軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

“新”憲法施行61年

 私は祝日には玄関に日の丸を掲げるのだがこの日だけは掲揚しない。今日が雨模様であることも、何かの暗示だろうか?
 ところで、先日チャンネル桜で収録した「闘論!倒論!討論!:改憲?護憲?憲法9条を考える」が、1日と2日の夜に放映された。視聴者の1人になったつもりで改めて見てみると、スタジオでは感じなかった点をいくつか感じた。
 私の憲法に関する考えは、「憲法は国民自身のためにあり、現実に適用できないものは改正すべき」というもので、特に9条については「第2項を速やかに改正し、自衛隊の法的地位を明確にすべき」「その際第1項の“平和主義(侵略戦争放棄)の精神”は維持するが、侵略に対しては断乎これを阻止する意図を明確にすべし」とするものだが、護憲派の参加者の意見は、一応「護憲」でまとまっているように見えても、内容はまちまちであることが良く分かった。とにかく「理念第一主義」で、「軍事抜きの平和主義、高邁な理想の精神は21世紀の先端を行くもの」であるかのような主張には、どうしてもついてゆけない。しかも、「国家が軍を持つことには絶対反対だが、個人が武器を持って立ち上がるのは認める」という構想は支離滅裂ではないか。
 国家が武器を管理するから、武力行使が一定の制限を受けているのであって、武器を野放しにすれば、世界には“ヤクザ”がはびこることになる。現在各地で起きている「テロ戦争」がその良い例で、各地に「私兵」が対立するではないか?これを無責任といわずして何と呼ぼうか?
 護憲派の出席者は私とほぼ同年代の方々ばかりだったから、今や“思想転換”しても遅すぎる。ましてや「転換」すれば後には何も残らないし、仲間内から“軽蔑?”されるのがオチで存在価値が消滅する。時代遅れの思想であるとは分かっていても、今さら転向は出来ないから、頑迷にしがみついて墓場まで持っていくしかないのではなかろうか?
 20世紀前半、マルクスレーニン主義という、その当時としては「目新しい」思想がソ連で“実験”されたが、多大な犠牲を伴った末に大失敗に終わったことで証明されたにもかかわらず、未だに“外国製”の旧思想にしがみつき、同世代の優秀な人材?が、こうして柔軟性を欠いた一生を終わるのか?と思うと、「人生色々」と複雑な感情を抱かざるを得なかった。「マルクスレーニン主義」を“外国製”の思想だと書いたが、「新憲法」だって“外国製”であることに変わりない。改憲を主張するほうも、その点を十分承知しておく必要があろう。
 スタジオでも述べたが、私の「新憲法」に対する考えを簡単にまとめるとこうである。
1、GHQと日本政府の妥協の産物
 大東亜戦争開戦直後、フィリピンの総司令官であったマッカーサーは、日本軍の猛攻に抗しきれなくなり、3月12日にコレヒドール島から魚雷艇で命からがら家族と共に豪州へ脱出し、虚勢を張って有名な「アイシャルリターン」と演説する。しかし、残されたウエンライト中将以下は、バターン半島に追い詰められ4月9日に日本軍に降伏、残りの米軍はコレヒドールを死守したが、これも5月6日に無条件降伏する。そして大量の捕虜を移送する際起きたのがいわゆる「バターン死の行軍」といわれるものだが、これら一連の流れから見て、この敗戦は、マッカーサーの軍人としての履歴に大きな汚点を残したと思われる。
 このことを怨み?に感じていた彼が、日本占領後に日本の無力化と非武装化を熱心に進め、当時設立が予想されていた「国際平和機構」下に日本をおこうと「壮大な実験」をしたのであり、それがマッカーサーノートで示されたのだ、と私は考えているのだが、当時占領下にあった日本政府は彼の「命のまま」に従うほかはなかった。
2、自衛隊の創設
 しかし、第9条第二項に示された軍隊の保持禁止事項は、新憲法施行後3年で起きた朝鮮戦争で、彼自身が出した「75000人の警察予備隊」創設指示で効力を失った。
3、UNが「国連?」
 9条の前提とされた「強力な国際平和機構」は、冷戦の始まりと共に消滅し、旧連合国の集まりである「連合国」がそれに代わった。大国(戦勝国)の拒否権が存在するそんな機構に、「日本の安全」はおろか「生存」が保持できる筈はない。この時点で「憲法前文の精神」は消滅した。
 以上の観点から、私は“新”憲法自体が非現実的な“遺物”になり、無効だと思っているのだが、悲しいことに独立を達成した昭和27年4月28日に“新憲法”を破棄し、占領時代の一切の「垢」を洗浄して、大東亜戦争の是非、敗戦責任などを含めた日本国民自身による「総懺悔」をし、その上で、改めて新生日本の進路を政府は国民に問うべきだったと思う。そうすれば今のような政治的混乱は少なかったに違いない、と思っている。

 今朝の産経新聞は「主張」で「憲法施行61年を迎えた。施行された昭和22年当時には想定できなかった事態が続発している」として、「海賊退治も出来ない憲法解釈がいかにおかしなものか。自民党の新憲法草案では自衛軍保持と集団的自衛権の行使容認をまとめた福田康夫首相は熟知していよう。小沢一郎代表も『普通の国』が持論だった筈だ。国民の常識が通用する憲法体制の構築に与野党は競い合ってほしい」と結んだが、現状を見るに悲観的にならざるを得ない。
 5面上段には「国民投票法施行まで2年」「戻らぬ『熱気』」と題して「主張」を補足しているが、「新憲法制定議員同盟」の会長を務める中曽根康弘元首相も、憲法審査会が始動するようにとインタビューに答えているが、61年間も脱ぐことなく着てきた『新憲法』という古着は、今や体形に合わなくなっていることを肝に銘じて、手遅れにならないうちに処置して欲しいものであるが、中曽根氏はもとより、私の目の黒いうちには不可能のような気がしてならない・・・。

さて、5日夜は恒例の「今日の自衛隊チャンネル桜)」で井上キャスターと「防衛漫談」をする予定。どんな話題になるのやら・・・

憲法の常識 常識の憲法 (文春新書)

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