"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

一過性といえば

どんなことでも云えてしまうんだけど、

  • 戦後日本の平和も一過性かもしれない。
  • 平和ボケに根ざしたニートやフリーターといった社会現象も一過性かもしれない。
  • 「組織に根ざしたモノづくりの復権」を語るjkondo社長のインタビューにもあるように、現在のオープンソース運動の流行の一部は一過性かもしれない。
  • GoogleによるSNSの統一*1という世界的な盛り上がりも一過性の表面的なものかもしれない。これはある人の意見を少し膨らませてみたもの。

年金問題が深刻化しているが、国民の完全な管理(行動監視ではなく数値的把握)は国家が当然備えるべき機能だ。かつては個人レベルでなら年賀状を書くために友人を表管理ソフトや専用ソフトで管理するなんてことは朝飯前だったが、自分の小学校の名簿からは遅くとも1998年には住所情報が消えた。住民基本台帳なるものがようやくできた(2002)頃にはプライバシーなる語がすっかり人口に膾炙する時代になり、人間を一人ずつ管理するシステムは残念ながら一時後退したかに見えた。*2

その流れを変えたのがMySpace(2003),mixi/GREE/orkut/Facebook(2004)などのSNSだ。国家に任せておくとどうなるかわからない人間管理をSNSは見事に再現しつつある。それもプライバシー問題を巧みに交わしながら*3必要な情報だけきめ細かく収集・提供する。少なくとも統計計算用玩具としては実にうまくできている。

しかし単に人間と人間をつなげるという機能しかないのなら、SNSはそれ以上の何モノでもない。プライバシーが出てくるよりもう少し早く国家がやっていたかもしれないことを、民間企業や物好きの学生がやっただけ。それならSNSの動きというのはただ単にSNSがのっかかっているWebというプラットフォームの動きに還元される。SNSが不要な情報を巧妙に秘匿しつつWebを面白く見せたものに過ぎないとしたら、バラバラになりすぎた地球上のSNSが統一されるのは何の不思議もない自然の流れということになる。SNSスフィアの行方を見守る身としては、ここでSNSの本質やコアコンピタンス(統一されたSNSはWeb3.0と呼べるような目新しいものなのか、それとも従来のWebに戻るだけなのか)について再考、熟考してみたほうがよさげ。

ああ、なんかまとまりがなくなってきたな。特に海外SNSに関する知識蓄積も少ないし。でも未来学はやっぱり面白い。

*1:うまく行けば。

*2:個人情報保護法完全執行は2005年。

*3:ユーザー層があまりに低リテラシーなため交わしきれてないという説もあるが、ネットの匿名性は極めて日本的な性質なので問題意識の焦点が国内外でずれるような気が。