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水のない場所

2018-02-12

雨降山で




高校のあった市の境にある山はf:id:saya2638:20180212130345j:image:w250:right

阿夫利山(雨降山)とも呼ばれていました。

頂上からは富士山も

遠くに江ノ島三浦半島も見える。






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雲がさしてきて 風花

てをのばす 間もなく


f:id:saya2638:20180212130335j:image:w300:left 降る雪の

激しく降る雪の


半刻ほど 剥離した空の

しずまるのを待つあいだ


暖かい豆腐を掬って

こんなことはめったにないのだと

店のひとに笑いながら言われました。












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外に出れば

透明に包まれて

なにがかくされたのかもわからなかった。

金雀枝の繁みや百葉箱の裏の黒土

櫛 という文字 ?





共にいる というのは

意思によってというより

なにかの偶然と個々の必然によって

世界の断面に居合わせてしまう

ということの方が近い




その世界はもしかしたら

作られることができたかも知れなかった。

縦糸と横糸 さまざまなコラージュによって。

それなのに ひとりひとりが 個別の空を剥離させては

その断片を踏みしめて

歩いていく。 なにかをもとめて


そんなことを一瞬ですが思いました。










2018-02-03


諦観を肯定と言い換えれば

少しだけ不安定に未来を踏むことができる。

不安定な未来の足場、これ以上得難いものが他にないと思ったときはそうするものなのでしょう。

数日、数ヶ月、数年、数十年まで頁を遡って

数枚を破りとることも造作もないことなのかもしれない。




ただ それをしない

しないのです




欲望 と呼んでいいものかどうか わからないけれど

私は私の感受性?のようなものをおそらく

もう少しかまってやりたい とどこかで思っているのでしょう。

それに飽きてしまったら本当にもうお終いなので。




それは、織ると何故か介在してしまう自分に

心底うんざりしてしまう言葉に於いてではなく

できれば普段の生活のなかで為されるといいな とも

思っています。

難しいですよね。難しい。