったが、鯨に生きる町の人々は決して「鯨に対する感謝と供養」は忘れられては居なかった。
 こんな日本独特の精神文化が、牛や四足動物を平気で殺害して食する民族には決して理解できまい。
 そんな一部の異文化集団の「脅迫」に屈して、折角迷い込んだ鯨を不自然にも救助しようとして逆に殺された男性は浮かばれまい。
 戦後まもなくなく、貴重な鯨肉の配給で生活を支えられ、その後鯨皮のランドセルを背負って学校に通った経験がある九州育ちの私としては、なんとも理解に苦しむ悲劇だとしか考えられないのだが、このニュースを知った日本人の殆どは、どんな感想を持っているのだろうか?