第3次フェミニズム

昨日の日記から「フェミニズムキーワードリンクで飛んでみたらなかなか面白かったです。
キーワードで登録されていたサイトhttp://www.macska.org/emerging/index.html。98年当時にはこの「第3次フェミニズム」って国内では新しかったのかな? 「Papa told me」が92年頃からだし自分もそれを読んで考えを深めたからもう少し前からあったと思っていたのだけれど。
多くの日記は「ジェンダーフリー運動」について(主に否定的に)触れてたり。聞かれもしないのに答えるなら個人的にはどうでもよくて、何ていうか基本的に世間はどうやっても差別的なので、自分たちはそれと戦う力を自分で身に付けなきゃいけないのだ。重箱の隅から隅までケアするようなぬるま湯ジェンダーフリー教育や集団要求みたいなのばかりだと、1人で理論武装する能力を失っちゃう(それはフェミニズムの退化に繋がる)んじゃなかろうか。嶽本野ばらじゃないけど、第3次フェミニズムを生きる乙女はハードボイルドじゃなくっちゃ。
あとid:lovelovedog:20030829#p2さんの「もう、ここまで分かると「またかよ」という気分になるので終了しておきます。」に納得。結局他人事の問題使って自分の利権広げようとしてる訳で、もしひとりでフェミに目覚めた少年少女がこーゆーのに取り込まれてたらと考えるとぞっとする。あー本当にぞっとしてきた。80年代終わりの「キャリアウーマン」って言葉が名誉白人化してしまった失敗と同じように、「ジェンダーフリー」は男根主義的な方向に迷走してるのかも。
あとはid:TRiCKFiSH:20030830さんの「Paradise kiss」(矢沢あい)の話。「パラキス」は読んでないけどこのラストの説明を見ると、麻生みこと「天然素材でいこう。」に近い気がした。個人的にはステルヴィアもこういうラストになって欲しいんだけど。

「ハネムーンサラダ」ニ宮ひかる(全5巻)

id:sayuk:20030827#p3あたり読み返していて思い出したのだけど、二宮ひかるハネムーンサラダ」のラストの、結婚式すっぽかされた相手と、その場の勢いで結婚した女性との3人とで結局同棲(多分)するってのはid:sayuk:20030825#p2やid:sayuk:20030827#p3で言う「三位一体構造」をかなり壊している気が。(めんどいので以下ネタバレ)結婚するという「夏川さんの気持ちがほんとうと感じるからこそ」、その契約を壊すことでさらに「ほんとうの事を知りたいと… 一点の曇りもない ほんとうの物だけが欲しいと……」と思いさらに実行してしまう一花(ヒロイン1)、それをみてじゃあ「もったいないから」「花嫁さん代わりにやって」結婚式しちゃおうとする遙子(ヒロイン2)、その選択はストーリー的にも「これしかない」ってくらいの美しさ。
そもそも「ハネムーンサラダ」で「結婚」はどういう理由付けをされたのかというと、やっぱり5巻にあるけど「━━一花は… たぶんすぐに諦める いなくなる 『言葉』にするのが下手だから 意志を伝えあうのが難しい …だから結婚する 傍にいる」「遙子とは どんなにケンカしても どんなに遠くなっても けっして縁は切れない 離れられない ━━だから結婚はしない」つまりはid:sayuk:20030825#p1で言う「相対的距離」の遠い/近い2人のヒロインなのだけれど、そこで相対的距離の遠い相手に対し結婚の契約性を用いて「絶対的距離」での接近を図るという行為なのだ。それに対して一花(というかヒロインたち)が選んだのは「何かのご褒美みたいに幸せになるなんて 見返りを期待してるみたいで なんだか気持ち悪い」とそこから逃走することで、またハッピーエンドの執着点である結婚式を「混乱の極みよ 乱チキ騒ぎよ」と言い切ってしまうこと。
ステディ(一夫一妻)であることを恋愛の至上とするのは「特別な存在としての自分」という意識の裏返しなのだろうけど、ちょうど「雲の上のキスケさん」(鴨居まさね)が(id:sayuk:20030825#p1でいう)「手繋ぐよりキスの方が、ヤらないよりヤる方が近い」=「性愛をABCのようなステップアップの過程に近似化する」ことに抗し「性愛表現の稠密化」(およびそれによる性愛関係の進展の相対化)を行ったように(これも後で書かなきゃ)、「ハネムーンサラダ」のラストがああだったのは、結婚を代表とする「永遠のステディ関係」を恋愛/コミュニケーション関係の到達点とするような思想に抗することで「ロマンチックラブイデオロギー」を解体しようとしたのではないか。(実をいうと「Kanon」の舞・佐祐理エンドにも同じものを感じてしまうのだけれど)
時々思うのは「ネット恋愛」がなぜ「現実の恋愛」の劣化コピーもしくは通過点とされてしまうことの違和感で、ネット上のコミュニケーションがオフのそれの代替物ではなくそれ自体独立した「関係」として認識されるような相対化が「ハネムーンサラダ」のラストと同じように、フェミニズム的な新しい恋愛/コミュニケーションの構築を齎すのかも。

「ファウスト」情報

最後通牒さんより ここ

明日買って嘘だったら消します。笠井潔がインタビュアーなのは、去年辺りに笠井氏がKanonやったって情報が出回ってたのでむしろ自然に受け入れてしまったんですが。