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誰かの妄想・はてな版

2015-03-23

秦・大沼歴史修正コンビによる性暴力被害者侮辱会見での8項目の指摘に対する反論8

続き。

「8.「多数の慰安婦が殺害された」」

8.「多数の慰安婦が殺害された」

→事実であれば訴追されているはず

http://www.sankei.com/life/photos/150317/lif1503170028-p1.html

元の記述は「Others were killed by Japanese soldiers, especially if they tried to escape or contracted venereal diseases. At the end of the war, soldiers massacred large numbers of comfort women to cover up the operation. 」です。逃げようとしたり、病気になったりした慰安婦らが日本兵に殺され、戦後には慰安婦の証拠を隠すために多くの慰安婦を殺害した、という内容です。

言うまでもありませんが、戦争中の全ての虐殺が訴追されたわけはなく、実際に起きた違法行為の極々一部しか訴追の対象にはなっていません。「事実であれば訴追されているはず」などというのは、素人のネトウヨくらいしか言わない詭弁です。ホントこのレベルにまで堕落したんですね、秦氏は。

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秦・大沼歴史修正コンビによる性暴力被害者侮辱会見での8項目の指摘に対する反論7

続き。

「7.勤務環境「兵隊らと同じリスクに直面」」

7.勤務環境「兵隊らと同じリスクに直面」

→戦闘地域外の安全な場所で勤務

http://www.sankei.com/life/photos/150317/lif1503170028-p1.html

元の記述は「Stationed in war zones, the women often confronted the same risks as soldiers, and many became casualties of war.」です。秦氏が「often」を無視しているのは、多分わざとでしょうね。

ビルマフィリピンで戦闘に巻き込まれて戦死・餓死などに追い込まれた慰安婦はよく知られていますし、南洋では米軍空爆で犠牲になった慰安婦も大勢いますから、記述として間違いではありません。

秦氏は「戦闘地域外の安全な場所で勤務」とか言ってますけど、拉孟は「戦闘地域外」ですか?どう考えても最前線ですよね。

中国では、分散配置された分遣隊が警備するトーチカに慰安婦を送っていた話もあります(「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦

」P114-116)。

まあ、安倍や小泉のように、現に銃弾の飛んでこないところは全て戦闘地域外とでも言うつもりかもしれませんが(仮にそうだとしても拉孟の件があるわけですが)。

2015-03-22

秦・大沼歴史修正コンビによる性暴力被害者侮辱会見での8項目の指摘に対する反論6

「6.勤務実態「毎日20〜30人の男性の相手」」

6.勤務実態「毎日20〜30人の男性の相手」

→単純計算で不可能

http://www.sankei.com/life/photos/150317/lif1503170028-p1.html

教科書の記載は、「Once forced into this imperial prostitution service, the "comfort women" catered to between twenty and thirty men each day.」*1とあるようですが、一人の慰安婦が毎日20〜30人の兵士に供された、と言うより、慰安婦“たち”は、日に20〜30人の兵士に供されたこともあった、くらいの意味合いでしょう。

で、そういう証言は元慰安婦の証言にも元兵士の証言にも見られますので、教科書の記載として間違いとは言えませんね。

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秦・大沼歴史修正コンビによる性暴力被害者侮辱会見での8項目の指摘に対する反論5

続き。

「5.出身「大半は朝鮮および中国」」

5.出身「大半は朝鮮および中国

秦氏の推計では最多は日本人

http://www.sankei.com/life/photos/150317/lif1503170028-p1.html

慰安婦の出身地については総括的な統計資料が存在しませんので、断片的な各資料から推測せざるを得ないのが実状です。ですが、アメリカの教科書に書かれたという「大半は朝鮮および中国」が間違いだなどと主張できる根拠もなく、かつどの史料を見ても朝鮮人慰安婦中国慰安婦がかなりの比率を占めていることがわかります。

秦氏の推計」自体、どの程度信頼できるのかと、秦氏研究者としての信頼性からして疑わしいのですが、まあ例えば、アジア女性基金のサイトで掲載されている以下の資料は、日本人慰安婦も少なくない構成比を占めていたことを示してはいます。

昭和13年11月から14年12月まで台湾各州を経由して中国へ赴いた軍慰安所関係者の民族別構成
    内地朝鮮人 本島人
台北州 649 207 229
新竹州 65 86 11
台中州 3 143 27
高雄州 218 53 117
台南州 3 72 0
計   938(49.8%) 561(29.8%)*2 384(20.4%)
http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html

この史料では5割が日本人、3割が朝鮮人、2割が台湾人となっています。この史料だけに依拠するなら「最多は日本人」と言うのは間違いではありませんが、一方で「大半は朝鮮および中国」というのも間違いではありません。朝鮮人台湾人で過半数を占めているわけですから。*3

ちなみに、この史料は1938年11月から1939年12月までの台湾から中国へ連行された慰安婦の民族構成を示していますから、本来ならその背景情報を考慮に入れる必要があります。藤永壯氏は、この期間の台湾からの慰安婦移動について以下のように考察しています。

 第二一軍の作戦行動がつくり出した「慰安婦」の需要は、多数の朝鮮人女性を中国大陸渡航させることになった。一九三八年一一月から四〇年一月にかけて、台湾から華南方面に渡った朝鮮人慰安所関係者は六〇七名であり(表14)、これは一九三九年に台湾に在住していた朝鮮人接客婦四四五名(表2)を、一五〇名以上も上回っている。もちろん渡航した慰安所関係者が、すべて「慰安婦」であったわけではないが、控えめに見ても当時台湾にいた朝鮮人接客婦の総数に匹敵する規模で、朝鮮人慰安婦」の流れが生じたことは間違いないだろう。

http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/taiwan/taiwan3.htm#chap3

つまり、朝鮮人慰安婦台湾を経由地として連行されており、植民地台湾に宗主国人として住んでいた日本人よりも移動の手間がかかっているわけです。これを考慮すると、この史料は日本人慰安婦台湾慰安婦の割合を高く見せる傾向にあり、朝鮮人慰安婦の割合を少なく見せる傾向にあると判断すべきでしょう。

個別の史料では、麻生徹男軍医による報告書で麻生氏自身が1938年1月に上海性病検査した慰安婦約100名のうち、80人が朝鮮人、20人が日本人であったとする史料*4があります。太平洋戦争開戦後の南方占領地での慰安所では、多くの資料で朝鮮人慰安婦の方が日本人慰安婦よりも多かったと書かれており、戦争全期を通じて慰安婦の民族構成の多くが朝鮮人で占められていたことを示唆しています。

秦・大沼歴史修正コンビによる性暴力被害者侮辱会見での8項目の指摘に対する反論4(追記2015/3/22)

続き。

「4.慰安婦天皇からの贈り物」

4.慰安婦天皇からの贈り物

→根拠がなく、あまりに非礼

http://www.sankei.com/life/photos/150317/lif1503170028-p1.html

慰安所は1937年9月29日の改定野戦酒保規定を根拠として設置されました*5。つまり、慰安施設は法的根拠の伴う軍の後方施設であり、そこに配置された慰安婦は、日本兵にとって下賜される煙草や酒と同じく下賜品という認識を持ったのは別に不思議なことではありません。

その意味で言えば、まさに「慰安婦天皇からの贈り物」であって、何も問題のある記載ではありません。

「あまりに非礼」というのは、それこそ現代の価値観で過去を評価するようなもので、否認論者による言いがかりでしかありません。

ちなみに慰安婦を“天皇からの下賜品”だとみなす指摘は、1991年から尹貞玉氏らによってなされています。

朝鮮人従軍慰安婦を考える会(手紙 女たちの太平洋戦争)

1991年8月12日朝刊

 韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉代表も次のようなメッセージを寄せている。尹さんは梨花女子大の前教授。以前から 慰安婦問題に関心を持ち、各地で取材し、資料を集め、研究してきた。

 「戦時中、日本は朝鮮に強制徴用、強制徴兵制を実施し、『天皇』の『赤子』である『皇軍』にささげる『下賜品』 として従軍慰安婦を戦場に送った。しかし、実際のところ、慰安婦は品物以下の『共同便所』扱いだった。彼女たちは、 敗戦と同時に捨てられたり、米軍空襲を口実に塹壕や洞穴の中で集団爆殺されたりした。生き残ったものは、私の知りうる 限り、今日まで肉体的な病気と心理的な病に苦しんでいる。彼女たちは他人を避け、極度に閉じこもった生活をしている。 自分たちが従軍慰安婦だったという事実が、家族や近所の恥になると思っているからだ。日本政府は賠償はおろか、戦後 46年が過ぎた現在も従軍慰安婦の事実を認めようとさえしない。それは、生命と愛の絡んだ性を蹂躙した犯罪である」

http://kyoakubokumetsu.web.fc2.com/ianfu-2-t.html
知ってほしい慰安婦(手紙 女たちの太平洋戦争韓国)

1991年9月12日朝刊

 8月24日夜、大阪森ノ宮ピロティ小ホールで開かれた「『朝鮮人従軍慰安婦問題』を考える集い」には在日朝鮮人の女性をはじめ、 男性、日本人らが参加した。その数約300人で、会場に入りきれないぐらい。従軍慰安婦問題に対する関心の高まりがみえた。

 尹貞玉さんの講演をはさんで十余人の参加者が同問題などについて自分の考えを発表、最期に「8・24アピール」を採択した。

 大きな拍手に迎えられて登壇した尹さんはよくとおる声で話し始めた。日本語だ。メモをとる参加者が多い。

 「慰安婦たちは『モノ』扱いだった。天皇の『下賜品』でした。『突撃一番』というコンドームをつけない軍人もいた。梅毒にかかり 精神が錯乱した女性もいた。目が見えなくなっても軍人の相手をさせられた人もあったのです」

http://kyoakubokumetsu.web.fc2.com/ianfu-4-t.html

むしろ、秦氏や大沼氏によるこの会見こそが戦時性暴力被害者に対して「あまりに非礼」だと言っていいでしょうね。


追記(2015/3/22)

id:Apemanさんからコメント欄で教示いただいたものです。

麻生軍医が1939年6月に作成した報告書「花柳病ノ積極的予防法 第十一軍第十四兵站病院」に慰安婦を「皇軍将兵ヘノ贈リ物」とする記述がありました。

従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発 (1973年)

」P39

(略)サレバ戦地ヘ送リ込マレル娼婦ハ年若キ者ヲ必要トス。而シテ小官、某地ニテ検黴中屡々見シ如キ両鼠径部ニ横根手術の瘢痕ヲ有シ明ラカニ既往花柳ノ烙印ヲオサレシ、アバズレ女ノ類ハ敢ヘテ一考ヲ与ヘタシ。此レ皇軍将兵ヘノ贈リ物トシテ、実ニ如何ハシキ物ナレバナリ。如何ニ検黴ヲ行フトハ言ヘ。

売春経験者で性病の既往のある女性をいくら性病検査をするとは言え「皇軍将兵ヘノ贈リ物」として慰安婦にして送り込むのはいかがなものか、という麻生軍医の指摘です。この思考が、未経験者を騙して慰安所に送り込む行為を誘発させたわけで、結果的にそのように未婚の素人女性を騙して慰安婦にすることが可能だった朝鮮半島で多発したのは良く知られていることですが、それはそれとして、ここでは1939年時点で、慰安婦の管理にかかわった陸軍軍医少尉が、慰安婦を「皇軍将兵ヘノ贈リ物」と見ていた点を指摘しておきます。

*1http://d.hatena.ne.jp/scopedog+D/20141103

*2:元サイトは(40.1%)とあるが、誤記と思われるので修正した。

*3http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/taiwan/taiwan_table14.htm にも藤永壯氏による同様の統計がありますが、期間や取扱に若干の違いがあり、数値は異なっています。ただし、概ね5割が日本人、3割が朝鮮人、2割が台湾人という比率はほぼ同じです。

*4千田夏光従軍慰安婦」P38

*5http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20150226/1424968063http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959709/10

2015-03-21

秦・大沼歴史修正コンビによる性暴力被害者侮辱会見での8項目の指摘に対する反論3

「日本軍は強制的に募集、徴用した」の件

「人数「約20万人」」の件

上の続き。

「年齢「14歳から20歳まで」」

3.年齢「14歳から20歳まで」

→20歳以上が多数いた証拠がある

http://www.sankei.com/life/photos/150317/lif1503170028-p1.html

教科書に書かれている正確な文言がないでの何とも言えませんが、「14歳から20歳まで」を含む女性が強制売春の被害を受けたということなら事実と言う他なく、それも例外的ではなく、かなり多くの未成年が含まれていたことも事実ですね。

極めてよく知られている資料として、心理作戦班日本人捕虜尋問報告49号という米軍のレポートがありますが、そこに20人の朝鮮慰安婦捕虜となった当時の年齢が書かれています。

 1 「S」 二一歳 慶尚南道晋州

 2 「K」 二八歳 慶尚南道三千浦〔以下略〕

 3 「P」 二六歳 慶尚南道晋州

 4 「C」 二一歳 慶尚北道大邱

 5 「C」 二七歳 慶尚南道晋州

 6 「K」 二五歳 慶尚北道大邱

 7 「K」 一九歳 慶尚北道大邱

 8 「K」 二五歳 慶尚南道釜山

 9 「K」 二一歳 慶尚南道クンボク

 10 「K」 二二歳 慶尚南道大邱

 11 「K」 二六歳 慶尚南道晋州

 12 「P」 二七歳 慶尚南道晋州              

 13 「C」 二一歳 慶尚南道(ママ)慶山郡〔以下略〕

 14 「K」 二一歳 慶尚南道咸陽〔以下略〕

 15 「Y」 三一歳 平安南道平壌

 16 「O」 二○歳 平安南道平壌

 17 「K」 二○歳 京畿道京城

 18 「H」 二一歳 京畿道京城

 19 「O」 二○歳 慶尚北道大邱

 20 「K」 二一歳 全羅南道光州

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130728/1375007977

これらの慰安婦は1944年に捕虜となりましたが、ビルマに連行されてきたのは1942年です。連行された時の慰安婦の年齢は、17歳1名、18歳3名、19歳7名、20歳1名、

23歳2名、24歳2名、25歳2名、26歳1名、29歳1名で過半数が20歳未満(11名)です。

その他、2015年2月25日の「資料から読み解く慰安婦問題」では、「(5)未成年者を慰安婦にしていたことがわかる資料」として「外務省資料、フィリピン パナイ島イロイロ慰安所」が林教授によって紹介されており、14歳で慰安婦にされた被害者がいたことも知られていますし、それ以外にも元慰安婦として名乗り出た証言者の中には数え年か満年齢かで14〜16歳で被害にあったというものが少なくありません。

秦氏が「20歳以上の被害者もいた」という指摘で何を主張したいのか大体想像はつきますが、成人女性に対してなら売春強要しても許されるとか思ってるなら、そうはっきり主張すればよいでしょうに。少なくとも日本国内では喝采の声が上がるでしょうよ。

参考:未成年慰安婦の記録

21歳未満の女性や児童の人身売買や売春を禁じた「婦人及び児童の売買禁止条約」のためとみられる。ただ政府は25年に条約を批准した際、植民地を適用除外とした。このため植民地や占領地では売春婦でない未成年女子も対象となった。朝鮮からは17歳、台湾からは14歳の少女が慰安婦とされたとの記録がある。

http://www.asahi.com/articles/ASG7L5HWKG7LUTIL03L.html
フィリピン パナイ島イロイロ慰安所 検梅成績に関する件 1942

イロイロの陸軍慰安所慰安婦性病検査の結果報告。16,17,18歳などの未成年者が多数いたことがわかる。内務省警保局は1938.2.23の通達において、日本国内で慰安婦を徴集する際には21歳以上に限定するように指示していたが、フィリピンにおいては未成年者であることがわかっていたにもかかわらず、軍は慰安婦にしている。これは明らかに差別である。

http://fightforjustice.info/?page_id=608

90年代に日本でなされた慰安婦裁判の韓国人女性達の全員がその当時未成年であった。また足立茂一欽州憲兵分遣隊長 「呼寄証明書」やイロイロ兵支部医務室「検微成績の件」1942,6,9『資料集』によれば、14、5才の台湾フィリピンの少女が慰安婦にされて いたと言う。

http://194586245.web.fc2.com/03.html

秦・大沼歴史修正コンビによる性暴力被害者侮辱会見での8項目の指摘に対する反論2

前回の続き。

「2.人数「約20万人」」

2.人数「約20万人」

秦郁彦氏の推計では約2万人

http://www.sankei.com/life/photos/150317/lif1503170028-p1.html

やはり、秦氏の隣に座っている大沼氏が理事を務めたアジア女性基金のサイトに以下のように書かれています。

研究者たちの推算  
研究者表年 兵総数 パラメータ交代率 慰安婦
秦郁彦 1993 300万人 兵50人に1人 1.5 9万人
吉見義明 1995 300万人 兵100人に1人 1.5 4万5000人
(同上) 兵30人に1人  2 20万人
蘇智良 1999 300万人 兵30人に1人  3.5 36万人
(同上) 4 41万人
秦郁彦 1999 250万人 兵150人に1人 1.5 2万人
http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html

年々推定数を減らしている秦氏は、今度は「当時海外に展開した日本軍の兵力は約100万人です。」*1とか言い出しています。兵総数に関して、1993年には300万人と言い、1999年には250万人だと証言を変えて、今度は100万人だと言い出しました。これほど証言をコロコロ変えるような人の発言は、慰安婦否認論者には信用されないはずですが、都合のいい証言だけは信用するダブルスタンダードを辞さない連中には関係ないんでしょうね*2

さて、吉見氏の推算の一つとして20万人という数字があり、大沼氏が理事を務めたアジア女性基金提示されており、アジア女性基金は度々、日本による謝罪と補償の証拠として扱われ、大沼氏は秦氏の隣で「広い意味での公的な機関」だと主張しています。

アジア女性基金というのは、まさに日本国家を代表して、政府日本国民を代表して、その予算の大部分は日本政府の予算で充当され、総理のお詫びの手紙を犠牲者にお渡しし、国庫から支出された福祉費用をお渡ししたわけです。 事務局は国庫の予算で運営されている。国庫から支出されていないのは、我々のような呼びかけ人や運営委員に対するもので、ここからは一切受け取っていない。しかし他の点では、国家の性格を体現する機関であったし、広い意味での公的な機関であったわけです。

http://blogos.com/article/108036/

その「広い意味での公的な機関」のサイトに20万人という慰安婦の推定数が提示されている以上、「約20万人」という数字がアメリカの教科書に書かれていて何が問題だと言うのでしょうか?

秦氏はまず隣席の大沼氏を問いただすべきですし、大沼氏も隣席で沈黙している場合じゃないでしょうに。



秦推計のおかしさを指摘しているサイト

秦郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について(1)

秦郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について(2)

2015-03-20

秦・大沼歴史修正コンビによる性暴力被害者侮辱会見での8項目の指摘に対する反論1

秦郁彦氏と大沼保昭氏が揃って戦時性暴力被害者を侮辱した件です。

記者会見の会場には、植村氏を捏造記者呼ばわりして名誉毀損訴訟を起こされている櫻井よしこ氏も同席したようですし、同じく訴訟を起こされている西岡力氏もこの慰安婦問題否認会見にかかわっています。

まともな神経をしていたら、こういう連中と同席なんてできないと思うんですけど、大沼氏の神経はどうなってるのか不思議です。

それはそうと冒頭発言で秦氏が指摘(笑)した内容*1が以下です。

「1.日本軍は強制的に募集、徴用した」

1.日本軍は強制的に募集、徴用した

→強制連行の証拠はない

http://www.sankei.com/life/photos/150317/lif1503170028-p1.html

秦氏の隣に座っている大沼氏が理事を務めたアジア女性基金設立にあたって国民に以下のような呼びかけをしています。

アジア女性基金設立にあたっての国民への呼びかけ

1995(平成7)年7月18日

(8月15日全国紙広告)

 戦争が終わってから、50年の歳月が流れました。

 この戦争は、日本国民にも諸外国、とくにアジア諸国の人々にも、甚大な惨禍をもたらしました。なかでも、十代の少女までも含む多くの女性を強制的に「慰安婦」として軍に従わせたことは、女性の根源的な尊厳を踏みにじる残酷な行為でした。こうした女性の方々が心身に負った深い傷は、いかに私たちがお詫わびしても癒すことができるものではないでしょう。

 しかし、私たちは、なんとか彼女たちの痛みを受け止め、その苦しみが少しでも緩和されるよう、最大限の力を尽くしたい、そう思います。これは、これらの方々に耐え難い犠牲を強いた日本が、どうしても今日はたさなければならない義務だと信じます。

http://www.awf.or.jp/6/statement-08.html

「十代の少女までも含む多くの女性を強制的に「慰安婦」として軍に従わせた」と書かれていますので、秦氏はまず隣席の大沼氏に聞いてみてはいかがですか?

それとも、大沼氏が、アジア女性基金は虚偽の理由で国民から募金を募った詐欺行為を行なったと自白でもしましたか?

日本軍が直接強制的に売春させた事件としてスマラン慰安所事件などがよく知られていますが、それについてやはりアジア女性基金理事長が元慰安婦らに出した手紙に以下のように書かれています。

慰安婦の方々へのアジア女性基金理事長の手紙

 かつて戦争の時代に、旧日本軍の関与のもと、多数の慰安所が開設され、そこに多くの女性が集められ、将兵に対する「慰安婦」にさせられました。16、7歳の少女もふくまれる若い女性たちが、そうとも知らされずに集められたり、占領下では直接強制的な手段が用いられることもありました。貴女はそのような犠牲者のお一人だとうかがっています。

 これは、まことに女性の根源的な尊厳を踏みにじる残酷な行為でありました。貴女に加えられたこの行為に対する道義的な責任は、総理の手紙にも認められているとおり、現在の政府と国民も負っております。われわれも貴女に対して心からお詫び申し上げる次第です。

http://www.awf.or.jp/6/statement-13.html

アジア女性基金理事長がこれを嘘だと認めて撤回したのか、隣席の大沼氏に聞いてほしいものですね。

*1:「私たち19人の日本人歴史家がこれを検分いたまして、重要な8箇所のミスを今日みなさまにお伝えしたいと思います。 」http://blogos.com/article/108036/

2015-03-19

秦郁彦「当時海外に展開した日本軍の兵力は約100万人!」 日本軍の海外での戦没者数は210万人いるんですけど・・・

もう秦氏歴史家を名乗るのは止めるべきでしょうね。

また20万人の慰安婦が毎日20人から30人の兵士たちに性サービスをしたと書いてあるんですが、当時海外に展開した日本軍の兵力は約100万人です。教科書に従えば、接客は1日5回という統計になりますから、20万人が5回サービスすると100万になりますので、兵士たちは戦闘する暇がない。毎日慰安所に通わなければ計算が合わなくなるわけですね(会場から笑い)。そういう誇大な数字が教科書に出されているということです。

http://blogos.com/article/108036/

アジア太平洋戦争で戦死した日本の軍人・軍属は約230万人いて、うち海外での戦没者数は約210万人に達します*1

例えば、フィリピンで50万人、中部太平洋で25万人、ニューギニアで13万人、ソロモンで12万人、マレー・蘭印で10万人、ビルマ等で20万人と、ここで列挙しただけでも軽く100万人を超える兵士が戦没しています。

秦氏によれば、海外に展開した日本兵は100万人しかいなかったようですから、日本軍は一人当たり2回戦死しなければ「計算が合わなくなるわけですね(会場から笑い)」。

それとも今度は、日本軍の戦死者230万人は捏造とか主張するつもりなんですかね?

“20万人しかいないのに30万人虐殺はできない”って言うなら、100万人しかいない日本軍が230万人も戦没するなんてありえないはずですよね?