科学・政策と社会ニュースクリップ

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事業仕分けが終わって

2009年11月11日から27日まで、うち9日間行われた行政刷新会議事業仕分けが終わった。

昨日の産総研NEDOなど、文科省関連以外も含めて、科学技術に関連する多くの事業が俎上にのぼり、見直しや縮減、廃止などを言い渡された。


この事業仕分けをどう評価すべきか。

私個人としては、政策決定過程が白日のもとに公開されたこと、専門家でない仕分け人が政策決定に関与したこと、そして何より、研究者も政治や社会に真剣に向き合うべきである、という意識を植え付けたことを評価する。

政策決定過程が見えるということで、どれほどの議論が行われたのかを考えると、これは大きな効果だ。

専門家でない人の政策への関与は、否定的な意見が多いようだが、私は評価したい。というのも、環境や生命を含め、科学、技術の社会へ与える影響が不確実性をましているなか、科学、技術の成果をどのように用いるかは極めて政治的な判断を必要としており、それは科学、技術の専門家でのみ決定してはいけない問題だからだ。

9月末にworld wide view(WWViews)というイベントが全世界で開催された。ウェブサイトによれば、「WWViews は、専門家ではない「ふつうの人々」が相互に建設的な対話を行い、この場において熟慮することを通じて、今後の気候温暖化対策に関する世界各国の市民の意見を取りまとめ、COP の場に提供しようとする試み」だという。

いま世界では、市民の声を科学、技術に関連する政策の決定現場にどのように取り入れるべきかという、市民参加のさまざまな試みが行われている。コンセンサス会議やテクノロジーアセスメントはその例だ(こちらなど参照)。

事業仕分けは、不完全ながらも市民参加の一つの試みといえるかもしれない。

もちろん方法がこれでよかったかというと、疑問は残る。上記のWWViewsも含め、市民参加の試みは、時間をかけて行われている。わずか1時間程度、プレゼンの良しあしが評価を決定するというものではない。仕分け人の選定も、人脈だよりのようなイメージがある。

研究者の政治意識を高めたという点は、結果論ではあるが、高く評価したい。

今回の事業仕分けは、研究者の政治意識を根底から覆したと言っても過言ではないだろう。

自民党政権下、ある種聖域となっていた科学技術予算策が、市民の白日のもとにさらされ、厳しい目を向けられた。無駄が多い研究費、不自然な外郭団体の存在といったものが明らかになった。仕分け人の厳しい批判に戸惑った研究者は多かっただろう。

そして、Nature誌が「津波のような抗議」と表現するほど、数えきれないほどの研究者団体が声を上げた。


欧米では、選挙の際にNatureやScienceといった雑誌が、候補者の主張を掲載するなど、研究者が政治に深い関心を寄せている。ところが、日本では、政治に関心のある研究者など「邪道」扱いだ。

自身が文部科学大臣を務めた有馬朗人氏は、公開シンポジウム「研究・教育者等のキャリアパスの育成と課題」についての中で以下のように述べている。

最初に言います。科学者として認めてもらいたかったらノーベル賞を取りなさい。それ以外のことは考えてはいけません。行政なんてやっちゃいけません。ましてや政治家なんかになっちゃいけません(笑)

ある種の冗談だとは思うが、それでも、政治に関心を寄せる研究者などは、評価の対象外だった。

その結果どうなったか。

公開で声明を出す、あるいはノーベル賞受賞者が出ていく、それくらいしか研究者コミュニティは政治へのチャンネルを持っていない。

研究者出身の与党議員は少ない。首相がPhDを持っていると淡い期待を抱いた程度で、裏、表含めてしたたかな交渉術も用いることができない。

メディア戦略も甘く、1500名近く署名を集めた若手研究者の企画は、プレスリリースも発表せず、ウェブページで公開すらしていない。

そして、社会の反発を買うような、社会の視点を無視した高圧的な「抗議文」ばかりが発表される。

こうした結果、これだけ政治的にナイーブなのに、業界団体の代表が国会議員になるなど、どっぷり政治と癒着している「抵抗勢力」と同一視されている。

世論の9割が仕分けに賛成している中、これで政策を動かすことができるのだろうか。


ただ、嘆いても仕方がない。これが、日本の研究者にとって第一歩なのだと思う。

ようやくAAASのような、研究者の団体の必要性が理解されはじめた。何が良かったのか、悪かったのか、振り返り、行動を続けていく必要がある。

もちろん、既存の業界のように「族議員」を誕生させるといった方法ではいけない。科学はあくまで公益のためのものだ。

人々の声を聞き、世論を納得させなければならない。ある種したたかな手段を使うことを覚えなければならない。

もっと言うなら、市民の声を聞くという上から目線をこえて、市民自身が積極的に行動するような社会を作らなければならない。研究するという行為は、研究者だけが独占すべきものじゃない。



この2週間あまり、私も事業仕分けへの対応に追われた。

twitterで情報を流し続け、皆さんの意見を聞いた。民主党文部科学省に意見を送った。ある国会議員の方から意見を聞かれたり、雑誌の執筆依頼が舞い込んだ。

そして、NPO法人サイエンス・コミュニケーションの設立以来の目標である、科学技術政策に関与する団体の設立に向けて、メーリングリストを立ち上げ議論を始めている。


今回の仕分けでも、若手研究者、学生、女性研究者といった、お金も持っていない、票も持っていない、業界との癒着もない弱い存在にしわ寄せがこようとしている。

スパコンなど「ハコモノ」ばかりに目が行くが、こうした未来の人材への「投資」をおろそかにしてはならないという点を、政治にも、社会にも理解してもらえるような活動をしなければならない。


まだ何も始まっていないし、何も終わっていない。


今回の事業仕分けを「祭り」として終わらせることなく、長く続く研究者と政治、社会との新たな関係の構築の始まりとしたいと強く思う。