Running night 00M 27S

西山商店街での活動を全て終えて

12/29、昼、久々に自宅にご帰還。
くちゃくちゃの部屋を片付け、年末用の食材や灯油を買い出しに行き、明るいうちに風呂に入る。
風呂上がりに爪を切る、あまりにも伸びた爪を見て、ふと「これじゃ悪魔だなと思う」。
久々に、鏡を覗けば髪も髭も伸び放題である。
自分の姿を見て今まで、全く客観性を欠いていた事に気づく。

これまで、西山にて「こどもとつくるショウテンガイ、コレクト」
をテーマに掲げて活動を行い、僕は何者だったのだろうか。
まるで「My Fair Lady」のヒンギス教授になった様な気分。
実は、このコンセプトには原形がある。

かつて南伊勢町 五カ所湾で行った「suiheisenn no ueno ie」がそれなのだが、
この企画では、二ヶ月間五カ所で滞在し、
水平線の上に家を作り一人になるという試みを行った、
この計画を実施する過程で小学校でのワークショップ授業を行った。
一人に一個、僕の作った「水平線の上の家模型」を配り、
その上での生活模様を子供達に作ってもらったのだ。
このワークショップを計画する中で、僕は折口信夫の稀人論を参考にして、
稀人になろうと試みた。
最初から本名を語らず、ふくちゃんと言う人物になりすまし、
週に2回のワークショップ(美術と環境の授業を頂く)
を行い給食、昼休みも一緒にすごし、放課後もよく一緒に遊んだ。
子供にとっては、大人でも子供でもない不思議な存在。
突然あらわれ、ふくちゃんと名乗り、「360°水平線の上に家を作る」という。
子供の両親からも「ふくちゃん本当のお名前は?」と聞かれ、
小さな街では道を歩けば常にふくちゃんと声をかけられた。
そして、海の上に消えて行く。

この稀人作戦はとても旨くいった、インスタレーションの作家として
僕は自分の存在まで作品の一部にしてしまえるのかと、当時嬉々したものだ。

しかし、西山でのプロジェクトがこの作戦を使いながら全然違うのは、人数のせい。
プロジェクトの最後、メンバーが一人ずつ日常に帰って行くとき、
「ベルリン天使の歌」のサーカスの解散の場面をいちいち思い出した。
まるで、サーカスのように、それぞれの作家が得意技を繰り出し、
小学生とチームワークでショウテンガイを作っていく。
子供の感覚を中心に街の造形、雰囲気が作られて行く。

今回の、活動では企画で参加なので、作品が作れなかった。
小学校ワークショップの企画
「ニシヤマヤマハヤマノナカ」のシナリオと朗読
Kodomo New Townの制作
クリスマスアーケードの企画 
毛糸の先生
プレーシティー(各週ワークショップ)の企画
「みんなの西山商店街」の企画・制作
他のアーティストとのコラボレーショッンなどと言っても、
僕は、いつも室内で忙しそうにパソコンをいじっている、
「ふくちゃん」よく「ふくちゃんは何が仕事なの」と聞かれていました。
「ふくちゃんの仕事はふくちゃんなんだよ」と言い訳していました。
先にあげたMy Fair Ladyで言えばスタンリー・ホロウェイがはまり役。

旅芸人達が去って行く
今回のプロジェクトで西山商店街には、ニシヤマショウテンガイに成れる可能性が見えました。
街に明らかな変化が作れ、その有益性も明らかにできた思います。
しかし、旅芸には去るのです。
今回のプロジェクトの中で、僕たちは自分の存在を見せる事で子供達に、
確かに何かを残して来たと確信しています、
だからこそ僕は天使だったのか悪魔だったのか?
すぐに、結果の出る話ではないのです。
あそこに描かれた壁画は100年存在出来るのか。
今の子供達が、大人になった時その答えを突きつけられるのでしょう。

僕のこれまでの全てのプロジエクトに言える問題、
「祭りは祭り」
僕は、つかの間のあいだそこにユートピアを作る能力には、たけていると自負したい。
しかし、僕が去ったあとそこは元の日常に戻ってしまう。
この問題がどうしても越えられない。
一瞬、世界がユートピアに出来たように見えても、すぐに世界がやってくる。
飲み込まれてしまう。
僕は、旅人だけに出来る事しか知らない。

しかし、しかし、今回のプロジェクトは地元出身の河村るみ氏こそが発起人。
ルミルミになんとかがんばってほしい。
次のステップへと向かって欲しいと願うばかり。
協力、出来る事は何でもして。



ジャッキーのプロジェクトイーグルを観て良く出来ている映画だなーと関心しつつ、
一人で大量に作りすぎたおでんをつつく(家の大鍋二杯分)、
数年前に開催したブレーメン・名古屋でお世話になった、
味噌蔵オーナーのワインショップで買って来たワインを開けながら、
そしてまだプロジェクト中毒から抜けてない事を自覚する。

ミヒャエル・エンデの対談集、「オリーブの樹の下で」の中で、
「ポジティブなユートピア像を自由に語れる世界こそが必要なのだ」と言ったような話を書いていた。
永続的な、ポジティブなユートピアを作ることが僕の目標なのかもしれない。


アーティストという存在になるには、まだまだ、越えなければならない壁が有ると思う。
精進精進。