sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

あなたを知っているというだけで。

sayakot2012-11-02

“I feel I am a better person for knowing you”
(あなたを知っているというだけで、私は少しだけ良い人間になれた気がする)”


初めてこのフレーズを聞いたのは、アメリカの高校に留学していた時のこと。卒業する友人達とYear Book (卒業アルバムのようなもの)にメッセージを書き合っていた頃。私も一年間の留学が終わろうとしていた。それは、担当だった英語教師からのメッセージとして書かれていたもので、正直、彼女と自分の関係性を考えると、いくらなんでも大げさだろう、というのが真っ先に持った印象だった。が、そのいかにも英語らしい、ストレートに感傷的な言葉の響きに、どこか強く惹かれたのも覚えている。いつか自分が、その人を「知っているというだけで、自分が“少しだけ良い人間になれた気がする”」と、本当にそう感じさせられる人に出会うことがあるとしたら、その時はその言葉通りに伝えてみたい――高校生ながら、そんな決意じみた妙な願望を持ったのを覚えている。あれから15年経つが、幸いなことに、というのか、その機会は1、2度あった。また、いまだ伝えられないままだけれど、会う度にこの言葉に初めて出会った時のことを密かに思い出させられる人もいる。


アト・デレジェ(「アト」は男性に対する敬称で、Mr.のようなもの)は、2年2ヶ月の間、私の家の門番として働いてきた。年齢は30代半ばくらい、家族がいないらしいことはなんとなく分かったが、それ以上のことは最近までほとんど知らなかった。毎日早朝から欠かさずに家の周りと庭の掃き掃除をし、雨の日には、レインコートで水ハキをし、庭の芝を刈り、雑草を抜き、水やりをし、我が家の犬2匹に餌をやり、甘やかされてすっかりわがままになった犬達を、愛おしそうにせがまれるままにいつまでも撫でてやる。洗ってくれなどと一度も指示したわけでもないのに、週末の犬のシャンプーはいつからか恒例となった。メイドのメクデス嬢曰く、犬がご飯を食べないときには、彼は手でドッグフードを練って一口サイズにしてから口先まで運んでやっているそうだ。「お犬様」状態に甘やかされ、得意げになっている我が家の犬たちをおかしく思うと同時に、彼らがアト・デレジェの姿を見つけると猛烈にしっぽを振って(私に対する以上)喜ぶ理由がよくわかる。


彼はまた時々、ペットボトルを半分に切った手作りの花瓶に、花を沢山さして家の扉の前にそっと置いておいてくれる。彼は決して、押し付けがましいパフォーマンスをしないのだ。庭の花を使っている時もあれば、一体どこから持ってきたのだろうという花をさしてくれていることもある。エチオピア正月のときには、朝起きて家の扉をあけたら、季節の花「マスカル・フラワー」が玄関先いっぱいに置いてあった。


アト・デレジェの優しさは、私と犬たちに対してだけではなかった。彼は、メイドのメクデス嬢が掃除をしているときも、何か手伝うことはあるか、買い物の用事はないかと必ず聞いてくれるのだという。彼女が妊娠中だったころは、体にいいからとよく果物を持ってきたそうだ。それでも、家族のいない彼を気遣って、彼女が正月のときなどに自宅に彼を招き入れようとすると、彼は遠慮して、決して応じようとしないのだという。「あんなに純粋で、見返りを求めない人に、私は会ったことはないわ」とメクデス嬢は言う。


エチオピアに住む外国人や企業の間では、警備は専門の会社と契約するのが普通だ。企業に支払われる相場は一ヶ月3000ブル(約1万3千円)くらいだが、配置される警備員本人の手元に渡るのは月400ブル(約1840円)程度だと聞く。いくら途上国とはいえ、インフレが続くアジスアベバで、1日わずか60円でどうやって生活できるのか、理解出来ない金額だ。アト・デレジェの場合、私は大家の紹介で個人契約を結んでいるので、彼には直接毎月1100ブル(約5060円)を門番代として、300ブル(1480円)を庭師代として払っている。だが正直この金額でも、給与を渡すたび後ろめたい気がしてきた。私達外国人は、1回に200-300ブルの夕食を外食することも珍しくないからだ。


しかし今回メクデス嬢に聞いた話によると、初めて給料を受け取った日、彼は、「人生でこんな大金を手にしたことがない」と、とてもびっくりしていたそうだ。地方の出身の彼は、母親を早くに亡くし、父親が再婚をしたのをきっかけに、14, 15歳のときに一人アジスアベバに上京し、当初は路上生活をしていたらしい。『それが今は自分で部屋を借りられるようになって、自分の銀行口座を持てるようになったんだ』って、本当に嬉しそうに言っていたのよ、とメクデス嬢は教えてくれた。


英語が全く喋れず、アムハラ語はなんとか書ける、という彼に、今年の9月から、私は夜間学校の学費を出すことにした。自分がいつまでもエチオピアにいる保証はないので、その日に備えて、できる限り彼をサポートしたいと思ったのだ。学費がどれくらいするのか見当がつかなかったが、彼が持ってきたレシートに書かれていたのは、入学金50ブル(約230円)と月々20ブル(90円)の授業料だけだった。彼は元気に小学1年生のクラスに通い出した。
そして一昨日の朝、10月分の給与の受け取り証明のサインをもらおうとしたら、書面にいつものアムハラ文字ではなく、アルファベットが書かれてきたので、びっくりして思わずぱちくりとして彼の顔を見つめてしまった。今まで2年以上、私は彼をファーストネームでしか知らなかったのに、思いがけず本人からフルネームを知ることになったのだ。デレジェ・アベラ、と名前を読み上げると、彼は嬉しそうに頷いた。学校に通い始めて1ヶ月半。教育とは、こうやって人に変化をもたらすのだなと実感した瞬間だった。


しかし今、彼のこうした変化が、私の心を重くしている。実は諸事情で、急遽、来月末に今の家の契約を終え、彼との個人契約も打ち切るしかなくなってしまった。今日、事務所に、彼をオフィスの警備員として雇うことはできないかとダメ元で相談してみたが、そもそもGrade 8 (中学2年生)を終えていないと、資格要件に満たないのだという。飛び級制度がないエチオピアでは、小学1年生をつい先月始めたばかりの彼には、(今後運良く勉強を続けられたとしても)、8年後まで機会さえ与えられないことになる。途上国では、時に、先進国以上に学歴による序列があるが、そうでもしないと雇用にあぶれている人が多すぎるということなのだろうか。私は他にもエチオピア人の友人達にあたってみたが、企業やNGOの警備員やドライバーといったポジションは、低所得層にとっては比較的アクセスしやすく、また日雇い労働に比べるとまだ恵まれているので、関係者の親戚等に融通し合うことが多いのだと聞かされた。


このままでは、彼は道半ばでまた元の世界に戻ることになる。中途半端な支援が最も残酷なのだと、この仕事をしていて十分に知っていたはずなのに、今まさに自分が彼をそうした状況に置きつつあることに、胸が押しつぶされそうになる。職を失うという意味では同様の状況にあるメクデス嬢さえ、「私は結婚しているから、今の仕事がなくなってもどうにかなるけど、デレジェのことはすごく心配なの。なんとかしてあげて」と懇願される。


いたずらな気休めは言いたくないが、同時に完全に希望を失ってほしくもなくて、昨日の朝、オフィスを出る前に「なんとか代わりの仕事を見つけるから、どうか心配しすぎないように彼に伝えて」とメクデス嬢宛の連絡用ノートに書き置きをした。夕方、家に戻ると、まだメクデス嬢が掃除をしていて、私を見ると、「彼にあなたの書いたメモを読み上げたら、彼、子どもみたいにぽろぽろ泣き出したのよ」と悲しそうに教えてくれた。そして彼女はその場で彼を呼び、ほら、なんとかしてくれるって言ってくれているんだから、御礼を言いなさい、と教師のように促すと、彼は下を向き、またポロポロと涙を流した。大の大人の男性がそんな風に泣く姿を見たのは、初めてで、ただただ頬を伝い落ちる彼の涙に、私もメクデス嬢も顔を見合わせ、気付いたら3人で立ち尽くしてぽろぽろ涙を流していた。切ない夕方だった。


学校に行くことが決まったとき、「学校に行かせてくれるなんて、お母さんみたいだ」とデレジェが言っていたことを、帰り際、メクデス嬢は教えてくれた。デレジェの方が年上のはずなのに、お母さんと言われるのはなんだか変な気持ちがしたが、早くに母親を亡くした田舎の青年がこれまで一人都会で生きてきた苦労が想像されて、また私が以前一時帰国するときに、私の母宛にと伝統的なショールを買ってきてくれたことを思い出して、彼の温かい気持ちが今更に伝わってくる気がした。たまたま外国人であるというだけで彼よりも多くのお金を持ち、また外国人の感覚からいうと「格安」の給与を払っているだけだったのに、「母親みたい」だと恐らく心の底から言ってくれた彼の純真さに、わたしはただただ、恥ずかしいような、情けないような、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、また同時に、I feel I’m a better person for knowing you という、しばらく忘れていたこの言葉がわき上がってくるのを抑えることができない。


アジスアベバ在住の皆さま、なにかお心あたりがおありでしたら、是非ご連絡下さい。
何卒よろしくお願いいたします。