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誰かの妄想・はてな版

2014-04-24

群馬の件

この件。

強制連行追悼碑:群馬県が「政治利用」と許可更新に応じず

毎日新聞 2014年04月18日 11時20分(最終更新 04月18日 14時01分)

 第二次世界大戦中の強制連行で犠牲になった韓国朝鮮人を追悼しようと、群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に建てられた石碑を巡り、県が「政治利用されている可能性がある」として設置許可の更新に応じていないことが分かった。碑を管理する市民団体「追悼碑を守る会」は「平和と友好を誓った碑を撤去せざるを得なくなる」と懸念している。

 市民団体が県の設置許可を得て、2004年4月に追悼碑を建立。高さ1.8メートルで、「わが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」などと刻まれている。

 県や守る会によると、12年から「碑文が反日的なので撤去して」との苦情が計約100件あった。その後、県は、12年の追悼集会で参加者が高校授業料無償化の対象から朝鮮学校を除外する政府方針を批判したことなどについて、「政治的行事を行わないと定めた設置許可条件に抵触する可能性がある」と問題視するようになった。

 県は今年1月に「政治的発言と考えるか」などとの質問を出したが、守る会は「集会が丸ごと政治喧伝(けんでん)の場であったかのように決めつけている」として回答を拒否。碑の設置許可は10年間だが、県は更新申請を保留し、1月に期限が切れた。

 守る会の猪上輝雄事務局長(84)は「韓国中国との関係がぎくしゃくしているこの時代にこそ、碑の意味がある」と訴える。県都市計画課は「再度の回答要請も含めて対応を検討中」としている。【塩田彩】

http://mainichi.jp/select/news/20140418k0000e040188000c.html

撤去や許可取り消しを露骨に求めているのが救いようの無い排外主義者であることは言うまでもありませんが、社会的により有害なのは「政治的行事を行わないと定めた設置許可条件に抵触する可能性がある」という行政側判断に乗っかって“どっちもどっち”とみなそうとする自称中立の主張の方です。

以下はその見本。

the_sun_also_rises 行政は市民から苦情がある場合対応の必要がある。更に政治的なものを集会で取り上げ県も問題視。そこで質問状を出したが市民団体側は回答を「拒否」。拒否はまずいよね。訴訟してもこの経緯なら県に軍配があがるよ。 2014/04/18

tanaka_yuuma 思いっ切り「政治利用」だな。群馬県には頑張ってほしいですね、手口の汚さは世界一、慰安婦捏造をはじめとして恐喝、詐欺、捏造、窃盗が国技南朝鮮反日は叩き壊しましょう。 2014/04/18

http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/news/20140418k0000e040188000c.html

しかしながら「12年の追悼集会で参加者が高校授業料無償化の対象から朝鮮学校を除外する政府方針を批判したこと」も県からの質問に対して「回答を拒否」したことも、撤去や許可更新を認めない正当な理由にはならないと考えます。仮に訴訟になったとしても、追悼碑を守る会の言い分が通る可能性の方が高いでしょう。

「12年の追悼集会で参加者が高校授業料無償化の対象から朝鮮学校を除外する政府方針を批判したこと」は「政治的行事」か?

行事内で政治に関連した発言が出たからと言って政治的行事とみなされるか、と言えば一般的な感覚で言っても答えはNOでしょう。航空自衛隊の基地祭で来賓民主党政権を誹謗した事件がありましたが、だからと言って基地祭を「政治的行事」扱いした人はほとんどいなかったでしょう。

上記のような感覚的な話を除いて、「政治的行事を行わないと定めた設置許可条件」の法的根拠から考えてみても、許可更新を認めない正当な理由とはなり得ない可能性が大です。

設置許可条件の根拠は以下の条例によります。

群馬県立公園条例

(公園施設の設置等の許可)

第十二条 県有公園において、公園施設を設置し、又は管理しようとする者は、知事の許可を受けなければならない。許可を受けた事項を変更しようとするときも同様とする。

2 前項の許可を受けようとする者は、第九条第一項各号に定める事項を記載した申請書を知事に提出しなければならない。この場合申請書には、第十条に定める設計書等を添付しなければならない。

3 公園施設を設け、又は管理する期間は、十年を超えることはできない。これを更新するときの期間についても同様とする。

4 知事は、第一項の許可に県有公園の管理上必要な範囲内で条件を付することができる。

http://www.pref.gunma.jp/s/reiki/333901010023000000MH/333901010023000000MH/333901010023000000MH_j.html

条例12条4項にあるように設置許可条件は「県有公園の管理上必要な範囲内で」のみ付することが出来るに過ぎません。つまり政治的行事か否かを判断するに際して、政治的発言があったかどうかではなく、「県有公園の管理上」許可を認めないことが「必要な」程度の「政治的行事」であったかを判断する必要があるわけです。

要するに、行事そのものが「県有公園の管理」を損なうレベルでの「政治的行事」であったことが許可を認めない条件として必須なわけです。当然、行事内で政治に言及したことで即「県有公園の管理」を損なうことはまずありえませんから、許可は更新されるべきと考えるのが普通です。

県からの質問に対して「回答を拒否」したことは問題?

自称保守反中活動家は「拒否はまずいよね。」と発言していますが、実際にまずいのはどちらかと言えば県の対応の方です。民間団体が行った行事に対して「「政治的発言と考えるか」などとの質問」を出すって、事実上の検閲ですよ。

行事内で「政治的発言」があったとして、それがどのように「県有公園の管理上」問題となるのかが明らかにされていない以上、たとえ県からであってもそのような質問に答える義務はありません。県ができるのはせいぜい、集会時の様子を聴取するくらいまでで、その上で「県有公園の管理上」認められない「政治的行事」か否かを総合的に判断するべきです。言葉尻一つとって問題視するのは、行政のやり方ではありません。

以上の理由から仮に訴訟になれば、団体側が勝利するのはほぼ確実と考えます。

もっとも群馬県知事も県も許可更新には積極的であるようですが。

強制連行碑の更新保留 群馬県「追悼時に政府批判」

2014年4月24日 朝刊

 戦時中に国内に強制連行された韓国朝鮮人を追悼するため、市民らが群馬県立公園「群馬の森」(高崎市)に建てた石碑をめぐり、県が「政治的行事をしない」という設置条件が守られなかった可能性があるとして、三月末の設置許可の期限を過ぎても更新していないことが分かった。一方、大沢正明知事は二十三日の記者会見で、碑を管理する市民団体と「しっかりと意見交換したい」などと述べ、更新に柔軟な姿勢を示した。

 追悼碑は二〇〇四年、市民や有識者らの呼び掛けで建立。県内で中国人の強制連行犠牲者も多かった歴史を踏まえ、「アジアの平和と友好の発展を願う」と刻んでいる。市民団体「記憶 反省 そして友好の追悼碑を守る会」(前橋市)が管理し、毎年、碑の前で追悼集会を開いてきた。碑の設置許可は十年ごとに更新することになっていた。

 しかし、県は、一昨年の集会で政府批判があり、「政治的行事を行わない」と定めた設置条件に触れる可能性もあると判断。三月末の期限を過ぎても更新を保留している。守る会によれば、集会は昨年から会場を碑前から移さざるを得なくなったという。

 県によると、碑の内容や設置更新を批判する声が県に寄せられているが、県は「先の大戦のさなか多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場に動員された」などと書かれた碑文については問題視していない。

 この日の記者会見で大沢知事は、県が昨年四月に中国上海事務所を開き、知事自ら現地訪問するなど友好に努めていることに触れ、「中国とは非常にいい関係。慎重に審議して結論を出したい」と述べた。

 十九日に高崎市内であった追悼集会には在日関係者らも出席したが、この日は政治的な発言はなかった。

 集会に参加していた守る会の神垣(かみがき)宏さん(77)=前橋市=は「これまでも、集会では中国人を含めた強制連行の史実に触れた発言があっただけだ。政治的な発言の場にするつもりはなく、県に分かってもらえるまで、いくらでも話し合いを続けたい」と話していた。

 追悼碑の建立に協力し、中国で強制連行の調査をした経験がある日中友好協会前橋支部の飯塚由美子支部長は「県は歴史を真摯(しんし)に受け止め、石碑をきちんと残してほしい」と求めた。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014042402000118.html

東京新聞の記事は良いほうですが、「この日は政治的な発言はなかった」の部分は多少どうかと思います。政治的発言の有無は問題の本質ではないにもかかわらず、これが踏み絵とされる前例とされる恐れを生じされますので、その点を記事で指摘するべきだったと思います。

2014-04-20

1992年7月の韓国政府による中間報告に関連する話題

1992年7月31日に韓国政府の挺身隊問題実務対策班(班長:外務部亜洲局長)は「日帝軍隊慰安婦実態調査 中間報告書」を出しています。その中に、1992年7月6日の加藤談話に対して韓国政府が表明した論評が載っています。

 韓国政府は日本政府の調査結果発表と関連し、1992年7月6日外務部代弁人の論評で韓国政府の立場を表明したのである。この論評で韓国政府は、日本政府の真相糾明のための調査努力を評価しながら、一方日本政府の調査結果が挺身隊問題の全貌を明かすところまで至っていないため、今後も日本政府の徹底した真相糾明努力が続くことを期待すると明らかにするとともに、日本政府の具体的かつ誠意のある措置を再三促した。

日本政府挺身隊問題調査結果発表についての外務部代弁人論評

日本政府は7月6日挺身隊問題と関連したその間の調査結果を発表したところ、我々は日本政府挺身隊問題の真相糾明のために総理府主管下で関係部署が誠意を持って関連文書を発掘し、調査をしてきた努力に対してこれを評価する。

 日本政府の調査結果に対しては今後関連文書を渡される次第綿密に検討することであるが、先ず日本側の発表内容を検討したところ、日本政府の調査結果が挺身隊問題の全貌を明かすところまでは至っていないため、今後も日本政府の徹底した真相糾明努力が続くよう期待する。

 日本政府は今度の調査結果発表で、軍隊慰安婦問題と関連した日本政府の関与を再三確認しながら謝罪と反省の意を表明しているところ、我々はこのような趣旨の下、今後日本政府の具体的で誠意のある措置がなされることを待ち望む”

この時期の韓国外務部亜洲局長の記者会見は、1992年8月14日のNHKスペシャルで一部放映されています。

(514) 92.08.14 調査報告 アジアからの訴え〜問われる日本の戦後処理〜

(佐藤俊行)

日本と韓国の関係が真に友好的な関係になるのを阻害する要因の一つが従軍慰安婦問題です。

去年12月、三人の従軍慰安婦東京で初めて訴訟を起こし、この問題が公のものとなりました。

韓国の関係者が怒るのは、最初、資料がないとして軍の関与を否定した日本政府が、新しい資料が出るたびに態度を変えたためです。

現在、日本政府は国の関与を認めてはいますが、動員にあたって強制を裏付ける資料は見つからなかったという立場を取っています。

韓国政府は先月、日本の資料と慰安婦の証言を基に中間報告を発表しましたが、動員は朝鮮総督府による強制的なものだったと、日本政府の主張に真っ向から反論しています。慰安婦問題は反文明的な蛮行だった、と公式文書には珍しい感情的な表現も目立ちました。

韓国政府外務省アジア局 キム・ソクウ局長*1

慰安婦は強制的か、それに近い形で集められました。

調査結果をうけて日本政府に誠意ある対応を求めます。

NHK記者のコメントを見ると、日本政府が「強制連行」を否定し、それに対して韓国政府が「強制的なものだった」と反論していることがわかります*2。また、韓国側世論の対日感情の悪化については「最初、資料がないとして軍の関与を否定した日本政府が、新しい資料が出るたびに態度を変えたため」と分析しています。

なお、この「日帝軍隊慰安婦実態調査 中間報告書」については、以下のような調査結果がつけられています。

第2部:日帝軍隊慰安婦実態調査結果

1.軍隊慰安所の設置

2.慰安婦募集

3.輸送方法

4.配置

5.慰安所の管理

6.移動

7.戦争末期の状況

8.連合軍による現地占領以降の状況

9.結論

「2.慰安婦募集」の中に「イ.募集方法」という節があり、「詐術あるいは威圧的雰囲気による方法」や「事実上動員の方法」などを主として記載していますが、募集方法よりも慰安所の管理等に関して詳細に書かれています。

管理に関して、1992年7月という時点を考慮すると*3、かなり正確に書かれています。例えばこういった記載があります。

 このような売春業者は多様で、本来の大規模及び中・小規模の日本人売春業者、軍部隊周辺の用達業者、日本人業者から倣った韓国人業者、中国人・台湾人業者がいたし、他にも慰安所管理関係の業務を担当していたが、途中軍を除隊した下士官あるいは将校出身の業者、前慰安婦出身の業者などがいた。

(P61)

 慰安婦の収入から税金が控除されたし、慰安婦たちは収入を軍事郵便貯金の形で貯蓄するのも可能であった。

 しかし実際に韓国慰安婦が収入を現金の形で手に入れられる場合はほとんど無く、軍票で支払された場合も、日本の敗戦にしたがって軍票は無駄になった。

帰還後の状況などについても述べられており、「慰安婦の動員過程における日本政府の直接的関与」*4だけに「最も大きな関心を寄せていた」などとは感じられない内容です。中間報告の結論部には以下のように書かれています。

9.結論

 日本軍慰安婦政策の発案、慰安所設置、慰安婦募集、輸送、管理などすべての面にわたって全面的に介入した。最後に戦争末期になっては慰安婦を捨てた。戦場での悲惨たる死を免れた慰安婦たちは病による肉体的苦痛と精神的苦痛に苦しみつつ、自分の前歴を隠したまま不幸に生きてそして死んでいった。

 日本軍性病強姦を防止し、占領地域の治安と軍の戦力を維持するために慰安婦政策を実施したし、慰安婦はひとりの人間として認められなかった。このような二度とないような反文明的犯罪がしかも軍隊の戦力維持という技能的目的のため、日本によって当たり前のように行なわれた。そして最大の被害者は当時韓国の純真無垢な未婚の女性と一部既婚の若い女性であった。慰安婦問題は日本の植民統治韓国民の受けた受難のうちもっとも暗い断面を見せてくれるものである。

*1韓国政府外務部亜洲局長 金錫友。挺身隊問題実務対策班長

*2:「動員は朝鮮総督府による強制的なものだった」という部分は、報告書では関東軍特別大演習に関連して動員された慰安婦について出てきますが、「強制的」という記述そのものは報告書内にはありません。

*3:というより、当時は戦争経験者も結構存命でこういったことは常識的に知られていたということかも知れませんが。

*4http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

2014-04-16

国家機関の正式なサイトでも誤記は結構あったりするという話

ちょっと見つけたので備忘的に。

ある種の政治性を持つ人たちにとっては、ささいな誤記・誤植などでも鬼の首を取ったように叩く材料になりますが、民間の一記述に比べれば遥かに確認や精査の点で信頼できる国家機関でも結構誤記があったりします。

外務省サイトの加藤談話の一節です。

調査結果については配布してあるとおりであるが、私から要点をかいつまんで申し上げると、慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められたということである。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

さらに一部抽出。

慰安所慰安婦の街生管理

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

「衛生管理」が「街生管理」になってます。スキャンに失敗したか何かのためと思いますが、似た字なのでアップ前のチェックもすり抜けたのでしょう。

まあ、国家機関であってもこういうのは割りとよくあります。

2014-04-12

木村幹氏の記事の問題点・要約

木村幹氏はこんなツイートをしています。

Kan Kimura ‏@kankimura

ここからはサービス。「河野談話ABC」は結局、何だったのかのここまでの答え。A)河野談話は結論先にありきで作られている(だから議論になっている)、B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている(だから変えられない)。さて、C)が何になるかは、じっくりとお考え下さい。

慰安婦問題は「とりあえず謝っておけばどうにかなるだろう」から始まった」の要約

1・日韓会談の直前に朝日新聞が「慰安婦への軍関与示す資料示す資料」と報道した(1992年1月)

2・1ヶ月前に「政府慰安婦問題に関与した資料は見つかっていない」と発言していた日本政府はパニックに陥り、日韓会談で「お詫び」と「反省」を繰り返した

3・「軍関与」=「強制連行」でもなければ、「軍関与」=「日本政府の責任」でもないにもかかわらず、日韓会談で「お詫び」したことで調査せざるを得なくなった

4・しかし調査しても「国の責任」を認める証拠が見つからなかったし、「国の責任」が何なのかすらわからなかった

5・しかし一度「お詫び」したため、河野談話を出さざるを得なかった

「5」が「A)河野談話は結論先にありきで作られている」という結論になっています。


河野談話はどこで「連合国戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか」の要約

1・日本政府は加藤談話で謝罪し補償の代替措置を認めた

2・しかし朝鮮人慰安婦に対しては補償の根拠となる「強制」がなかった

3・やむなく朝鮮人以外の慰安婦にも調査範囲を広げた

4・朝鮮人以外の慰安婦には「強制」があり、それを踏まえて河野談話アジア女性基金で謝罪・補償した

5・しかし朝鮮人以外の慰安婦の「強制」は「連合国戦後処理」を含む問題であり、河野談話が変更できなくなった

「5」が「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」という結論になっています。


問題点

「A)河野談話は結論先にありきで作られている」も「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」も、それだけなら取り立てて問題視するような結論ではありません。

木村氏記事の問題点はその結論に至る過程の部分にあります。

日本政府管理下で強制売春や性的人身売買が行われていたにも関わらず、「「軍関与」=「日本政府の責任」でもない」とか調査しても「国の責任」を認める証拠が見つからなかったとか呆れざるを得ませんが、まあそこは100歩譲れなくもありません。

しかし、二本目の記事の方の過程の部分は看過できるものではありません。

前記事で指摘したように「朝鮮人以外の慰安婦に対しては「強制」を認めるが、朝鮮人慰安婦に対しては「強制性」はなかった」*1朝鮮人慰安婦に対しては謝罪も補償も必要ない、という主張に他ならず露骨な朝鮮人差別と言わざるを得ません。

「A)河野談話は結論先にありきで作られている」や「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」という結論を導くのに、このようにレイシズムに満ちた過程を持ってくる必要などそもそもありません。

「A)河野談話は結論先にありきで作られている」となる理由

1・慰安婦問題が顕在化すると日本政府は「政府は関与していない」と否定しはじめた

2・日韓会談の直前に朝日新聞が「慰安婦への軍関与示す資料示す資料」と報道した(1992年1月)

3・政府関与下で人身売買被害者が売春を強要されていたことが明らかになり、被害者も名乗り出ていた以上、何らかの形で謝罪せざるを得なくなった

4・被害者が売春を強制されたことについて日本が責任を認めた形の謝罪という「結論先にありき」で最終的に河野談話に至った

「A)河野談話は結論先にありきで作られている」というのが、こういう意味でなら素直に納得できます。


「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」となる理由

1・日本政府は加藤談話売春強制の責任を認めなかった

2・韓国以外のアジアにも慰安婦問題が拡大しはじめた

3・やむなくアジア全域にも調査範囲を広げた

4・慰安婦問題を鎮静化させるために「強制」を認め、それを踏まえて河野談話アジア女性基金で謝罪・補償した

5・河野談話には国際軍事裁判判決という「連合国戦後処理」を含む問題であり、河野談話が変更できなくなった

こちらもこういう意味でなら「変える事が不可能な構造になっている」という結論に素直に承知できます。

木村氏記事の問題点は結論部分ではなく、結論に至る過程の論理に歴史修正主義レイシズムが含まれている点にあります。


さて、C)が何になるかは、じっくりと待つとしましょう。

河野談話はどこで“強制連行の有無”の問題へとすり替わったのか・2(木村幹氏の記事の問題点)

河野談話はどこで「連合国戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか」関連の続き(前記事)。

さてでは、結局、日本政府はこの問題をどう「解決」しようとしたのだろうか。このことを理解するためには、この時出された「加藤談話」の内容を、最終的に出されることになる河野談話と比べてみるとわかりやすい。加藤談話の表題は「朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する内閣官房長官発表」、内容も朝鮮半島から動員された慰安婦に関わるものに限定された形になっている。対して翌1993年8月に発表される河野談話の表題は「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」、内容も朝鮮半島のみならず、中国大陸東南アジア諸国などをも含んだ広い地域から動員された人々を対象とするものになっている。

つまり、加藤談話が出された1992年7月から、河野談話の出される1993年8月のまでの間に、慰安婦問題はいつの間にか、対象と性格を異にするものになってしまっていることである。そして実は、どうしてこのように問題の性格が変わってしまったのか、当時の政府関係者がきちんとした形で説明したことは一度もない。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

ここもおかしい、あるいは説明が不十分で、まず、加藤談話の次の段落を見れば、必ずしも朝鮮半島限定でないことがわかります。

 政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

そもそも、従軍慰安婦問題はアジア太平洋戦争にあたって日本軍性奴隷として動員された事案ですから最初から戦後処理の問題です。木村氏は「連合国戦後処理」にすりかえたと主張していますが、加藤談話の直後、インドネシア政府日本政府を非難する声明を出していること*2をどう評価しているのでしょうか?加藤談話直後の1992年7月にインドネシアから慰安婦問題に関する声明が出ている以上、対象範囲を広げざるを得ないのは当たり前のことで、タイトルにあるような「「連合国戦後処理」を含む問題へとすり替わった」と表現する意図は何なのでしょうか?

もちろん、その理由を想像することは出来る。その一つは既に慰安婦問題韓国のみならず、日本による軍事占領などを経験した他の国々関心をも集める問題となっており、その一部では訴訟も開始される事態になっていたからである。しかし、当時の関係者の回顧などから推測できることがもう一つある。それは韓国政府日韓両国の世論から慰安婦動員過程における「強制性」の立証性を求められた日本政府が、調査対象の範囲を広げることによりこの問題を解決しようとしたのではないか、ということである。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

木村氏はここで「日本による軍事占領などを経験した他の国々関心をも集める問題となって」いたことを軽視し、“朝鮮半島の事例からは「慰安婦動員過程における「強制性」」を立証できなかったからやむなく「強制性」を立証できる事例を含めるように範囲を広げた”という説を選択しています。ちなみに「当時の関係者」がそのように回顧していたとしても、それこそ言い訳に過ぎません。加藤談話の時点で調査・公表したのは加藤談話を見る限り、文書史料のみです。“民間女性を不法に拉致して売春を強要せよ”などという命令書を行政機関が発行することなどありえませんから、本気で「強制性」を立証したいのなら、当時の関係者を探して事実関係を聴取する必要がありました。それも単純な聞き取りではなく、慰安婦らの自由意志を同確認したのか、それをどう証明するのか、を含めて聴取する必要があったでしょう。しかし、加藤談話当時の日本政府はそのような聴取をしていません。戦中20〜30代だった関係者は1990年代当時70〜80代で存命の人も少なくなかったはずです*3。その人たちに慰安婦らの自由意志をどうやって確認したのか、を聴取し、国家の瑕疵と言えないレベルでの対応がなされていたことが立証できなければ「強制」があったとみなす、そういうやり方で「強制性」は立証できたでしょう。「強制性」の立証に積極的であれば、それは容易にできたのに、その手段は採らずに、慰安婦問題の関係地域を拡大したというのは、当事者の言い訳や強弁としてならともかく、在野の研究者が採用する解釈としては曲解もいいところだと思います。

実際、当時官房副長官を務めていた石原信雄は2006年のインタビューにて、この加藤談話への批判がきっかけで「沖縄アメリカ公文書館など、海外にまで広げて、外務省大使館と連携を取って、徹底的に調べ」ることになった、と回想している。比喩的に言うなら、ストライクの入らないピッチャーがストライクゾーンを広げることにより、何とか野球になるようになった、ということになる。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

まあ、そもそも加藤談話以前にアメリカ公文書館を調べるということをしていない方が驚愕ですよね。加藤談話の半年前の1991年12月21日には駐米韓国大使館が、日本軍朝鮮人従軍慰安婦の管理に関与した内容の米軍の調査報告書を発見したと報道されています*4。このような報道を見ても、米公文書館を日本側も調べるという発想が出来なかったとしたら間抜けすぎです。実態としては、単に日本政府にやる気がなかったということでしょう。木村氏は「日本政府がそれまで明らかに手抜きをしていた調査を、92年1月の日韓会談の後本格化」させた」*5と言っていますが、本格化した調査が行われた1992年1月〜7月の間に誰もアメリカ公文書館を調べることを思いつきもしなかったのでしょうか?

実際のところ「92年1月の日韓会談の後」ですら日本政府は「手抜きをしていた」のではないのでしょうか?その辺、詳しい木村氏の解説がほしいところですね*6


重要なのは、意図的にせよそうでないにせよ、これにより、結果として出される河野談話の性格が、日韓間の関係を大きく超える存在となってしまったことだった。戦前の朝鮮半島は日本の植民地だったから、その戦後処理基本的には日韓両国のみに関わる問題であるから、独自に解決することもできる。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

ここはまあそうでしょうね。1990年前後の日韓間の大きな歴史問題としては朝鮮人強制連行の問題がありました。慰安婦問題はそれと一緒に取りざたされることが多く、日本政府がその気なら、その枠組みで解決させることもできたでしょうが、奥野・藤尾両議員に代表される歴史修正主義者が与党内に跋扈している状態では政治的に無理だったでしょうね。

しかしながら、それが旧オランダ領インドなど、旧連合国地域から動員された慰安婦をも対象としたことにより、問題の性格は大きく変わってしまうことになった。その含意は二つある。一つ目は、旧オランダ領インドにおける「スマラン事件」に代表されるように、朝鮮半島外の地域においては、慰安婦が「強制連行」されたことが明らかな事例が幾つか存在すること、そして、二つ目は、旧連合国地域においては、その「強制連行」有無の判断が連合国による戦後処理の一環として行われていることである。

それは言い換えるなら次のようになる。河野談話に至るまでの過程で「ストライクゾーン」を広げた結果、確かに慰安婦問題における「強制連行」に関わる事例は確保できた。しかしながらこの結果、同時に日本は慰安婦問題における議論に旧連合国と、彼らによって行われた国際軍事裁判の結果をも含むこととなってしまった。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

問題の性格は国家が関与した強制売春であって当初から一貫しています*7。労務動員における強制連行も慰安婦問題における強制連行も、主眼は連行という動員過程にあるのではなく、劣悪過酷な労務を強要される場所や売春を強要される場所に連行されたという動員結果にあります。たとえ日本兵が直接銃を突きつけ連行したとしても、連行先ですぐに警察・憲兵に救助され帰宅できたのなら、軍による強制連行ではあっても組織犯罪という追及はされません*8

「強制連行」という言葉

1990年当時、「強制連行」と言えば従軍慰安婦のほかに、朝鮮人中国人に対する戦時労務動員を指す言葉として既に知られていました。朝鮮人強制連行に関する古典的書籍である「朝鮮人強制連行の記録」は1965年の出版ですが、この時点で既に「強制連行」を直接的暴力での連行や法的強制力での連行に限定していませんでした。戦時労務動員問題と重なる時期に扱われたにも関わらず慰安婦問題に対してだけ「強制連行」を直接的暴力での連行に限定し、「慰安婦の動員過程における日本政府の直接的関与を含む史料は含まれていなかったこと」を厄介視すること自体おかしな話です。

単に日本政府は調査にあたって、日本政府の責任を回避・矮小化するために条件を徹底的に厳格化し、そこから外れた事例は一切無関係として無視したかっただけでしょう。加藤談話の時点でもその態度は如実に表れており、加害性に無関係な間接的関与のみであるかのように偽装したに過ぎません。

なお、繰り返しですが加藤談話以降、河野談話までに対象地域が広がったのは、加藤談話直後のインドネシア政府からの抗議に見られるように実際に被害にあった地域、特に占領・軍政慰安婦問題以外にも多くの被害を受けた地域からの声があり、それを無視できなかっただけと考えて大過ないでしょう。


このことの意味はやはり「スマラン事件」の例を考えればわかりやすい。この事件における日本軍によるオランダ人慰安婦の強制連行の認定は、バタビアに設置された臨時軍法会議によって行われ、結果、日本人元軍人の一人に死刑が宣告されている。典型的な旧連合国による国際軍事裁判の結果の一つである。

そして、ここで忘れてはならないことは、日本政府はサンフランシスコ講和条約において、これら旧連合国が行った一連の国際軍事裁判の結果を「受諾」する義務を負っていることである。もちろん、この義務の範囲については論争が存在するものの、重要なことは結果として、「河野談話に挑戦すること」が旧連合国による戦後処理に対する挑戦、つまり「国際軍事裁判の受諾」に関わる問題になってしまったことである。同じ野球比喩を使うなら、ストライクゾーンを広げた代わりに、日本政府は旧連合国という異なる「審判」を迎えてしまうことになったわけである。

結果として、河野談話はその成立に至る過程の著しい不透明さにもかかわらず、「強制連行」された事例を確保し、しかも、それが旧連合国による「動かし難い裁判結果」により支えられることで、一定の持続性を確保することができた。現在の日本政府の、成立過程については再検証するものの、談話の文言を見直すことはないう、一見矛盾した姿勢の背景にも、このような談話の独特の成り立ちと構造がある。

しかし、そのことこそが逆に、日本国内における異なるフラストレーションを高めさせる効果をも持つこととなっていくのである。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

ここで木村氏が描いたのは、“朝鮮人慰安婦に対して「強制連行」しておらず、謝罪すべきことも補償すべきことも一切ない”無垢で間抜けな日本政府が、袋小路に迷い込んだという非現実的なストーリーですが、さすがにそれは日本政府を舐め過ぎてるんじゃないでしょうか。


木村氏の主張

木村氏説では、加藤談話から河野談話へと至る過程で国際軍事裁判で裁かれたスマラン事件などを含むようになったため、河野談話を変えることができなくなった、ということになっています。それは“連合国にとって「動かし難い裁判結果」を否定する行為は認められないから”という理屈です。

しかし、この理屈によるなら“朝鮮人以外の慰安婦に対しては「強制」を認めるが、朝鮮人慰安婦に対しては「強制性」はなかった”という形に河野談話を変えることはできることになりますね。

そこまで言わずとも、河野談話朝鮮人慰安婦に対しては「強制」を認めていない談話だという主張であることは間違いありません。河野談話という盾で旧連合国からの批判をかわしながら、韓国朝鮮人に対しては侮辱と二次強姦をこれまで通り続けて構わない、という論拠になる主張です。

河野談話はどこで「連合国戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか」という記事を要約するとこうなります。

日本政府は加藤談話で謝罪し補償の代替措置を認めた

・しかし朝鮮人慰安婦に対しては補償の根拠となる「強制」がなかった

・やむなく朝鮮人以外の慰安婦にも調査範囲を広げた

朝鮮人以外の慰安婦には「強制」があり、それを踏まえて河野談話アジア女性基金で謝罪・補償した

・しかし朝鮮人以外の慰安婦の「強制」は「連合国戦後処理」を含む問題であり、河野談話が変更できなくなった

木村氏が言いたいことは上記と解釈できますが、違うと言うなら反論してほしいところです。

Kan Kimura ‏@kankimura

ここからはサービス。「河野談話ABC」は結局、何だったのかのここまでの答え。A)河野談話は結論先にありきで作られている(だから議論になっている)、B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている(だから変えられない)。さて、C)が何になるかは、じっくりとお考え下さい。

と言ってるようですので、多分間違ってないでしょう。

この木村氏説からは当然に、朝鮮人慰安婦に対しては謝罪や補償の根拠となる「強制」がない、にもかかわらず日本政府朝鮮人慰安婦らに謝罪・補償してやった、という認識が生まれます。

そういう認識で発言している排外主義者はたくさんいますが、木村氏の記事は彼らに餌を与えたようなものです。

私が木村氏の記事を問題だと指摘した理由がこれです。

まあ、理解はしてもらえそうにありませんが。

*1http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140412/1397232106

*2:「インドネシア「非難声明、穏当にした」 慰安婦問題」朝日2013年10月13日11時02分 http://digital.asahi.com/articles/TKY201310120358.html

*3河野談話時点では当時の警察関係者などに聴取しているが、加藤談話時点でも聴取されていたかはよくわかりません。

*4http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140408/1396883009

*5https://twitter.com/kankimura/status/454074415609679872

*6:私向けなのかどうかわかりませんが、「自分で調べようともせずに、偉そうに「史料を出せ」と人に要求する、と言うのは、人間としてどうか、と思うぞ。」とか言ってるのを見ると期待できなさそうですが。

*7:木村氏の言う「問題の性格」とは慰安婦問題人権的側面ではなく、外交的側面として日韓間の問題が旧連合国と日本との問題に変わった、という意図だと思われますが、「言説を文脈で解釈する」(https://twitter.com/kankimura/status/454516633126457344)という割には、文脈がお粗末だと思いますね。

*8:同様の事態が頻発していれば、再発防止策の不作為で追及されるでしょうが。

2014-04-11

「日本政府がそれまで明らかに手抜きをしていた調査」

さて、前回述べたように、河野談話を考える上で重要だったのは、その道筋が1992年1月初頭の朝日新聞報道からはじまる1週間足らずの間に「十分な調査さえ行われることなく」決まってしまったことだった。

混乱した状況の中行われた首脳会談で、日本側は繰り返し謝罪を行う一方で、二つのことを約束している。すなわち、この問題の真相究明と何らかの「誠意を見せるための」措置の検討である。実は日本政府朝日新聞報道からわずか3日後の1992年1月14日、既に「補償の代替措置」を検討することを公にしていた。こうして、慰安婦問題に対するその後の展開、つまり、河野談話からアジア女性基金への流れは出来上がってしまう、ことになる。

首脳会談の後、日本政府泥縄式慰安婦問題に関する歴史的史料の発掘に取り組んだ。韓国政府に対して約束したからだけでなく、自らが行動するための歴史的根拠を確定しなければならないからである。こうして所蔵する史料をしらみ潰しに当たった日本政府は、1992年7月6日、127件の日本「政府の関与」を示す史料が発見された、との調査結果を公表する。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

この部分を普通に読む限り、日本政府の調査が始まったのは1992年1月の首脳会談後かせいぜい1992年1月初頭の朝日新聞報道以降という解釈になると思います。

Kan Kimura

‏@kankimura 相変わらずこのコラムは酷い。自分は「十分に謝罪した」という論点を取っていない。また、日本政府がそれまで明らかに手抜きをしていた調査を、92年1月の日韓会談の後本格化」させた事は、新聞記事のみならず、石原副官房長官の回顧からも明らか。http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140410/1397061581

https://twitter.com/kankimura/status/454074415609679872

このツイートには同意できますね*1。そうです。日本政府は1992年1月まで慰安婦問題の調査を明らかに手抜きしていたんですよ。木村氏の元記事からは、とてもそうは読み取れませんでしたけど。

「十分な調査さえ行われることな」かったのは、朝日新聞報道から日韓首脳会談までの期間が1週間足らずしかなかったからではなく、それまで1年以上にわたって日本政府慰安婦問題調査に真面目に取り組んでこなかったからです。

だとすれば、木村氏のこの前の記事の以下の部分はどうなんでしょうか?

河野談話が出されるに至る経緯を理解するためには、1992年1月11日の「慰安所への軍関与示す資料」という表題の朝日新聞報道にまでさかのぼらなければならない。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/comfort-women-issue_b_5074477.html

さかのぼる場所はそこですか?

それにどうして1992年1月の朝日新聞報道までの1年半、日本政府が調査を手抜きしていたことに言及しなかったんでしょうか?

日本政府慰安婦問題に対する消極的な姿勢を知る上で重要な事実だと私は思いますけど。


ところで私はこう書きました。

日本政府1990年中には史料の調査を開始していますので、1992年1月の日韓会談以降に「泥縄式に」「発掘に取り組んだ」と表現するのは明らかに間違っています。もっとも日本政府が意図的にサボタージュしてたというなら別ですが。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140410/1397061581

木村氏には「日本政府が意図的にサボタージュしてた」という部分に同意していただいたようですので、その点感謝します。

まあ、夏休みの課題を8月31日までやってなかった小学生が泥縄式に宿題に取り組んだみたいなもので日本政府の自業自得ということですね。

朝日新聞が1992年1月に報道していなければ、日本政府は調査の手抜きを継続してたでしょうし、当然1992年1月の日韓会談でも大して触れられることなかったでしょう。その意味ではひょっとしたら木村氏は1992年1月朝日報道日本政府の調査姿勢を積極的に変えたという意味で評価しているのかも知れません。だとすれば、それが記事の文面から伝わってこないのが残念です。

「強制連行」の語に含まれる意味を木村氏に質問したい

例示。加藤談話翌日の朝日新聞の見出しは「「従軍慰安婦」に政府関与認める 強制連行は否定 調査結果を公表」。また、毎日は「事実上の強制連行 韓国政府中間報告 日本側発表に反論」、を7月末に掲げて、韓国政府の姿勢をまとめている。当時のメディアの関心が強制連行にあったことは明確。

https://twitter.com/kankimura/status/454170250657812480

Kan Kimura

‏@kankimura 某コラム続き。このコラムの特徴は「外交」を見ていないこと。加藤談話の後、韓国政府は「強制連行」の認定を執拗に求めてきている。また、当時の日韓両国の新聞もこの点について繰り返し論じている。史料を見ないで歴史について論じるのは無意味。http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140410/1397061581

https://twitter.com/kankimura/status/454161028025040896

そうですね。韓国側は「「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」による動員を強制連行であると」*2みなしていますから、朝鮮人慰安婦に対する動員過程も当然に「強制連行」であると主張しています。それに対して、日本側は「強制」を極めて狭い範囲に絞って「強制性」を認めなかったわけです。

木村氏は「強制連行」とは、官憲による直接的な暴力を用いた連行であって、それ以外は「強制連行」とは認めないのでしょうか?

「当時の日韓両国の新聞」は「強制連行」をいかなる意味で論じていたのでしょうか?

木村氏にはこの辺を是非とも史料に基づいて説明してほしいところです。

「関与」という表現に特殊性を感じるのなら、同じように「強制連行」という表現にも特殊性を感じていただけると思いますし。

Kan Kimura

‏@kankimura 慰安婦問題については、政府の「関与」という表現の特殊性だとかとか、92年1月までは韓国政府も法律的には解決済みの立場だった、とか、更に93年2月にもう一度解決済みに戻るとか、韓国政府慰安婦支援団体を押さえ込んでくれることを前提にし日本政府が動いている、とかいろいろあるんだよね。

https://twitter.com/kankimura/status/453336973541769216

ところで木村氏に確認しておきたいのですが、「「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」による動員を強制連行であると」仮に定義したとすれば、朝鮮人慰安婦はまさしく「強制連行」された、ということに木村氏は同意いただけるのでしょうか?

それとも、朝鮮人慰安婦だけは「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」によらずに集まった自発的売春婦だったと考えているのでしょうか?

あるいは、「強制連行」をそのように定義することは認めないので回答を拒絶するのでしょうか?

*1:「酷い」とかいうのは言われ慣れてるのでスルー。

*2:挺隊協の1993年報告書