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2007-01-02

謹賀新年

謹賀新年

2007年になりました。

2003年12月26日に東京都NPO法人の認可を受け誕生いたしましたサイエンス・コミュニケーションサイコムジャパン)も、今年で4年目を迎えます。

昨年はサイエンスカフェサイエンスアゴラ、キャリアセミナー大学院進学ガイドの出版など、イベント等に忙しい一年でした。

今年はサイエンスカフェ、キャリアセミナーレギュラーのイベントとして継続していくことになりますが、大きなイベントは今のところありません。

その分、NPOの経営等をしっかりとやっていきたいと考えています。

ミッションである「知を駆動力とする社会」を作るために、私たちに何ができるのか、何をすべきなのか、しっかり考えたいと思います。

私個人としては、科学政策のウォッチに力を注いでいきたいと思います。

メールマガジンの発行により、科学政策のウォッチは軌道に乗りつつありますが、集めた情報を掘り下げ分析する能力にまだ欠けているのが私たちの現状です。それができなければ、目標である政策提言にたどり着くことができません。

その点を強化することに力を注ぎたいと思います。

科学政策といっても広いので、ある領域を取り上げ、その政策の歴史、現状、課題などをまとめることができたらと思います。それを報告書のような形にして発表できればと思いますが、まだまだ構想段階です。今後仲間と議論を重ねて、方向性を決めたいと思います。

科学コミュニケーションに関する活動としては、サイエンスカフェポータルなどの情報提供サイトをブラッシュアップしたいと思います。

googleカレンダーの活用など、より皆様に便利な形を模索できればと思います。

キャリアセミナーに関しては、先に述べましたとおり、SNSサイトINTER-GATEとの協力も含め、より充実したものにしていきたいと思います。また、大学との提携により、より多くの皆様、東京以外の皆様にもセミナーをお届けしたいと考えています。

今年も何卒皆様のご支援、ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

2006-04-02

コメントいただいたのにすみません

 皆様、大変申し訳ないです。

 スパムコメントを久々に見たら、膨大な数のスパムにまぎれて、以下のコメントがありました。

 再掲させていただきます。すみませんでした。

いところ、お忙しいところ、北海道まで来ていただいて、講評をいただき、ほんとにありがとうございました。手探りにやってきたCoSTEPの半年間、サイコムのように蓄積のある先人たちにはどう映るのか、聞いてみたかった。我々の活動の中に、NPOにも役に立つようなことがあり、NPOと課題を共有できると感じていただけたのでしたら、この半年は成功だったと思っています。これからも、よろしくお願いします。また、お会いしましょう!

投稿者: Namba | 2006年03月19日 16:05

 わざわざ札幌の地までお越しいただいて感謝しております。その割には話していただく時間を十分に差し上げられず、失礼いたしました。

 おっしゃるとおり、CoSTEPの修了生がどこで何をするのかということでされると思っています。

 そういう意味では我々だけではなく、今後は日本の科学コミュニケーションのコミュニティが彼らを暖かくそして厳しく見守っていただければと思います。そして、機会がありましたらサポートもお願いできれば幸いです。

 これからもよろしくお願いします。


投稿者: 5号館のつぶやき | 2006年03月20日 21:05

▼お二方ありがとうございました。北大に行ったのはもうずいぶん昔のように感じられる昨今ですが、今後ともCoSTEPの皆さんと歩んでいきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。


> ●大学や科学館、小中高校は科学コミュニケーターの活動拠点となるべき。

理科の先生自身が科学コミュニケーターになるということは難しいと思います。しかし、保護者が学校で積極的に理科教育に取り組むということは可能だと思います。具体的には、研究者が自分の子供の通っている学校に赴き、土日に科学教室を開く、というものです。数百人の生徒が集る学校には、研究者の保護者は少なくとも数人はいるでしょう。そういう保護者同士が声を掛け合い、科学教室を作っていく。理科の先生はそういうイベントをサポートする、ということが現実的なんじゃないでしょうか。

投稿者: 片木りゅうじ | 2006年03月02日 07:21

▼保護者プラス地域の人たちですね。OB、OGというのもいいかも。学校のセキュリティが問題となっている昨今、難しいことではありますが。


enokiさんの主張に同意いたします。。

教師は昔から、舶来の「科学コミュニケーション」とされる活動の重要な位置を占めていると私も考えています。

理科という教科を通じて教師は科学者と生徒、保護者、地域へ科学コミュニケーションを行っているのです。


私なりに考察すれば、

科学コミュニケーターな人というのは、今ここで危機が迫っている問題に取り組む人と、(たとえばジャーナリスト)

今すぐに効果が現れないが、真綿で徐々に首が絞まっていく問題に取り組む人がいて、

理科教育に取り組む活動は後者のことを指しているのだと思います。


私もこの「科学コミュニケーション」という言葉と出会う前から研究アウトリーチや児童館、小学校へ出前教室、駅前ゲリラ天体観測会など、

はたまた高校の非常勤講師で科学の純粋な面白さや我々と科学のかかわりなどを教えて回った経験から、しっかりとした理科教育の必要性を感じています。

中学、高校ならば理科の教師がいますから、まだ良いのですが、

小学校現場には理科の得意な教師は珍しく、理科の時間は苦しいと答える教師も少なくありません。かといって学校に理科専科の先生も配置される例は最近では自治体の財政の関係で難しくなってきています。

小学校教員は多くが大学で文系の専攻を出て教師になるという現実があり、日常の教務や理科授業だけでも苦しい先生にさらに発展的内容を期待するというのも酷な話です。

ここで、理科を通じてコミュニケーションをすることに長けた人材が、学校現場と連携して活躍するということも、科学コミュニケーションが活発になる1つの方法なのかな、と思っています。


投稿者: YS-11k | 2006年02月21日 01:42

▼貴重なご意見をいただいていたのに、気づかず申し訳ありませんでした。

おっしゃるとおりですね。学校現場とコミュニケーターとの連携が重要になってくると思います。

明日発行のメルマガに紹介しましたが、こんなニュースが出ていました。

先生も実験苦手?小学校に理科助手…来年度まず2千校

学校の先生からは評判よくないみたいですけれど、こういう試みがうまくまわってほしいですね。

2006-02-24

金メダルとノーベル賞

 トリノ五輪のフィギアスケートで荒川静香選手が金メダルを取ったが、報道などによると、この金メダルは「野辺山合宿」(有望新人発掘合宿)の成果だという(以下日経新聞2月24日参照)。

 1992年、伊藤みどりがアルベールビル五輪で金メダルを逃したことで、世界で勝つには層を厚くしなければならないと考えて始まったこの合宿。全国から100名をこえる子どもたちが集まり、体力測定や表現力、演技などをみて将来性のある子を選ぶという。英語の必要性、インタビューの心得も学び、全日本の選手の強化合宿に参加。人間的な交流もはじまるという。

 将来を嘱望された選手は、海外に派遣され、コーチの指導も受ける。

 こうして次々と有望な選手が次々と生まれていく。荒川選手も「野辺山合宿」に一期生として参加し、その才能を発掘されたという。


 こうした方式を、科学の人材育成にも応用できないかと思う。もちろんいうまでもなく、少しずつ始まっている。

 歴史を重ねつつある数学オリンピックや、最近盛んになりつつある科学系のオリンピック。女性研究者志望の高校生を集めた合宿も始まっている。優れた才能が早期に発掘される舞台が整いつつある。阪大が物理オリンピックの優秀者を無試験で入学させるというニュースもあったが、こうしたことはどんどんやるべきだと思う。また、科学コミュニティーも、本気で人材育成に取り組む気があるのなら、優れた若者に奨学金を出したり、外国に派遣したりする事業をもっと拡大してほしいと思う。


 さて、これからが本題。

 野辺山合宿の目標は、はっきり「金メダル」にある。メダルを取るために人材を発掘し、層を広げている。それを皆が拍手喝さいする。

 ひるがえって、科学はどうか。

 科学の金メダルといえば「ノーベル賞」だが、今後50年で30個のノーベル賞を取るという目標がぶち上げられたとき、科学コミュニティーやマスコミからは非難轟々の声があがった。

 ノーベル賞は狙って取るものではない、あくまで結果として取るものであり、そんなのを目標とするのははしたない、科学とは本来普遍的なものであるはずなのに、ナショナリズムを持ち込んでいる…そんな声があがった。

 そういう声はもっともだと思う。

 確かに狙って取れるようなものではないし、ストックホルムかどこかに事務所を開いてロビー活動をしたところで、あまり効果はないだろう。そんなことにお金を使うくらいならば、若い研究者の研究環境向上に使ってほしい…そう思う。ノーベル賞取得が目的化したら、どろどろとした醜い先駆け争いが起こるだろうし、いくつかそういう事例もあると聞く。

 しかし、ノーベル賞数値目標を非難する研究者たちが「無垢」であるかといえば、決してそうではない。

 ノーベル賞は狙わないといいながら、「インパクトファクター」を基準にした評価がなされているのをどう説明するのか。NatureだCellだと騒ぎ、先駆け争いをしている。最近目立つ研究の不正行為も、その流れのひとつではないのか。

 ノーベル賞ならはしたなくて、インパクトファクターならよい、という根拠はどこにあるのか。ノーベル賞はだめ、インパクトファクターはいい、というのは、いかにも中途半端だ。露骨な競争をくりひろげているのが現実なのに、崇高を装うのは欺瞞ではないか。

 問題は、いかに才能ある人に研究をのびのびとやってもらい、その才能をさらに伸ばしてもらうことなのではないか。「ナンバーワンよりオンリーワン」もいいけれど、それでも何か目標みたいなものがあってもよいように思う。

 目的ではなく、目標として、そういう状態になるためにどう環境を整えればよいかを考えられる言葉。ノーベル賞ははしたないというのなら、「世界レベルの研究者」でもいい。こんな人になりたいな、というロールモデルを提示するのもひとつの手だ。

 数値目標云々で議論がストップするのではなく、その先のことを考えたい。オリンピック中継を見ながらそんなことを考えた。

2006-02-16

クローディンの物語

 12月に52歳で膵臓がんで亡くなった京大の月田承一郎先生の遺作。

小さな小さなクローディン発見物語―若い研究者へ遺すメッセージ

 現役研究者がつい最近までの研究を振り返るという稀有な本。研究と同時に、人生も振り返っている。灘高のころの話とか、東大理3に入って勉強しすぎた話とか。なんといっても人との出会いがよく描かれている。現役の人なので、知った名前がぽんぽん出てくる。

 現役研究者はこういう感じで近い過去から現在の研究を語ってほしいよなあ。死ぬか引退しないとこういう本って出てこないのかなあ。悲しいなあ。

「あと十五年くらい、これらの方々、また、少しでも日本の科学界に恩返しをしようと思っていたのですが、それも叶いません。無念です。大変申し訳なく思っています。」

 死を覚悟し無念さが漂う言葉が悲痛だ。

 正直言って、月田先生自身がこの本で書かれているように、月田先生は天才じゃなかった。たとえ灘から東大理3に行った秀才だったとしても、ノーベル賞はまず取れないだろう。

 けれど、多くの研究者の目指すレベルは、ここなんじゃないのかと思う。決して大発見ではないけれど、自分の仕事という結果を残したのだから。金メダルは取れないけれど、コンスタントに入賞し続けるような感じかな。

 さぞ無念だったことだろう。合掌。

2005-11-27

ブログ移築作業

 melma blogの消滅が迫ってきたので、移築作業をする。melmaはデータの移築もできないので手動でやっている。

 2年分のデータが消滅するのは非常に痛い。とりあえず、普通のブログとして利用しはじめた9月からの記事を移築する。

 アクセス数も一日1000から50程度に激減した。メルマガのデータを検索でひっかける人が多かったということだろう。

 フリーのブログを使うということは、こういうリスク?を伴う。ブログがすごいといったって、企業のサービスに依存しているうちは、こういうことだ。

 フリーでなくても状況は同じ。movable typeを導入しても、サーバはレンタルでお金を払っている。

 考えれば、ネットでの日常の活動はマイクロソフト社のソフトに依存しているわけだし、コンピュータだってインテル社に依存したりしている。

 私たちのネット社会は、わずかな巨大企業の手のひらの上に咲いたあだ花なのか。

 いちユーザーとしては、したたかに利用できるものは利用していきていくしかない。

2005-11-17

解雇しろ?

 理系白書’05:第3部 流動化の時代/3 任期後の受け皿、少なく

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/news/20051116ddm016070018000c.html

を読んで、少し驚いてしまった。

 理研のプロジェクトディレクターの発言である。

任期や評価に追われて馬車馬のように働く人たちがいる一方で、終身雇用に安住する人たちの方が圧倒的に多い現状には納得がいかない。「どんな制度でも、できる人はできる。業績が悪ければ、終身職でも解雇すればいい。人の能力より雇用制度を重視するようでは、独創的な成果は生まれない」と厳しい。

 人材の流動化と身分の不安定化、研究者のモチベーションの問題は非常に重要な論点で、きっちり議論しないといけない。有能な人材をどんどん使って「使えない」人材をやめさせたい、という意見は、さまざまな反論をはらみつつも、そういう意見を持つ人がいるのは理解できる。

 しかし、それと「終身職でも解雇すればいい」という問題とは話が別だ。

 契約とか法律に詳しくないので、どなたか補足いただければと思うが、終身職を辞めさせるというのは、契約、法律は守りません、と言っているようなものではないのか。「終身職をなくしたい」というのとは意味が違う。

 インタビューが乗ってしまい、軽快に本音トークが出たのだと推察するが、チームリーダーが違法行為を推奨するのは、モラルとして問題があるように思う。ルールが問題ならば、ルールを変えるべき、というのとは全然違う。ルールを破るべき、と言っている。

 問題提起をしていただくのはありがたいが、発言は慎重にしていただきたい。