軍事評論家=佐藤守のブログ日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

■軍事を語らずして、日本を語るなかれ!!■

2006-08-31 砂上の楼閣?だった防衛力

砂上の楼閣だった?防衛力

連日の真摯なコメントに、まず感謝したい。ご提示いただいた書籍など、大いに参考になる。

ところで今日の産経新聞の「連載」もさることながら、「正論欄」の森本論文をお読みになった読者は何をお感じになっただろうか?

森本氏は、防大9期生、7期生である私の2期後輩だが、幹部学校指揮幕僚課程時代は「同期生」だった。卒業後私は直ちに「外務省」に出向させられ「軍縮問題」に取り組まされたが、一年後、彼は北米局安保課に出向してきたから、外務省でも「同期生」だったことになる。その後彼は外務省に移籍し、現在の「安全保障問題」に取り組むことになり、今や第一人者として気を吐いているが、その彼でさえも、現在の日本の防衛は、「全く未完成だ」と今日の正論で明言しているのである。

国民の皆さんは、よくもこの60年間、わが国が「侵略されなかったものだ」と胸をなでおろされたに違いないが、それはそんな≪いい加減な状態下にあることを百も承知で≫黙々と、やらねばならない任務に没頭してきた自衛官たちがいたからである。

勿論、同盟国である米軍の存在はきわめて大きかった。ある意味で、日米関係の底辺は「制服同士の信頼感」で保たれていたといっても過言ではあるまい。その間、日が当たらないままに何人の同志が殉職していったことか!いや、日が当たることを望んでいたわけでは決してない。誰が何といおうとこの国を守る、それだけの気持ちで、黙々と与えられた「粗末な?」武器を大事にしつつ、訓練していたのである。

三沢時代、米軍の高官が私に「自衛隊は極めて精強だが、同時に世界で一番気の毒な軍隊だ」といったことがある。ある大佐は「いつまで占領憲法に縛られているのだ?あの憲法は占領下の縛りに過ぎないのに」といったから、私は「日本人はマッカーサー元帥を尊敬していたから、彼がくれた憲法を大事にしているのだ!」と混ぜ返したのだが、同席していた夫人たちは笑うどころか“軽蔑した表情”をしたことがあった。

防大時代、私の大隊の指導教官は、桑江良逢2佐(後の沖縄第一混成団長)であった。

メレヨン島で飢餓と戦い、復員後すぐに、沖縄名物の味噌を塗った握り飯を持って、全国の失った部下たちの家庭を廻って「供養と状況報告」をされた方である。有言実行型の指導者で、私は心から尊敬していた。

学生時代のある日、大江健三郎から「同世代の恥辱」とまで言われた我々防大生や、憲法違反といわれ続けている自衛隊の不遇さに不満を述べたとき、「佐藤、振り子は必ず元に戻る。今は左に大きくふれているだけだが、日本人は必ず目覚めるときが来る。振り子はまた右に戻ってくるだろう。昔は軍人でなければ人でないかのような風潮があった。女性たちも軍人の妻にあこがれた。そこでだ、佐藤!将来、自衛官以外は人でない!自衛官の妻にしかならない!という風潮を再現してはならないのだ。戻ってきた振り子を再び大きく右に振り切らせるようなことがあってはならないのだ。振り子を中央でとどめることが貴様らの任務なのだ。そのためには耐え忍ぶ勇気を養わねばならぬ。

国民はいずれ分かってくれる。分かってくれないからといって、自暴自棄になるのは未熟者だ」

私はこの言葉を片時も忘れたことはない。しかし、それにしても今までの「自衛・防衛」に対する一部国民、マスコミ、政治家たちの対応はアンフェアーだったと思う。

その結果が、森本論文にあるような、軍事的未整備状態、つまり砂上の楼閣が継続して、100人を越える国民が国内からいともやすやすと「拉致」されても、不審船が跋扈していても、竹島を占領されも、北方領土で漁民たちが、日本人としての誇りを捨ててまでも「漁業」を継続せざるを得ない環境下にあってもこれを放置するという、理不尽さを許容してきたように思う。その結果、子供たちが親を殺し、親が子を殺し、モラル上も理不尽なことがまかり通る国になることを「放置」してきたように思う。

つまり、戦後のわが国は「法治国家」ならぬ「放置国家」だったのである。森本氏が書いたように、防衛に関するだけでもこの有様であったが、教育も、治安も、実は防衛以上に「放置」され続けてきたのではなかったか?

最近の国内ニュースを見るだけでも、これ以上「放置すること」は絶対に許されない時点に来ているように思う。

政界は、次期総裁選で持ちきりだが、その間にも国民の目の届かないところで、金属疲労は進行している。今年はその意味で、防衛の不備にとどまらず、戦後日本が立ち直るのか否かの、大きなポイントになるような気がしてならない。

2006-01-17 平成の「朝敵」になってはならない!

平成の『朝敵』になってはならない

今朝の産経新聞は、皇室典範改正案について、政府・与党内で「見送り論」が高まっていると報じた。結構なことだと思う。私は何故急にこの問題が浮上したか不思議に思っていたが、伝えられるところどうも「不純な動機」が見え隠れする。

先日、テレビのワイドショーで、「有識者」の一人である、静岡福祉大学の高橋教授がこの問題について、若手コメンテーターたちと「討論」しているのを偶然見たが、有識者会議が極めて浅薄な議論しかしていないことを端無くも明らかにしていた。おそらく彼らも「女系」と「女性」の区別がついていなかったに違いない。問題になって始めて「屁理屈」をつけて言い逃れてきたようにしか思えない。国民も、女性天皇女系天皇の区別など、おそらく深く調べたわけではないだろうからアンケート結果は信用できたものではない。「女性でもいいじゃん」程度の考えであろう。

むしろ、若手のコメンテーターの「感覚的」伝統論のほうが、国民の気持ちを代弁していると感じた。どんな基準でこのような「有識者」を選んだのであろうか?メンバーには日本の歴史文化、ましてや「皇室の伝統」に関する専門家はいないというから不思議でならない。元自衛官たる私が経済諮問会議のメンバーに就任し、経済政策を提言するようなものだ!

私は昨年8月22日のブログ「恥を知れ!」で、「ホリエモン氏」の人選がおかしいこと、彼は「社長業は捨てない」というから、「議員になってインサイダー取引して株価を吊り上げ、一儲けするつもりなのだろうか?」と書いたが、とうとうそれが「ホンモノ」だったことが証明され、昨日から彼のことで持ちきりである。広島市民は良くぞ彼を「落選」させてくれた、庶民の「良識」がかろうじて「犯罪」を未然に防いだ、と感謝したいが、この程度の人物の正体を見抜けず候補者に選んだ『責任者』の方が問題だと思う。

ところで、皇室典範改正問題で、友人のジャーナリスト達と話し合っていたとき、一人が「これは将来の皇室廃止を狙っているもので、革命ですな」と言い「帝政が滅びると必ず独裁者が出現し、国民は塗炭の苦しみを味わう事は歴史が示している」と付け加えた。

多分「有識者会議のメンバー」は、それに気づいていなかった方々と、それを狙っている方々とに分かれるのではないか?どうも今年は日本国内に住む「日本人の顔」をした異邦人との戦いが始まるような気がしてならないが、友人は「いや既に始まっている」と言った。確かに友人が言うとおり、皇帝が退位し「共和国」が生まれると、その後恐るべき「独裁者」が誕生している事を歴史は示している。

ドイツ帝国は1918年11月の革命でウィルヘルム2世が退位し、やがて1933年にヒトラーが政権を取った。オーストリアも1918年10月に第1次世界大戦終了後カール1世が退位し、1933年にドルフィス首相の独裁を許し、やがてヒトラーに併合されたが後は言うまでもなかろう。イスパニアも、1931年4月の革命でブルボン王朝が滅亡すると、1936年にフランコ総統が独裁政治を敷いた。トルコも1922年にオスマン朝が滅亡し翌年ケマル・アタチュルク大統領が独裁政権をしいた。

ロシア帝国は1917年の二月革命ロマノフ王朝が滅亡し、レーニンが政府を組織、1924年にスターリンが天下を取り『悪魔の』独裁政権が続いた。

御隣の中国は“革命専門国”だが、1912年1月、宣統帝が退位するや、袁世凱・・・馮国璋・・・と続き、やがて毛沢東が独裁政権を確立した。その「マオ」がどんな独裁者であったかは、今ベストセラーになっている「マオ(ユン・チアン著)」を読めばよくわかる。

1970年3月、カンボジアで右派勢力のクーデターで、シハヌーク元首が退位した後の『ポルポトの悲劇』は記憶に新しい。こうなってからでは遅すぎるのである。人間は「身に降りかかるまで自覚しない」ところがあるがそれでは遅いのである。

ところで、畏れ多いことに「文芸春秋」2月号に寛仁親王と桜井よしこ氏との独占会見記が掲載された。その中で寛仁親王が「天皇様というご存在は、神代の神武天皇から百二十五代、連綿として万世一系で続いてきた日本最古のファミリーであり、また神道の祭官長とでもいうべき伝統、さらに和歌などの文化的なものなど、さまざまなものが天皇様を通じて継承されてきたわけです。世界に類を見ない日本固有の伝統、それがまさに天皇の存在です」と語っておられるが、私は「国にとっての振り子のようなもの」つまり「国の形が右へ左へさまざまに揺れ動く、特に大東亜戦争などでは一回転するほど揺れましたが、いつもその原点に天子様がいてくださるから国が崩壊しないで、ここまで続いてきたのではないか」と語っておられることに感銘を受けた。天皇は単なる象徴に止まらず、国民を纏める「振り子の原点」つまり日本国の平和と安定を保つ扇の要なのであり、それを壊すことは国家解体を意味する。将来の子孫のために「軽率」な判断は慎むべきであろう。

日本の歴史に小泉政権が「平成の『朝敵』であった」と刻まれない事を期待する。



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