ウェブそもそも論(はやはり謎)×2

くっぱさんが謎を感じる原因に「責任感の欠如」があることは既に指摘済みですが、「文章能力の欠如」も明らかになってきたと思います。

そのような「嘘を書き散らしての批判」や「自分の都合を適えたいだけの我侭」は「その言葉を発するだけ」で不当です。

ウェブそもそも論(の謎×18) - 妄想日記

この「嘘を書き散らす」という行為が、それをする人が「嘘」であることを知っているにもかかわらず書き散らすという行為のみが対象になるのか(しかし、なぜその人が「嘘」であることを知っていると言い得るのか?)、「嘘」であることを知らずに書き散らす行為も含まれるのか(しかし、なぜそれをすることが不当である言い得るのか?)とお聞きしているわけですが。

後者です。「嘘であることを知らずに嘘を書き散らして批判してしまった」場合に「嘘と知らなかったんだからいいんだよ」とはなりません。それが「本当のことであると信じるに足る相当の理由があった」ならば「知りませんでした、すみません」ぐらい謝っておけば相手も許してくれるでしょうけど。
…というか、くっぱさんは「嘘を書き散らしての批判」が不当なものなのを知らないのでしょうか。時に違法行為に問われることがあるくらいのことなんですけど。


「リンクをされたくない」と思ったり、「リンクをするな」と要求することはなぜ「我侭」と言い得るのでしょうか。

「リンクをされたくない」と思うだけなら個人の感情に過ぎないので自由です。「そう思うならわざわざWWWに置かなきゃいいのに」とは思いますけど、でもWWWに置くことは制限されていません。「リンクをするな」と要求することは我侭です。相手はそれに従わなければならない理由が何もありません。自分の「リンクされたくない」という感情を満たしたいだけの身勝手な要求です。

リンクをする側が「リンクをしたい」と思うことと、リンクをされる側が「リンクをされたくない」と思うことは同格ではないでしょうか。リンクをする側が「リンクをさせろ(リンクをすることを納得しろ)」と要求すること(それを要求することは制限されていない)と、リンクをされる側が「リンクをするな」と要求することは同格ではないでしょうか。そして、これらの行為は必ずしも「我侭」であったり「不当」であるとは言い得ていないような気がするのですが。

リンクする側は「リンクをさせろ」「リンクをすることを納得しろ」なんて要求してませんから。たとえば、私が誰かのページをリンクしたとき、リンクされた側が「私はリンクされることが嫌だ。私はあなたが私のページをリンクしたことに納得していない。」と言ったとしたら、私としては「ふーん、嫌なんですか。納得していないんですか。そうですか。まあ、あなたが嫌がろうが納得していなかろうが私にはどうでもいいことですけどね。」で終わりです。「リンクをさせろ」「リンクをすることを納得しろ」なんて要求はしません。相手が「無断でリンクをするのはマナー違反だ。良識がないのか。」と論ってくれば「リンクをするのに相手の許可は不要です。マナー違反でもなんでもありません。私のなんら問題のない行為をあたかも不当な行為であるかのように論うのは止めて下さい。」と言ったり「俺はリンクされるのが嫌なんだ。リンクを外せ。」と命じてくれば「私にはリンクを外さなければいけない理由は何もありません。我侭を言わないで下さい。」と言ったりするでしょうけど。


思うのですけど、処刑をされる人と処刑を執行する(中略)
単純に「処刑」を「リンク」に置き換えたときに上の話が成立しなくなるかどうかを考えてみてください。

まず、人を殺すことは「なんらかの正当化事由がない限り許されない不当な行為」(なんせ、相手が納得していてもそれだけでは正当化されないぐらいの不当な行為)ですから、「なんら批判される理由のない(たとえ相手が嫌がろうと無視してよい)正当な行為」であるリンクと置き換えて論じる所に無理があります。それはともかく、置き換えてみましょう。

リンクをされる人がリンクをする人に「俺はまだ納得していないのにリンクをするのはマナー違反だ。お前のリンクについての判断は間違えているから、リンクをするのをやめろ」と要求するのは我侭で不当なことなのでしょうか。

リンクする人は、リンクされる人を納得させなければならない理由はなにもありません。相手が納得していなくても自由にリンクできます。WWWはそのための場所です。なので「俺はまだ納得していないのにリンクをするのはマナー違反だ」という具合に、「相手の正当な行為を不当な行為だと論っている」時点で不当です。


(本人としてはあまりに当然のことと思い込んでいて「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましいのだから、」ということを口に出すのを省いて)リンクをやめろと命じた(というか要求した)場合には、「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましい」ということを主張しようとしている可能性は排除されていないように思います。

それは、そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましいという主張の下、相手にリンクを外せと命じている文章です。つまり、論ったり命じたりしつつ「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましい」と主張する文章です。そして、そのような命令に従わなくてはならない理由は相手にはありませんから、ただの我侭になっています。そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましいという主張の下、相手にリンクを外すよう提案している文章なら「リンクを外してはどうでしょうか」となりますし、そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましいという主張の下、相手にリンクを外すようお願いしている文章なら「どうかリンクを外して下さいませんか」となります。そして、それらの文章なら別に問題があるとは思いません。
…っていうか、くっぱさんは「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましいという主張の下なら何を言ってもかまわない」とでも思ってるのかな。そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましいという主張の下であっても、嘘を書き散らして批判したり、他人に自分の都合を叶えたいだけの我侭を言ったりしてはいけません。

「リンクをさせろ」という要求?

くっぱさんには「何か根本的に勘違いしている」と見受けられる点が多々ありますが、そのうちのひとつが『リンクをする側は「リンクをさせろ」「リンクをすることを納得しろ」という要求をしている』です。

リンクした側の「あなたは私があなたのサイトにリンクをすることを納得しています」という無言の主張に対して
(ウェブそもそも論(の謎×13))

リンクをする側が「リンクをさせろ(リンクをすることを納得しろ)」と要求すること
(ウェブそもそも論(の謎×27))

  • 「リンクをさせろ」「リンクをすることを納得しろ」という要求

…してませんから、そんな要求。
WWWに置かれた文書は誰でも自由にリンクできます。WWWはそのための場所です。相手にリンクをさせろと要求する必要なんてありませんし、相手を納得させる必要もありません。必要ないことをわざわざすることはありません。世の中には必要もないのに「リンクをさせろ」「リンクをすることを納得しろ」という要求をする人がいるという可能性については否定しませんが。
私の場合、リンクする場合に相手の許可を取ることなんてありません。「リンクをさせろ」「リンクをすることを納得しろ」という要求なんて出しません。リンクされた側が「私はリンクされることが嫌だ。私はあなたが私のページをリンクしたことに納得していない。」と言ったとしたら、私としては「ふーん、嫌なんですか、納得していないんですか、そうですか。まあ、あなたが嫌がろうが納得していなかろうが私にはどうでもいいことですけどね。」で終わりです。



で、なんですけど、上記は「その文書がすでにWWWに置かれている」からいえることでして、「WWWに置かれていない文書」なら立場が逆転します。その文書を「WWWに置くか置かないか」は自由です。WWWに置かれていない文書に対して「俺はその文書をリンクしたいんだよ。お前それをWWWに置けよ。」というのは我侭です。相手はそのような命令に従わなければならない理由は何もありません。リンクしたい、WWWに置いてもらいたいなら頭を下げてお願いするか、WWWに置くメリットを提示して、あるいは提供して、WWWに置くように提案しましょう。
ということは、意に染まぬリンクをされた場合に、相手が文句を付けることができない有効な対応方法がひとつあることがわかります。ズバリ「その文書をWWWから削除すること」。それをして、リンクした側にデッドリンクが生じても、リンクした側は文書を削除した側に文句を付けることはできません。デッドリンクが発生するということはリンクした側の文書のクオリティ低下を招きますが、それはリンクした側の自己責任です。自分で処理しなければなりません。もちろん、リンクされた側がそのような方法を採らず、「意に染まぬリンクをされたままWWWに置き続ける」のは自由です。



…それにしても、想定問答集に

  • リンクした側は「あなたは私があなたのサイトにリンクをすることを納得しています」という無言の主張をしている。

そんな主張はしていません。相手が納得しようがしまいが、リンクするのは自由です。

というのを入れておいたのに、あんな発言がでてくるなんて、さすがはくっぱさんです。