軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

開戦記念日とトラトラトラ

今日は日米開戦73周年目にあたる。帝国海軍が連合艦隊の主力を挙げてハワイ真珠湾を攻撃した日である。
その前日の12月7日(現地時間)、在ワシントン日本大使館は、正門は閉ざしたままで、クリスチャンだった当直の電信官は、ミサに行くところだった。
覚書本文の第902号暗号電13通は6日午後次々に届いていたが、いつ果てるとも思えぬ長文に辟易する空気が大使館の一部に漂っていた。夕刻、8通ほどの翻訳が終わると、「明日でいいから片付けて帰宅せよ」との館員の指示で、電信課員も当直の一人を残して引き払ってしまい、ほとんどがおしゃれを決め込んでメイフラワーホテルで開かれた寺崎英成1等書記官の南米転勤に伴う送別会で出払っていた。こうしてこの夜は、暗号解読の仕上げはもちろん、浄書にも至らなかったのである。6日午前に、東郷(外務大臣)発第901号電及び取り扱いを指示した第904号電を受け取っていたにもかかわらず……
こうして901号電には「万全の手配」を取るようにと指示されていたが完全に裏切られたのである。
いや、その5日前の12月2日には、「電報用暗号書の一部を除いて全部焼却すべし。暗号機械の一台を直ちに破棄すべし」との第867号電を受け取っていたにもかかわらず…、若杉公使のごときは、野村大使を補佐することなく、東京に新築した自宅用の家具を調達に市内を走り回っていたというくらい、大使館は全く緊張感に欠けた“在外勤務ぶり”を展開していたのだ。

≪当時の在ワシントン日本大使館


胸騒ぎで大使館に駆け付けた寺井海軍補佐官が、第14部の電報の束が、芝生に投げ出されているのを見つけてただちに“クリスチャン電信員”を呼び出して渡し、午前9時すぎに登庁してきた電信員が、残りの対米覚書の解読を始めたが、午前11時ころ「同覚書は7日午後1時なるべく国務長官に直接手交すること」という第907号電が解読された途端、大使館は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった…

こうしてタイプが終わったのは午後1時50分、国務省に野村・来栖大使が駆けつけたのは午後2時5分を過ぎていて真珠湾では“奇襲”作戦が開始されていた……。
すべて日本側の暗号電を事前に解読して待ち構えていた米国政府とハル長官は、国務省に待機している二人をしばらくジラシタ後、午後2時20分にそ知らぬふりをして二人に面会した。
これが帝国海軍の戦術的大成功になるはずだった奇襲作戦が、ルーズベルト大統領を喜ばせる「スニークアタック(だまし討ち)」になった真因である。

≪開戦を報じる朝日新聞


≪攻撃命令=大海令≫


死んだ子の年を数えても仕方ないが、戦後外務省に調査委員会が設けられて東郷外相が調査したが、井口参事官は「あれ(電信関係)は自分の所掌事務ではないから知りません」と逃げた。
調査は、かなりずさんで政権交代などで東郷も交代したため、以後の調査はうやむやになり、それどころか関係したキャリアーたちは、その後事務次官や米国大使などに出世して一切責任を取らなかった。
現在は、在米大使館勤務になった者に対してこっそりと「リメンバー・パールハーバー」と声をかけるのが習わしになっている…

その陰には外交官出身の吉田総理が黙殺したのだといううわさもあるが。

代わりに、外交官らのミスを背負って卑怯なだまし討ちに始まった大東亜戦争の責任をとらされたのは東条英機大将以下の6人の軍人で、バランスを取るため?シビリアンとして処刑されたのは唯ひとり広田弘毅元外相だけであった。さらに不思議なのは、海軍提督は一人も巣鴨で処刑されていない。

巣鴨プリズンで読書する東条元首相≫


≪処刑される軍人≫


この覚書の提出遅れが日本の「だまし討ち」とされ、その後長い間(今でもそうだが)米国人による対日不信と卑怯者扱いにされている原因の一つになった。


尊敬する外交官の一人である村田良平氏は「なぜ外務省はダメになったか(扶桑社)」に、外交官たる者に求められる徳目として「1、愛国心 2、勇気 3、節操」を挙げている。当時はこれが欠けていたのだろう。


米国民を分断するためには、人種差別に基づく闘争、共和党民主党という信条の差、世論を喚起して厭戦気分を醸成するなど、弱点を突くべきだったが、知米派といわれた山本五十六長官でさえ、米国の軍事的能力に固執して「アメリカ人の本質」を理解していなかったように思われる。
近衛首相に呼ばれて、対米戦に関する海軍の腹案を尋ねられた時「1年ほどは十分に暴れて御覧に入れる…」などと戦術的見解しか語らなかったのはなぜか?
軍事の素人の近衛首相を説得するだけのものを持ち合わせていたかったからか?
今となっては悔やまれる出来事だったのだが、もっと深いところで進行していたのがスターリン率いるコミンテルンの罠であって、日本の近衛総理の周辺にはゾルゲ、朝日新聞記者・尾崎秀実というスターリンの手下が、ルーズベルト側近にはホワイトらコミンテルンの手が回っていたのだから、日米間の手違いで起きたというよりも、双方ともに共産主義の脅威を軽視していたということに尽きるのだろう。つまり、日米ともスターリンの罠にまんまと引っかかって、戦わなくてもいい日米が戦い、流さなくてもいい日米双方の青年の血が太平洋で流されたのである。


大東亜戦争については、私はこんな見解を持っているので、この時の日米政府の駆け引きと、真珠湾奇襲作戦に慌てふためく米海軍の状況を史実に忠実に表現した映画・トラトラトラは、日米双方の戦没した純真無垢な青年たちへの挽歌として捧げられたものだと理解している。


たまたま今回、真珠湾攻撃を題材にした名画「トラトラトラ」のリニューアル(製作45周年記念=発売は来年3月4日)に際して、戦闘機パイロットとしての視点から、関連場面について解説してほしいと依頼された。

昭和40年代初め、私がまだひよこパイロットだった築城基地時代に、芦屋基地に隣接する岡垣射爆撃場で訓練していたのだが、芦屋基地内に忽然と「戦艦長門」と「空母赤城」の実物大セットが出現したので驚いた経験を持つ。
これが実は「トラトラトラ」の撮影セットだったのである。

≪忽然と芦屋基地に姿を現した戦艦長門のセット=芦屋町資料館資料≫

そんなことから喜んでお引き受けしたのだが、ブルーレイになった新鮮な画像のDVDとともに「解説書」として出版されるというから名誉なことである。
≪プロモーション映像に関心のある方はこちらのリンク先をご覧いただきたい≫
http://youtu.be/zwDNT0HBLl8


日本とアメリカが戦争したことなど全く知らない若い青年男女に、国の指導者が判断を誤ると、将来ある有望な青年がこうしてむざむざと消えていくのだ!というありさまをぜひご覧いただきたいと思う。
日米ともに兵士たちは勇敢に任務を果たしていたのである。


今や、73年前の「ソ連」に代わって世界の覇権を奪取しようと意図している大国が、日米離間を狙って虎視眈々と我が国を狙っているのであり、それに対するわが日本外交は相変わらず「主権に鈍感で、万事穏便にという誤った初動を取り、ハンディキャップ国家論から一歩も抜け出せない(村田氏)」脆弱な外交姿勢を継続している。「国の威信を保つためにはどうすべきか。『友好』は『外交』の目的ではない(村田氏)」ことを知らねばならない。


来週の選挙では、国家主権を守り、毅然たる外交方針を貫く候補者を国政に送り出すべきであり、73年前のワシントン大使館のような、社交を基本とした国家政策を推進?して国を滅亡に導くような外交を推進するような政党を選出すれば、次世代を生きる青年諸氏は、再び「真珠湾」事態が引き起こされて無為に血を流しかねないのだということを自覚すべきだろう。貴重な1票を無駄にしないでほしい!


届いた本のPR
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「近現代日本軍事史(第3巻):坂本祐信著=かや書房¥2800+税」
防大8期生、救難機パイロットの坂本君の第4冊目である。すでに第1〜4巻は刊行されている。今回の第3巻は、陸海軍解体から陸海空自衛隊創設までの現代史であるが、よく史料を収集し整理したものだと感心する。
いささか値が張るが、専門書なので仕方がない。近現代史を学ぶ学生諸子にとっては、特に終戦付近から戦後の“あやふやな”自衛隊創設までの各種資料は千金の値があると思う。


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