軍事評論家=佐藤守のブログ日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

■軍事を語らずして、日本を語るなかれ!!■

2019-01-03 お年賀

お年賀

新年、おめでとうございます。

 

 昨年暮れに私どもは無事に金婚式を迎えました。細やかに二人で先祖のお墓参りをし、神社にお礼参りをして温泉に一泊して祝杯を挙げ、互いに苦労を語り合いましたが、今となってみれば現役時代の22回に及ぶ転勤発令、24回の転居、退官前の三沢から沖縄までの通算10年間に及ぶ単身赴任生活は、懐かしい思い出になりました。

 その間全国各地でお世話になった町の方々からの変らぬ友情と、部下たちの誠意溢れる激励には感謝の言葉もありません。

 ただ、ことし傘寿を迎える私にとっては、若い部下たちの訃報を聞くたびに、年長者から先に消えるのが自然ではないか?と悲しくなります。


 そんな中、御代代わりの年の1月2日の一般参賀には、20万ともいわれる国民が訪れたそうで、まだまだわが国は“捨てたものじゃない”と勇気をもらいました。

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≪一般参賀2019・インターネットから≫

 宇宙の動き、地球の変化、それに伴う自然の著しい荒廃、何よりもとげとげしい人類の精神状態の荒廃が気がかりになる昨今ですが、わが国においては国民の一人一人が“独立国”としての自負を忘れず、先人の偉業を継承していく年にしたいものです。


 例年、元旦に定点観測している、遥かに聳える霊峰富士の頂は、今年は雲に覆われていて、その上、毎年茅ヶ崎から届く先輩の賀状には「本日天気予報は晴れでしたが、今朝は雲がいっぱいで、雲間からの初日の出でした。

 いつも日の出前から光を浴びてライトアップされる富士山は今日は残念ながら雲に覆われていました」とあったので、私は何となく気掛りでしたが、2日の一般参賀と、今日3日の定点観測では、富士の雲は取れて見事な姿に“復活”していたので安心した次第です。

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≪雲に覆われた富士山≫

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≪高山先輩から届いた初日の出・左は江の島≫

 

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≪今日撮った富士山・見事に晴れていた!≫

と言うのも私は、古くから言い伝えられている「天気とは天皇のご気分」と理解しているので気になっていたのでした。


 国際軍事関係は複雑怪奇、まだまだ油断は禁物ですが、読者の皆様方の弥栄を祈念しております。

 今年もどうぞよろしく。 

    平成31年1月

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

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ある樺太廳電信官の回想

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実録 自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO

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お国のために 特攻隊の英霊に深謝す

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tbsasahinhktbsasahinhk 2019/01/04 23:56  今話題の田母神閣下の照射問題に対する見解について、差支えない範囲でご教示願えませんでしょうか。
 私は、公的な発言は控えるべきだし、いわずもがなだと思ったのですが・・・

satoumamorusatoumamoru 2019/01/05 09:33 tbsasahinhk 様≫
田母神君の発言は見ていませんのでノーコメントです。ただ、報道を見る限りにおいて、韓国海軍は軍隊の体をなしていません。
在韓米軍の撤退を真剣に考える時が来たようです。

KGYMKhoKGYMKho 2019/01/05 20:17  正月休みに知覧と鹿屋に行ってきました。
知覧で私の好きな飛燕の実物が見えると思ったのに、各務原の航空博物館に戻されたので、代わりに隼が展示されていたけど、占守島でソ連軍を撃退したことも展示していただけたらなと思いました。
 また、鹿屋ではTBSのドラマ水戸黄門役の2代目西村晃さんの遺書が展示されていましたが、後半の部分は奥様の則子さんへの言葉がつづられていました。
 3回出撃して、天候が悪くて戻ってこられて命拾いしたとの説明書きでした。
 そして、高校の大先輩の関行男さんの写真もありました。
 知覧から出撃した陸軍機は、左に開聞岳を見て、鹿屋から出撃した海軍機は、右に桜島と開聞岳を見てどのような思いで操縦されていたのか?
 鹿児島にいた2日間本当に天候が良くて、開聞岳、桜島がどこからでもよく見えて、海も静かでした。

satoumamorusatoumamoru 2019/01/05 21:20 KGYMKho 様≫
供養の旅、ご苦労さまでした。私は知覧初め万世、鹿屋と、何度かお参りしましたが、沖縄に向かう時、桜島、開聞岳上空を飛ぶ時は、必ず「南瞑の海」に向かって挙手の敬礼を捧げたものです。当時の若き隊員たちの心情を思うと身が引き締まったものです。
敵機が待ち構える戦場に向かって、簡素な航法装置を頼りに進出したのですから偉大です・・・合掌

KGYMKhoKGYMKho 2019/01/09 22:49  佐藤守様 返答ありがとうございます。
 私自身は、息子に今、自分のやっていることを自覚して欲しいと思って、「永遠のゼロ」ツアーとして、連れて行きました。
 多くの出撃された方々の写真の中で出身地が四国の方がどのような遺書を残されていたのか、丹念に読ませてもらいましたが、20才前後の独身者は残される母親に対して親孝行できない無念さ、20代後半の妻帯者には、西村晃さんのように奥様への思い、そして、幼い子供さんへは、当時の小学校ではまずカタカナを勉強するので、自分の思いをカタカナで書かれていました。
 今やグローバル化と称して、小学校3年から英語が必須科目ですが、そんな時間があるなら小倉百人一首で、自分の名前の一文字を得意札として、カルタ取でもしてほしいと思いました。
 また、当時の航空機用無線機ユニットの現物と取扱説明書を愛媛県の大洲の方が展示品として寄贈されていたのですが、VHF帯の50MHzまでダイヤルがあったのは新発見でした。真空管のヒーター電源15V、主電源が150Vの直流の端子が別々にあったのもなるほどと思いました。
 また、星形空冷エンジンの現物を見たのも初めてで
空気取り入れ口がエンジンの下にあって、気化器、各シリンダーへの燃料供給と点火プラグコードの配線、排ガスの成分から最適な燃料供給を制御する現在の自動車の電子制御の基本はすでに中島飛行機の特許があり、日産が自動車の電子制御をやる際に公知の技術だったとNHKの続電子立国日本の自叙伝の番組で放送していたのに納得した次第です。
 その日産がブラジル育ちのレバノン人に食い物にされたのは、ひとえにアメリカ帰りのグローバル化を吹聴する政商さんたちの跋扈ではないかなと思いました。
 関行男先輩が戦死された23才、私は大阪で世界最小最軽量のポータブルVCRの開発の末席の電子技術者としての人生を開始した年齢です。
 関先輩は、どのような思いを抱いて出撃したのかと
思います。
 実は、父方の末の弟さんは予科練の学生として土浦の航空隊で、終戦を迎えたのですが、家族にも当時の事をしゃべることもなく亡くなられたと聞きました。
父は、経済学部の学生だったので、クラスのTOP3を残して学徒出陣して、雨の神宮外苑で学友を見送った。それを申し送りするのは私の仕事と思っています。

satoumamorusatoumamoru 2019/01/10 12:13 KGYMKho様≫
当時、軍神の母と讃えられた関行雄大尉の母上は、戦後は石もて追われ、草餅の行商で糊口を凌がれました。その後地元中学校の用務員となりましたが孤独死されました。行年57歳。
母を一人残して出陣された大尉の悲しみと悔しさはいかばかりだったか、と靖国問題を聞くたびに同じ操縦桿を持った身として体が震えます。今の政治屋等には通じないでしょうが・・・

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