"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

僕の生徒は学校に行っていない。まだ中2だから、別に浪人しているわけではない。関西の名門中学でいじめに遭って不登校児になったという。結局本人からその話を聞く機会はなかったが、会ってみたら実際にとんでもない生徒だった。

始まりは、指導前の準備に久しぶりに予備校を訪れたときだった。ビデオを見せられている間、隣のブースでものすごい勢いでしゃべりまくる声が聞こえた。仏教が正しいか正しくないか、というような話だ。古文の授業らしく、こんな張り切った先生もいるもんだな、と思っていたら、今までしーんとしていた方が「そろそろ進めたいんだけど」とぼそぼそしゃべりだした。何か話がおかしいことに気づいた。今30分ほど古文の先生だと思っていた方が、実は僕の指導する生徒だったのだ。確かに事務から変人だとは聞いていたけど、変人の寄せ集めと頻繁に揶揄される自分の母校や学部(自慢じゃないが)でさえ見たことがなかった。こんなのが中学校にいたら爪弾きに遭うのもわからないではない。

波乱の予感。とりあえず個別は初めてだし第一印象を損ねたくないので、云われたとおり初回の授業ではもらったテキストで数学を予習してちゃんと計画も立てて行った。僕は数学と物理の担当だったのだ。しかしそれは徒労だった。

予備校で彼と会い、挨拶をして二人で空の部屋に入った。僕は椅子に座ったが、なぜか彼は座らなかった。それどころか5つの指導ブースの間を行ったり来たりしはじめた。ひょっとして多動症か。僕はそんなに真面目ではないのでもう少し様子を見てみることにした。「まず最初に覚えてほしいんだけど」と6歳上の僕に敬語も使わずに彼が切り出したのは、相撲の話だった。彼はいじめられてから強いものに憧れるようになり、相撲が異常に好きになったというのも既に聞いていた。現在の力士の番付、相撲の階級制度の話や歴代横綱の話が終わると、次は彼の地元である和歌山の駅の名前を順番に勉強させられることになった。相撲にも電車にも和歌山にも何の興味も知識もなかった僕だが、とりあえず話を聞いてやってくれという事務からのアドバイスを胸に刻んでおいた僕は結局初回の2時間を適当な相槌だけを打って過ごし、事務に平謝りして帰った。

初回にやるはずだった授業は、次回が来ても半分も終わらなかった。好きでもない相撲の時事ニュースや歴史の雑談で毎回の授業時間の半分以上を潰しているうちに僕の授業計画はどんどん使い物にならなくなった。おかげで相撲の知識は少しはついた(と思う)。彼の相撲への執着は異常というほかなかった。

まず朝青龍と、柳川という八百長で有名な十両力士に半端ない愛情をもっていることがわかった。それ故彼は柳川および柳川の前の四股名である増健(ますつよし)につながりそうなもの全てを見つけてはうれしがった。京都市の木の一つがシダレヤナギであること、柳の漢字、柳川の出身地の高知県、柳川の趣味のパチスロ、柳川市、800という数字、年賀状の「ますます健康」の挨拶などなど。。。それだけでなく若乃花寄りの彼は貴乃花角界の汚物と忌み嫌うあまり、貴乃花に少しでもつながりそうなものが話題に上ると激しい拒絶反応を示した。貴の漢字はもちろん、貴乃花部屋とその力士、下の名である光司、「光」を意味するあらゆるもの(住んでいるマンションの名前とか)。自分の名前が「コウジ」(漢字は違うが)であることをタブーとし、事務には別名で扱ってもらうよう強く求め、果ては役所に行って改名してしまうほどだった。

彼が忌避した力士は貴乃花だけではなかった。モンゴル人力士を好む代わりにロシア・ヨーロッパ系の琴欧洲把瑠都露鵬を毛嫌いし、また柳川に勝ったことのある力士は全て彼の敵だった。学校に行かないぶん暇なのか、彼は自宅で2ちゃんねるなどというWeb1.0時代の遺物に浸りきっていた。柳川はメディア露出は皆無に等しいが、相撲板ではかなり人気の力士で何百というスレッドが立っているらしい。彼ら「増厨」にとって柳川の最大の魅力は八百長とパチスロだ。何だかもうデカダンなムードが満点だが、角界では八百長というのは案外まかり通っているらしい。常識的なスポーツマンシップ溢れるファンには許しがたい事実だ。朝青龍の八百長疑惑が出たときに議論してわかったのだが、結局彼は相撲というよりも八百長自体が好きなのでしかたないのだ。

こんな具合で、120分の授業のうち90分を雑談で潰し、20〜30分かけて数学の問題を1,2問解くという冗談みたいな授業スタイルが確立した。もともと時給が2000円だから、実働時間だけで考えると実にお得なバイトだ。けれど、その罪悪感と精神疲労と虚無感、自身のスキルアップということを考えたうえで僕はこの仕事を続ける気にはならなかった。さっさとやめるつもりで時間にもルーズになり、やけっぱちで一度遅刻したが、既に彼にはだいぶ気に入られていた。どうも相槌がうまく合いすぎてしまったようだ。

彼の家族にも何となく信頼されてしまったのか、冗談ついでに途中からはろくに勉強したこともない地理まで引き受けてしまった。指導可能教科に地理なんて書いた覚えはないし、センター試験を世界史一本で通した僕が地理を教える自信ははっきり言ってなかったが、地理好きの彼と地理を勉強すれば楽しいだろうし、自分のためにも一度ちゃんと勉強しておくべきだと考えていたからいい機会だと思って、親の頼みだというのと事務が「中学レベルだから」というのとを言質に引き受けてしまったのだ。が、パオとゲルが同じものだと知らなかったことを攻めたてられて困ってしまい、結局授業なんてやっていられなかった。それに日本の地理に詳しい彼は、意外にも世界の地理は嫌いなようだった。

彼の家系は南紀の豪族の末裔で、結構な大家族だった。聞いてもいないのに彼は親戚の本名をずらずら並べ上げ、それぞれの名前についての意見を僕に求め、僕の親戚の系図まで書かされることになった。自分の名前を気にしていた彼は他人の名前や命名・改名、画数占いなどへの関心も高かった。彼はある占い師を盲目的に信じているようだった。僕は占いには興味がなかったが、宗教の話となると別だった。彼は家族で仏教を熱心に信仰し、般若心経を完全に暗唱してみせた。行ったことのある地名ない地名、ひいては知人の住所まで何でもかんでも完璧に覚えてしまうその記憶力にもびっくりだが、キリスト教が大嫌いな彼は、カトリック教育を15年間受けている僕を散々になじった。

これにはたまりかねた。僕はクリスチャンじゃないからそれに応じる必要はなかったが、僕の信念のほうがそれを許しておけなかった。神が存在するのかしないのか、聖書に書いてあることが正しいか正しくないのかはどうでもよい。宗教においては信じることが随一の大義だ。確かに仏教的な世界観は神秘的なまでに合理的だが、特にキリスト教のような大半の宗教は合理性を無視し、信仰のみによって成立する宗教だ。そういう信仰にすがって生きる人間を排斥しようという考え方が植えつけられていくのは、生理的に受け付けられなかった。それは子供っぽい大人がよく言う「自分は神を信じないから神話も受け付けない」という理屈と一緒なのだ。神話にはロマンが、文化が、伝統があるだけで、物理学や考証学はそこには立ち入れない。

というかそういう小難しい話の前に、占いを信じている人間にカトリックの悪口を言われる筋合いを僕は見つけられなかった。だから徹底的に応戦した。僕の家も真言宗だしどちらかというと仏教の方が親しみやすかったが、それでも仏教のどこが非論理的かについて懸命に論駁した。そんなこんなで、地理の分がくっついて授業時間が3時間になっても実働は30分のままだった。それでも彼は僕との「議論」(授業ではなく)を楽しみ、僕の契約が切れても会ってほしいとさえ言ってくれた。僕も仕事の外でなら会っても面白いかなと思っていたのだが、昨夜事務から電話があった。出られなかったので今朝かけ直したら、予約中の授業を全てキャンセルされたということだった。

寝起きで初め意味がよくわからなかった。今日の授業だけならまだわかるが、何故あと数回分の授業をキャンセルするのだろう。段々意識がはっきりしてきて衝撃が襲ってきた。それは僕がとうとう彼の親に見限られたということだった。よくよく考えてみればこれは自分自身が望んでいたことだ。そのおかげで僕はこの辛い子守の任務から解放される。ありがたい。自分からやめるとは言い出しにくいから、先方に切ってほしいとブログにも書いた。しかしこの虚しさは何だろう。読んでいる皆さんには多分よくわからないと思うが、やられたという気持ちでいっぱいだ。3月いっぱいでやめるとこちらからはっきり言っていたので、まさかその前に先方から切られるというのは想定していなかったのだ。激しい不完全燃焼。このタイミングで。これが仕事を失うということなのだ。プログラミングのバイトがなければ、この絶望感はきっと倍増していただろう。

両親とはついに一度も直接話をしなかったが、我がままな息子を川西から京都まで送迎し、こんなくだらない教師に15万近くの金をつぎ込む親の苦労を思えば、僕はこの仕事から降りるしかない。彼の家族は、僕に代わる数学の教師をまた探さなければならない。社会に疎外され、家族を振り回しながらあちこちを転々としていくだろう。国家の礎たる教育は、完璧でなければならない。つまらないいじめのせいで学校教育を受けられない彼に数学をたたきこんでやろうと、初めは僕も意気揚々だった。でも僕は結局、彼に何も与えられなかった。教育は、僕のような無責任な半端者の仕事ではない。学校が彼に与えるべきものを、彼は得られない。誰かが僕の代わりに、彼をしっかり教育してやってくれるといいのだが。

半年間だったけど、僕にいろんなことを教えてくれてありがとう。