今日までそして明日から

こんばんは、ラガーです。昨年の晩夏より始まりましたJapan Young Greens高尾プロジェクトも、3月29日を以て一旦の終了となりました。これまでに関わって下さった方々に、改めて心からの感謝の辞を申したいと思います。本当にどうもありがとうございました。

高尾プロジェクトはメンバーの多くがこの春卒業し、社会人になります。そのため当初より、本年3月一杯での映画・パンフレットの完成を目指して参りましたが、取材日程が押していること、編集作業に想像以上に時間がかかっていること、詰まるところ企画責任者の私の力不足により3月完成は間に合いませんでした。パンフレットは後輩諸君が奮励努力してくれたおかげで何とか形にはなりましたが、映画の編集が遅れています。当プロジェクトの映画を心待ちにして下さっている「奇特な」方々に向けて、厚顔にも今しばらくのご辛抱を願う次第です。

今後は当ブログにおける日記更新は終了し、新しきブログに「製作日記(続編)」を書いて行きたいと思っています。映画完成後はそのブログも終了し、またまた新たな「上映日記」なるブログをヤンググリーンズ第三期生が書いて行ってくれるのではないか、そんな期待をしています。

昨年の晩夏以来、短いようで長かった、長いようで短かったこの半年。Japan Young Greensのメンバーとともに高尾プロジェクトに取り組めたことを、僕は非常に嬉しく思っています。ブログを一日も欠かさずに管理してくれていたもあるー、どんな仕事でも進んで引き受けてくれるだいごー、曲調の注文にすかさず結果を出してきてくれるエノさん、パンフレットの構成を一から考えてくれた慎どん、道研が中々進まない時もいつも調査を進めてきてくれたリッチ、高尾山圏央道トンネル問題の歴史を丁寧に説明してくれたあねご、ミーティングの空気を盛り上げてくれた元気印どらみい、パンフレットの終盤戦を支えてくれたとめちゃん、エココンでの堂々としたプレゼンを果たしてくれたコービイ、吉山先生とのハード登山に付き合ってくれたオスカー。
本当に多くの仲間が力を出し合って、ここまで来ることが出来ました。あと少しで完成、というところで離れ離れになることは残念の極みですが、ここは緊褌一番、フレッシュマンとして4月からの新しい船出に向かって下さい。

私は4月以降もほぼ個人戦で、映画製作を続ける所存です。以前よりご紹介している映像サークル「風の集い」の方々にお力をお借りしながら編集を続け、同時に撮り残っている素材の撮影にも足を運びます。プレ版2には、映画完成は「今春」と記していますが、新芽の息吹く頃には出来るか、はてはて新緑の鮮やかな時期まで見越すか、はたまたセミの合唱が耳をふさぐ時までかかるのか。そんな弱気を申しておりますが、これはひとつの諧謔です。遅くとも新緑の時期には、皆様の下に完成した高尾プロジェクト映画「裏高尾、24年目の春」(仮題)を届けられるように努力したいと思います。

最後に高尾プロジェクトに関わってくれた仲間たちへ贈る応援歌!
みんな、新しい道にファイトです!

【今日までそして明日から:作詞作曲 吉田拓郎

 わたしは今日まで生きてみました
 時には誰かの力を借りて
 時には誰かにしがみついて
 わたしは今日まで生きてみました
 そして今 わたしは思っています
 明日からもこうして生きていくだろうと
 
 わたしは今日まで生きてみました
 時には 誰かに裏切られて
 時には 誰かと手をとり合って
 わたしは今日まで生きてみました
 そして今 私は思っています
 明日からもこうして 生きてゆくだろうと

 わたしには 私の生き方がある
 それは恐らく 自分というものを
 知るところから 始まるものでしょう

 けれど それにしたって
 どこで どう変わってしまうか
 そうです 分からないまま生きてゆく
 明日からの そんなわたしです

 わたしは今日まで生きてみました
 わたしは今日まで生きてみました
 わたしは今日まで生きてみました
 わたしは今日まで生きてみました
 
 そして今 わたしは思っています
 明日からもこうして 生きてゆくだろうと

「同行一人」(Part.2)

金曜日に復帰しました、ラガーです。今月の14日に書きました「同行一人」の続きを書きます。

昨年の6月、私は南浅川にある圏央道収容予定地を歩いていました。恐らく反対運動を展開する方々が紐につるしたであろう「怨」という字を刻印した紙が、川から吹き降ろしてくる冷たい風に寂しく揺れていました。私は予定地周辺をぽつねんと歩いていたのですが、そうした時一人の年配の男性が私に声を掛けてきました。
「すいませんが、この辺に○○○は無いですか?」(○○○は結局失念してしまいましたが、お寺さん関係でした)
「私、土地のものじゃないんで存じ上げないですねぇ」と答えた私だったが、このおじいさんが気になって仕方がない。そこで、つらつら会話を重ねていたのですが、どうやらそのお寺さんで般若心経を読誦したいのだというのです。益々このおじいさんに興味を持った私は、自然と「付いて行っても良いですか?」と尋ねていた。
「知らない人には付いていっちゃ駄目よ」と普通の子供と同じように教えられて来た私であるが、もう分別もあるいい大人だし、ということでヒョイヒョイとおじいさんの後を付いて行ったのです。

おじいさんは60年安保の頃に学生運動をしていたそうで、機動隊に警棒で足をしたたか殴られた話や、日の出闘争でパクられた話など、実に楽しい話を聞かせてくれたのです。収用予定地で出会ったのが午後一番の時間帯。それからお寺さんを探して歩き続けて3時間から4時間、その後橋本駅(?)で別れるまでの3、4時間、計7時間余りの時間を問わず語らず歩いて行ったのです。

おじいさんとの邂逅の中で、最も印象に残ったのが、仏教の話でした。般若心経のことやオウム事件のことなど「生きるということ」の実際について、伺ったのです。特に印象深かったのは、オウム事件のこと。おじいさんの知り合いでもオウム真理教に入会した方がいたそうで、オウム真理教について色々考える機会があったそうです。おじいさんは話の中で、
「オウムが一番間違ってたのは、汚れた人は自分たちがポア(殺害)して良いという考えを持ったこと」、
「一緒に笑ってやることも大悲のうち」、
「”いい加減”の中に真理があるんじゃないか」と、何気ない様子で語っていたのです。

目的のお寺さんで般若心経を朗々と読誦し終えたおじいさんは、橋本駅までの道すがら、「今日は四国お遍路をやり直すための足慣らしで来たんだが、良いトレーニングになったよ」と穏やかに目尻を下げていました。

「縁があったらまた会おう」。別れ際に握手をして別れたおじいさんの矍鑠とした後姿が、懐かしく回想されます。

私は、今回のブログのタイトルに、「同行一人」と書きました。本来ならば当然「弘法大師と私」ということで「同行二人」とするのでしょうが、私は今、それが出来ません。こんなことを言えば、おじいさんに苦笑されるのがオチでしょうが、なんともかんとも仕様がないのです。
話があちこち飛びますが、今日、八王子市役所交通政策室の方にお会いして来ました。もちろん高尾プロジェクトの映画製作についてご協力を頂けるようにお願いしてきたのです。目的は、現八王子市長黒須隆一さんに取材をお願いしたいとのことなのですが、非常に好意的に受け取って頂いて、「圏央道推進派・反対派」双方の想いを同じだけ取り入れたいという私たちの考え方に、理解を示して下さった模様です。今後市長に話を上げ、後はご返答を待つのみ、といった所でしょうか。

それはさておき、何故この話をしたのかと言いますと、市役所からの帰り道の途中真宗大谷派の寺院があり、桜の花もこじんまりと、品良くまとまっていたので「ちょっと休憩」と思い、立ち寄ったのです。私は最近桜の花が好きで無く、何とはなしに視界から避けるようにしているのですが、それと言うのもあの「咲き誇る」という感じがどうしても好感が持てないのですね。花弁を一杯に開いて所狭しと自己主張しているようで、「実ニ片腹痛シ」と常々思っているのです。高尾山の植物学者の吉山先生が「私は花弁の無い花が好きで、花弁に騙されたくないんですよね」と仰っていて、「先生らしいなぁ」と思ったことを思い出しますが、私も最近、あの百花繚乱というような風景が非常に厭わしく思っています。

とまあそんな話は置いといて、寺院からの帰り道の話。境内を潜るときは気が付かなかったのですが、ふと門前の横にある張り紙に目が止まりました。それは寺院の門前によくある、「謦咳」とでもいうものでしょうか。そこには、「仏様にすがらずに一人で生きようとする慢心した者すらも救うのが大悲」といった趣旨のことが書かれていました。
「大悲」、すなわち仏様の「悲しみの中に暮れている人と共に悲しむ」という精神ですね。またまた話が飛びますが、先日ある自民党代議士を招いた環境問題の勉強会に参加したのですが、その中で某代議士が「人の喜びをわが喜びとする」ことが私の政治理念、と仰っていたのです。
私は率直に言って違和感を感じました。政治とは喜びの総量を増やすことではなく悲しみの総量を減らすことであると考える私にとって、某代議士にあまりに軽薄な感じを抱いてしまったのは肯なるかなというところでしょう。大平正芳元首相は「政治とは鎮魂である」と遺しましたが、哲学を持つクリスチャン宰相の面目躍如ではないでしょうか。
門前に掲げられていた「大悲」の言葉には深く考えさせられますが、私はそれでもやはり、「自分の言葉を鍛えてみたい」という衝動に突き動かされます。言葉を超えたところに何らかの「境地」を探すのではなく、真理の追求を妨害する稚拙で脂下がった言動を論難し、と同時に絶えざる自己省察を繰り返す。つまりは、「自分の言葉を鍛える」ということ。但し、言葉を鍛えるということが、だた「論理的」に語るというだけのことを意味しはせず、頭からのみ現れた言語ではなく、肉体から奔出した、熱き血の躍動する言語であること。硬質な、同時に触れると火傷するような、そんな言葉。

それを鍛えるために、まずは「同行一人」で歩いてみたいと思うのです。

(次週に続く)

人として軸がぶれている

りっちです。現状報告をさせていただきます。
昨日のミーティングでは自分の力の無さを痛感しました。今は死に物狂いで原稿の修正(おそらく大部分は変わる)をしています。
さて、あれから図書館へ行って道路関連の専門書、さらに天狗裁判の文献を細かく調べ、照らし合わせを行っている最中です。正直言って明日が締め切りとなると重い・・・
しかし、ここで根をあげるようでは男が廃るもの。
眠眠打破を購入し完全徹夜作業の準備は万端です。最後だけ有言実行を守りたいところ。

高尾プロジェクトももうすぐ終わり、次からは新しい企画に移っていきます。
現在挙がっているものが二つあります。
○政策づくり
発電やエネルギー部門に焦点を合わせた政策立案を自分たちで行い、それを持って政策コンテストに出場する。
○温暖化シンポジウム
政治家や専門家を招聘し、京都議定書が達成できなかった場合のデメリットや、現在の取り組み状況についてパネルディスカッションをしていただく。

後者についてですが、これは企画の続行が困難極まりないものです。これは単に私が忙しいとか、そんな理由ではありません。
以前、こちらのブログでも述べました通り、企画責任者である私が「開催までに何をどこまで調べれば良いのか」が把握できていないのです。
京都議定書目標達成計画をはじめとする政府の資料を虱潰しに探していく、温暖化に関する最近の情報を集める、環境経済学をはじめとする環境関連の各学問に当たる、どれも必要だと思います。
しかしです。
今リストアップされているパネリストの方々に来ていただけたとしても、どこまで調査を行えばパネリストの方々に満足していただけるような議論の場を提供できるのかが分かりません。企画発案者とよく話し合う必要があるかと思われます。

そしてもう一つ、重大な理由が。
この企画が挙がったそもそものきっかけが「鴨下環境大臣がユースG8へ『七夕プロジェクト』という企画を提案した」ことです。政治家をはじめとする日本のリーダーと学生が対等の議論、それも温暖化対策の議論を行えるように、その足掛かりとしてこの企画を立ち上げたのです。
ところが、専門知識を持っていない学生が政治家の方々と対等な議論を行うこと自体が単なる思い上がりに過ぎないのではないか、という意見がありました。
確かに、政治家の方々が要求するほどの高度な専門知識を持ち合わせていない我々大学生が対等に議論しようと思っても、ある一定のレベルに立つ人から見ればレベルの低い議論になるのかもしれません。
対等な議論をしたければ、まずはスタッフになる我々だけで対等な議論ができるだけのレベルに達するよう、死に物狂いで学問の追求に勤しむしかないのでしょうか。

私は以上のような過程から、高度な専門知識と高水準の教養を持ち合わせ、それを将来にわたって使えるツールとし、一定の肩書きを得てから専門家と議論する必要がある、そう考えるようになりました。現在、とある難関資格に向け勉強を始めているところです。

政治家の方々にとってみれば
「学生に対等な立場で協力したって、選挙で有利になるとは限らない」
そう考えてしまうのが自然であるようにも思えます。中には「将来を担う学生の支持を得ることで、長い眼で見れば磐石な地盤のもとで、確実に日本をより良くしていける」と考える政治家もいらっしゃるかもしれません。ですので実際は分かりませんが。
ただ、学生と青年のみのスタッフによるシンポジウムを、政治家や専門家の皆さんはどうお考えになるのでしょうか。

以上に述べた話はまた重い論点ですが、これは新年度以降、ヤングリ各メンバーの皆さんに改めて話したうえで、意見を受け取りたいところです。

最後まで稚拙な文章になりましたが、ここで執筆を終えさせていただこうと思います。

環境科学会と政策提言

こんにちは、とめです。
14日に環境科学会20周年記念シンポジウムに行ってきました。
参加されている方々は(他にも大学生はいましたが)研究者の人が多かったらしく、内容は研究者の視点に立ったものでした。全体を振り返ってみると、数ある“環境”研究学会の問題意識としては
・各学会が連携をとって(全体を俯瞰した)鳥瞰的な研究、政策提言を行うこと
・研究成果をもっと政策提言として行政側に提示していくこと
・“環境ちゃかし派”の言い分に如何に反論していくか
・メディアで如何に「環境問題」を表現し伝えるか
ということが挙げられるでしょう。特にメディアでは「分かり易いこと」が求められ、一辺倒な報道が成されています。しかしながらこの話については、政治にしても環境問題にしても分かり易いことなんてないのだ!分かり易さを求めるなんて日本人の頭脳をバカにしている!という講演者のメッセージが印象的でした。諸学会の研究者の方々も「メディアにおける表現」については難しさを感じているようで、それが研究学会と市民と行政3者の距離が縮まらない原因であるのではないかと思います。
やはり研究というものは社会に研究成果が還元されてこそ、研究の意義があるものではないかと思います。確かに純粋な探究心というものもあるかもしれませんが、研究費を国民が負担している部分もありますし、研究学会側としても市民としても、“学会は一般市民とはつながりが薄い学問という閉じた世界もしくは崇高な位置にある”という感覚があるのではないでしょうか。学会が超然的な位置にあるという感覚は一般市民としては“学会はかけ離れた存在で一般社会の世界とは違うのだ”という雰囲気が出されているようで寂しい感じがします。

確かに政治問題も環境問題も、複雑極まりないし未解明な部分が多いからこそ分かりにくいのであって、だからこそ大問題なのだと思いますしそれを分かり易く伝えろ、というのは受け手側の努力を想定していないと言えるでしょう。実際に私も環境問題に対する興味から政治を少しずつ勉強し始めて分かりにくいなぁと思いますが、勉強していくとちょっとずつ面白いなとも感じられるようになりました。だから政治とか、使われる表現、用語が難解なまま伝えていいのかもしれません…。
ですが、入り口を広げるという意味でLobbyingは大切ですしそのために「分かり易さ」も「メディアでのLobbying」もかなり重要だと思います。ただしそれを研究者がやることは、研究者であるが故に厳密な点を知っているからより一層「問題の簡略化」は難しいのでしょう。それを研究者以外がやると…結局は今の事態と同じように、環境問題であればただ「CO2⇒温暖化」という図式になってしまうのではないでしょうか。分かり易さ、という点では評価できると思います。小学生でもみんなが「環境問題」と知っているのですから。もっと知りたいと思ったときには自分で自然に調べるものですし。ただそこで問題に興味を持ったとき、表面的な情報ではなく問題を知るためにはきちんとした勉強が必要なのだということに気づかなくてはいけないと思います。問題は簡単じゃないんだよーと言うことも合わせて認識される必要はあるでしょう。
また、学会としても政策提言をもっと行っていくべきだという点について、研究者側としては政策作りの知識も学ぶことになるでしょうし労力を割くことになるので、時間や手間がかかり非常に実行しにくいことだと思います。(経験者の方は「勉強すればなんとかなりますから、恐れずにもっと若い研究者も政治の世界に入っていくべきです。知識はホントに後からで大丈夫ですから」と言っていましたが。)
そこで、学生という一市民としてこのシンポジウムを通じて得たことには何があるか、得たものとして出来るか、と考えますと、学会側と行政側に壁があり、さらにより厚い?別の壁が市民との間にあることが分かった。⇒なら市民が研究学会とつながりを深めるために必要なことは何か。市民と学会のつながりというのは政策として行政を通じて実現されるものだと思う(研究ボランティアや学会の研究成果の発表による研究内容の提示などを除いて)。学会と行政の間に、学会からの政策提言が進まず行政も調査不足で研究成果を活かせていないという壁があるというのならば、市民側が政治に環境面でのニーズを提示して主張していことで、行政が研究を活かすことを促進できるのではないか、ということです。⇒だから、もっとヤングリ頑張ろう、と。結局はそこになります。もっと勉強しようと。あともっと環境やってるみんな政治についても勉強しよーと。そんなこんなな感慨にふけったシンポジウムでした。勉強しよー :-)

執筆者:とめ

残り3ハロン、大外、手応えはグンバツ!

月曜日に登場、ラガーです。先週はだいごーに代わってもらいました。欠かさず更新されてきたブログも最近は息切れ気味、29日のプロジェクト終了日まであと少し、追い込みです。苦しい時こそ一杯のティータイムを忘れずに。イクサの前の英国海軍よろしく、鼻歌交じりで行きましょう。
さてさて、ドキュメンタリーの進み具合はと言いますと、例えるならば97年の天皇賞・春マヤノトップガンの第4コーナーの位置(詳しくは以下を参照されたし【JRA公式サイト http://www.jra.go.jp/50th/html/50horse/12.html】)とでも言いましょうか。或いは96年の菊花賞ダンスインザダークの第4コーナーの位置(http://www.jra.go.jp/topics/bn/vg_yusyo/yusyo_danceinthe.html)とでも言いましょうか。

ちなみに、それぞれの場合の実況は以下のようなものでした。アナウンサーはいずれも杉本清

【97年天皇賞・春 マヤノトップガン号】
マヤノトップガンはこの辺り、うまく言ってるのではないでしょうか!トップガン外、トップガンは大外!」
【96年菊花賞 ダンスインザダーク号】
「ダンスは馬込でもがいている、割ってこれるか、一番内であります、ダンスピンチか、ダンスピンチか!」

どっちにしても、状況は「後方待機」、「手応えは未知数」と言うところでしょう。しかし、どちらのレースも残り1ハロンの実況はこんな感じでした。

【97年天皇賞・春 マヤノトップガン号】
「大外から何か一頭突っ込んできた!トップガン来たトップガン来たトップガン来た!」
【96年菊花賞 ダンスインザダーク号】
「おーっと外からダンス来た!ものすごい脚はダンスインザダーク!」

目の覚めるようなゴボウ抜き。この辺り「走れコータロー」を彷彿とさせます。どの馬も追い込み中はきっと無心になって走ってることでしょう。ただ風のように、駆け抜けて。
29日には映画を「ひとまず」完成させて、ヤンググリーンズの全体会を初お披露目の場にします。どんな反応が返ってくるか、今から楽しみです。そして午後にはお花見。今からだらしなく酔い潰れている自分の姿が想像できます。
映画はその後「風の集い」の方々に見て頂く予定です。日々、直線追い込み中の名馬のように、一陣の涼風を感じさせてくれる「風の集い」の方々。その物腰柔らかな表現力、的確な批判精神、対象を見る目の温かさ。編集の手直しについて、教えを乞う予定です。

さてさて、それではそろそろ御暇して、あの臭気漂う(発生源は僕か、だいごーか、両方か)編集小屋へ戻るとしましょう。みなさん、また近日に。

近況

さて、前回プレ2を公開したのですが、一昨日の水曜にお世話になっている風の集いの方々にも見ていただきました。で、感想をいくつか頂いたのですが…

Q.結局、いつ本編は見せてくれるのか?

A.とりあえず、今月末に本編のβ版を公開予定です。

Q.その後は?

A.ラガー監督が満足するか諦めるまで。・・・ですかね?(一応、今春中には完成予定ですが)

まー、数ヶ月はたまた数年後に高尾山に山男が現れるという噂が流れたら、まっさきにラガーを疑いますがね(笑)
ま、でもそのくらい、彼はこの作品に魂込めてます。自分もささやかながらお手伝いしております。