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クライシスコミュニケーションとサイエンス/リスクコミュニケーションに関する試論

東京工業大学大学院理工学研究科工学基礎科学講座 調麻佐志さんよりご寄稿いただきました。


クライシスコミュニケーションとサイエンス/リスクコミュニケーションに関する試論
調 麻佐志 (東京工業大学大学院理工学研究科工学基礎科学講座)

 サイエンスコミュニケーションと非常に近い領域として、リスクコミュニケーションおよびクライシスコミュニケーションがある。広義のサイエンスコミュニケーションは科学技術に関する科学技術者・科学技術者共同体と市民との間のコミュニケーション(あるいは、市民を含むステークホルダー間のコミュニケーション)を意味する。それに対して、リスクコミュニケーションはリスクに関する知識・情報についてのステークホルダー間のコミュニケーション(とそれを通じた知識・情報の共有)として、また、クライシスコミュニケーションは災害や事故、戦争など有事における事態収拾・管理のためのコミュニケーションと定義できよう*1

コミュニケーションのモード
 科学技術が社会に広がる中で、ほぼあらゆるリスク、クライシスには何らかの形で(良い意味でも悪い意味でも)科学技術が関わっており、また、仮にそうでなくとも、科学技術が関与したリスク、クライシスコミュニケーションを想定すれば、一見、これら三つの境界はかなり曖昧に見えるであろう。それでは、この三者をどのように特徴付けることができるであろうか。表1に各コミュニケーションの特徴を概略的にまとめた。

表1 各コミュニケーションの特徴*2

注:双方向*3

 リスク内容や危機情報の科学的な内容・意味・表現のようにコミュニケーション内容には明確な重なりこそあるものの、サイエンスおよびリスクコミュニケーションと、クライシスコミュニケーションとはコミュニケーションのあり方としては異質である。クライシスコミュニケーションは優れて目的指向的であり、有事において情報が(公権力執行機関から市民へと)一方的かつ可能なかぎり効果的・効率的に伝達され、かつはその情報に応じて市民が「適切」な行動を取ることが一義に求められる。そのため、コミュニケーションの双方向性や内容の正確さ、市民の意向・ニーズ等は背景に退かざるを得ない*4。すなわち、伝達内容に虚偽や不確かなものがあっても*5、適切な方向に市民が誘導され、あるいは有事の管理がうまくさえいくならばクライシスコミュニケーションとしては成功であり、逆に「正確」な情報が市民に正しく伝わっても「適切」な行動が取られないのであれば、失敗と評価されるべきである*6。したがって、クライシスコミュニケーションにおいては、その指示的機能がゆえに権威の果たす役割は極めて重要であり、政治的権威および知的な権威(「専門性」)の伴わない情報源・発信主体からの情報は深刻な機能低下を見ざるを得ない*7。その意味では、コミュニケーションモードが全く異なる(公式の)クライシスコミュニケーションにおいて、サイエンス/リスクコミュニケーションおよびそのコミュニケーターが活躍する余地は少ない。

有事に機能したサイエンス/リスクコミュニケーター:非公式クライシスコミュニケーションおよび公式クライシスコミュニケーションの補完
 東日本大震災後の福島第一原子力発電所に発生した危機的事態において、原子力資料情報室の存在がクローズアップされた。単純に図式的に述べてしまえば、原発に関する市民側からのリスクコミュニケーションを目的としたこれまでの活動が、非常事態を受けて活性化するとともに、非公式クライシスコミュニケーションとしてもまた機能し始めるという興味深い転換が生じたと言える。すなわち、平時における具体的リスクに関する継続的なコミュニケーションの実績が有事に際して権威へと転換し得ることが確認されたのである。あるいは、行政・監督官庁・東電といった公的権威に対するカウンターメディアとして機能したにしか過ぎないと理解すべきかもしれない。たしかに、仮に原子力資料情報室が市民に対して「指示」(たとえば、原発80km圏内からの退避勧告)を出しても、市民がそれに従ったかは定かでないものの、リスクに対する継続的かつ「妥当」なコミュニケーションを予め実施することで、その主体は有事においても役割を果たす余地が生じ得る。その意味では、既存のサイエンスあるいはリスクコミュニケーション活動の多くにおいてリスクのコミュニケーションを十分に行なえていなかったことについて再考する必要もある*8
 また、とりわけ「原子力村」がリスクコミュニケーションをおざなりにしてきたツケにより、原子力資料情報室の台頭を許した*9ことは、問題視されてしかるべきであろう。いずれにせよ、平時のコミュニケーションの実績に基づいてリスクコミュニケーターがクライシスコミュニケーターに転じたことは、有事におけるこれらコミュニケーターの可能性の一つを示した。
 もう一つの有事におけるコミュニケーターの重要な役割として、専門的な内容が適切に表現されていない場合*10の内容の「翻訳」や、目的志向的なクライシスコミュニケーションでは省略されがちな指示・指示的情報の背景となる知識・情報*11を整理して提供するといった公式のクライシスコミュニケーションに対しての補完機能がある。後者に関しては、たとえばSMC Japanが積極的に役割を果たそうとしている。SMC Japanの活動に関連して学術的な観点からも興味深いこととして、どのようにSMC Japanがクライシスコミュニケーションの補完機能にすら求められる権威を担保するかという問題がある。これについて、表面的には二つの方略、既存(専門家の)権威の転用と適切な編集を通じた権威の獲得が採用されており、今回の事態において十分な権威を獲得することは難しいかもしれないものの、事態終息後の検証を経て、(望ましくない事態の想定ではあるが)少なくとも次の有事の際に有効な権威を獲得する可能性はあるだろう。

 有事におけるこの二つの事例は、一方がテーマの専門家としてのサイエンスコミュニケーターの役割を示しており、他方はコミュニケーションの専門家としてのサイエンスコミュニケーションの可能性を示唆しているといえる。さらに、もう一つサイエンスコミュニケーターが果たし得た役割として、クライシスコミュニケーションの現場(今回の事故においては政府や東電)でのコミュニケーションデザインの支援があることを指摘しておきたい。これに関しては、サイエンスコミュニケーションにかかる教育の目的の一つとしても今後注目すべきである。
 なお、いずれの場合も、欠如モデルが前提となっていることは、当然とはいえ、ある意味皮肉かもしれない…

*1:ここでは個別企業の危機(事故、不祥事等)対応のための広報および有事の情報収集活動については定義から除外して考える。

*2:一般的ないし最大公約数的に特徴を示しているため、個別の例外は多数ある。

*3:原則、双方向的なものが望ましいとされるものの、コミュニケーションの内容による。また、双方向のコミュニケーションが志向されても、必ずしもその実現が担保されるものではない。

*4:たとえば、市民の意向やニーズを前提として、コミュニケーションの内容を変える必要はあるかもしれない。しかし、それは意向の実現や反映が目的ではなく、コミュニケーションの効率・効果を高めるための方略の一環といえる。

*5:極論すれば、確実な情報が存在する事態は、クライシスでないとさえ言える。

*6:「正確」、「適切」という言葉が意味するものが、有事と平時では異なることも意識せざるを得ない。一方で、有事を理由に情報秘匿的なコミュニケーションが実施され、そのツケを市民が払った歴史があることをも忘れてはならない。

*7:そのような発信主体からの情報が必ず無駄である、有害であるというわけではない。しかし、デマや悪意のある情報発信を含む様々なノイズの中で、適切な情報発信として抜きん出ることは極めて困難である。

*8:あらゆるサイエンスコミュニケーションはリスクのコミュニケーションを同時に実施しなければならないわけではない。

*9:カウンターメディアが力を持つこと自体、クライシスコミュニケーションの遂行にとっては致命的ともいえる。このことは、原子力資料情報室に問題があることを意味するものでは当然なく、原子力村の抱える問題を白日の下に晒しただけである。

*10:たとえば、ベクレルとシーベルトの本質的な違いはほとんど伝わらなかった。

*11:原子力村や政府はコミュニケーションモードの切り替えを適切に実現できなかったため、たとえば、「直ちに健康に影響がないレベル」という発言は行動を喚起する指示内容を含まず、補完的な情報を要した。