Hatena::ブログ(Diary)

誰かの妄想・はてな版

2014-04-16

国家機関の正式なサイトでも誤記は結構あったりするという話

ちょっと見つけたので備忘的に。

ある種の政治性を持つ人たちにとっては、ささいな誤記・誤植などでも鬼の首を取ったように叩く材料になりますが、民間の一記述に比べれば遥かに確認や精査の点で信頼できる国家機関でも結構誤記があったりします。

外務省サイトの加藤談話の一節です。

調査結果については配布してあるとおりであるが、私から要点をかいつまんで申し上げると、慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められたということである。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

さらに一部抽出。

慰安所慰安婦の街生管理

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

「衛生管理」が「街生管理」になってます。スキャンに失敗したか何かのためと思いますが、似た字なのでアップ前のチェックもすり抜けたのでしょう。

まあ、国家機関であってもこういうのは割りとよくあります。

2014-04-12

木村幹氏の記事の問題点・要約

木村幹氏はこんなツイートをしています。

Kan Kimura ‏@kankimura

ここからはサービス。「河野談話ABC」は結局、何だったのかのここまでの答え。A)河野談話は結論先にありきで作られている(だから議論になっている)、B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている(だから変えられない)。さて、C)が何になるかは、じっくりとお考え下さい。

慰安婦問題は「とりあえず謝っておけばどうにかなるだろう」から始まった」の要約

1・日韓会談の直前に朝日新聞が「慰安婦への軍関与示す資料示す資料」と報道した(1992年1月)

2・1ヶ月前に「政府慰安婦問題に関与した資料は見つかっていない」と発言していた日本政府はパニックに陥り、日韓会談で「お詫び」と「反省」を繰り返した

3・「軍関与」=「強制連行」でもなければ、「軍関与」=「日本政府の責任」でもないにもかかわらず、日韓会談で「お詫び」したことで調査せざるを得なくなった

4・しかし調査しても「国の責任」を認める証拠が見つからなかったし、「国の責任」が何なのかすらわからなかった

5・しかし一度「お詫び」したため、河野談話を出さざるを得なかった

「5」が「A)河野談話は結論先にありきで作られている」という結論になっています。


河野談話はどこで「連合国戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか」の要約

1・日本政府は加藤談話で謝罪し補償の代替措置を認めた

2・しかし朝鮮人慰安婦に対しては補償の根拠となる「強制」がなかった

3・やむなく朝鮮人以外の慰安婦にも調査範囲を広げた

4・朝鮮人以外の慰安婦には「強制」があり、それを踏まえて河野談話アジア女性基金で謝罪・補償した

5・しかし朝鮮人以外の慰安婦の「強制」は「連合国戦後処理」を含む問題であり、河野談話が変更できなくなった

「5」が「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」という結論になっています。


問題点

「A)河野談話は結論先にありきで作られている」も「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」も、それだけなら取り立てて問題視するような結論ではありません。

木村氏記事の問題点はその結論に至る過程の部分にあります。

日本政府管理下で強制売春や性的人身売買が行われていたにも関わらず、「「軍関与」=「日本政府の責任」でもない」とか調査しても「国の責任」を認める証拠が見つからなかったとか呆れざるを得ませんが、まあそこは100歩譲れなくもありません。

しかし、二本目の記事の方の過程の部分は看過できるものではありません。

前記事で指摘したように「朝鮮人以外の慰安婦に対しては「強制」を認めるが、朝鮮人慰安婦に対しては「強制性」はなかった」*1朝鮮人慰安婦に対しては謝罪も補償も必要ない、という主張に他ならず露骨な朝鮮人差別と言わざるを得ません。

「A)河野談話は結論先にありきで作られている」や「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」という結論を導くのに、このようにレイシズムに満ちた過程を持ってくる必要などそもそもありません。

「A)河野談話は結論先にありきで作られている」となる理由

1・慰安婦問題が顕在化すると日本政府は「政府は関与していない」と否定しはじめた

2・日韓会談の直前に朝日新聞が「慰安婦への軍関与示す資料示す資料」と報道した(1992年1月)

3・政府関与下で人身売買被害者が売春を強要されていたことが明らかになり、被害者も名乗り出ていた以上、何らかの形で謝罪せざるを得なくなった

4・被害者が売春を強制されたことについて日本が責任を認めた形の謝罪という「結論先にありき」で最終的に河野談話に至った

「A)河野談話は結論先にありきで作られている」というのが、こういう意味でなら素直に納得できます。


「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」となる理由

1・日本政府は加藤談話売春強制の責任を認めなかった

2・韓国以外のアジアにも慰安婦問題が拡大しはじめた

3・やむなくアジア全域にも調査範囲を広げた

4・慰安婦問題を鎮静化させるために「強制」を認め、それを踏まえて河野談話アジア女性基金で謝罪・補償した

5・河野談話には国際軍事裁判判決という「連合国戦後処理」を含む問題であり、河野談話が変更できなくなった

こちらもこういう意味でなら「変える事が不可能な構造になっている」という結論に素直に承知できます。

木村氏記事の問題点は結論部分ではなく、結論に至る過程の論理に歴史修正主義レイシズムが含まれている点にあります。


さて、C)が何になるかは、じっくりと待つとしましょう。

河野談話はどこで“強制連行の有無”の問題へとすり替わったのか・2(木村幹氏の記事の問題点)

河野談話はどこで「連合国戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか」関連の続き(前記事)。

さてでは、結局、日本政府はこの問題をどう「解決」しようとしたのだろうか。このことを理解するためには、この時出された「加藤談話」の内容を、最終的に出されることになる河野談話と比べてみるとわかりやすい。加藤談話の表題は「朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する内閣官房長官発表」、内容も朝鮮半島から動員された慰安婦に関わるものに限定された形になっている。対して翌1993年8月に発表される河野談話の表題は「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」、内容も朝鮮半島のみならず、中国大陸東南アジア諸国などをも含んだ広い地域から動員された人々を対象とするものになっている。

つまり、加藤談話が出された1992年7月から、河野談話の出される1993年8月のまでの間に、慰安婦問題はいつの間にか、対象と性格を異にするものになってしまっていることである。そして実は、どうしてこのように問題の性格が変わってしまったのか、当時の政府関係者がきちんとした形で説明したことは一度もない。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

ここもおかしい、あるいは説明が不十分で、まず、加藤談話の次の段落を見れば、必ずしも朝鮮半島限定でないことがわかります。

 政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

そもそも、従軍慰安婦問題はアジア太平洋戦争にあたって日本軍性奴隷として動員された事案ですから最初から戦後処理の問題です。木村氏は「連合国戦後処理」にすりかえたと主張していますが、加藤談話の直後、インドネシア政府日本政府を非難する声明を出していること*2をどう評価しているのでしょうか?加藤談話直後の1992年7月にインドネシアから慰安婦問題に関する声明が出ている以上、対象範囲を広げざるを得ないのは当たり前のことで、タイトルにあるような「「連合国戦後処理」を含む問題へとすり替わった」と表現する意図は何なのでしょうか?

もちろん、その理由を想像することは出来る。その一つは既に慰安婦問題韓国のみならず、日本による軍事占領などを経験した他の国々関心をも集める問題となっており、その一部では訴訟も開始される事態になっていたからである。しかし、当時の関係者の回顧などから推測できることがもう一つある。それは韓国政府日韓両国の世論から慰安婦動員過程における「強制性」の立証性を求められた日本政府が、調査対象の範囲を広げることによりこの問題を解決しようとしたのではないか、ということである。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

木村氏はここで「日本による軍事占領などを経験した他の国々関心をも集める問題となって」いたことを軽視し、“朝鮮半島の事例からは「慰安婦動員過程における「強制性」」を立証できなかったからやむなく「強制性」を立証できる事例を含めるように範囲を広げた”という説を選択しています。ちなみに「当時の関係者」がそのように回顧していたとしても、それこそ言い訳に過ぎません。加藤談話の時点で調査・公表したのは加藤談話を見る限り、文書史料のみです。“民間女性を不法に拉致して売春を強要せよ”などという命令書を行政機関が発行することなどありえませんから、本気で「強制性」を立証したいのなら、当時の関係者を探して事実関係を聴取する必要がありました。それも単純な聞き取りではなく、慰安婦らの自由意志を同確認したのか、それをどう証明するのか、を含めて聴取する必要があったでしょう。しかし、加藤談話当時の日本政府はそのような聴取をしていません。戦中20〜30代だった関係者は1990年代当時70〜80代で存命の人も少なくなかったはずです*3。その人たちに慰安婦らの自由意志をどうやって確認したのか、を聴取し、国家の瑕疵と言えないレベルでの対応がなされていたことが立証できなければ「強制」があったとみなす、そういうやり方で「強制性」は立証できたでしょう。「強制性」の立証に積極的であれば、それは容易にできたのに、その手段は採らずに、慰安婦問題の関係地域を拡大したというのは、当事者の言い訳や強弁としてならともかく、在野の研究者が採用する解釈としては曲解もいいところだと思います。

実際、当時官房副長官を務めていた石原信雄は2006年のインタビューにて、この加藤談話への批判がきっかけで「沖縄アメリカ公文書館など、海外にまで広げて、外務省大使館と連携を取って、徹底的に調べ」ることになった、と回想している。比喩的に言うなら、ストライクの入らないピッチャーがストライクゾーンを広げることにより、何とか野球になるようになった、ということになる。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

まあ、そもそも加藤談話以前にアメリカ公文書館を調べるということをしていない方が驚愕ですよね。加藤談話の半年前の1991年12月21日には駐米韓国大使館が、日本軍朝鮮人従軍慰安婦の管理に関与した内容の米軍の調査報告書を発見したと報道されています*4。このような報道を見ても、米公文書館を日本側も調べるという発想が出来なかったとしたら間抜けすぎです。実態としては、単に日本政府にやる気がなかったということでしょう。木村氏は「日本政府がそれまで明らかに手抜きをしていた調査を、92年1月の日韓会談の後本格化」させた」*5と言っていますが、本格化した調査が行われた1992年1月〜7月の間に誰もアメリカ公文書館を調べることを思いつきもしなかったのでしょうか?

実際のところ「92年1月の日韓会談の後」ですら日本政府は「手抜きをしていた」のではないのでしょうか?その辺、詳しい木村氏の解説がほしいところですね*6


重要なのは、意図的にせよそうでないにせよ、これにより、結果として出される河野談話の性格が、日韓間の関係を大きく超える存在となってしまったことだった。戦前の朝鮮半島は日本の植民地だったから、その戦後処理基本的には日韓両国のみに関わる問題であるから、独自に解決することもできる。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

ここはまあそうでしょうね。1990年前後の日韓間の大きな歴史問題としては朝鮮人強制連行の問題がありました。慰安婦問題はそれと一緒に取りざたされることが多く、日本政府がその気なら、その枠組みで解決させることもできたでしょうが、奥野・藤尾両議員に代表される歴史修正主義者が与党内に跋扈している状態では政治的に無理だったでしょうね。

しかしながら、それが旧オランダ領インドなど、旧連合国地域から動員された慰安婦をも対象としたことにより、問題の性格は大きく変わってしまうことになった。その含意は二つある。一つ目は、旧オランダ領インドにおける「スマラン事件」に代表されるように、朝鮮半島外の地域においては、慰安婦が「強制連行」されたことが明らかな事例が幾つか存在すること、そして、二つ目は、旧連合国地域においては、その「強制連行」有無の判断が連合国による戦後処理の一環として行われていることである。

それは言い換えるなら次のようになる。河野談話に至るまでの過程で「ストライクゾーン」を広げた結果、確かに慰安婦問題における「強制連行」に関わる事例は確保できた。しかしながらこの結果、同時に日本は慰安婦問題における議論に旧連合国と、彼らによって行われた国際軍事裁判の結果をも含むこととなってしまった。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

問題の性格は国家が関与した強制売春であって当初から一貫しています*7。労務動員における強制連行も慰安婦問題における強制連行も、主眼は連行という動員過程にあるのではなく、劣悪過酷な労務を強要される場所や売春を強要される場所に連行されたという動員結果にあります。たとえ日本兵が直接銃を突きつけ連行したとしても、連行先ですぐに警察・憲兵に救助され帰宅できたのなら、軍による強制連行ではあっても組織犯罪という追及はされません*8

「強制連行」という言葉

1990年当時、「強制連行」と言えば従軍慰安婦のほかに、朝鮮人中国人に対する戦時労務動員を指す言葉として既に知られていました。朝鮮人強制連行に関する古典的書籍である「朝鮮人強制連行の記録」は1965年の出版ですが、この時点で既に「強制連行」を直接的暴力での連行や法的強制力での連行に限定していませんでした。戦時労務動員問題と重なる時期に扱われたにも関わらず慰安婦問題に対してだけ「強制連行」を直接的暴力での連行に限定し、「慰安婦の動員過程における日本政府の直接的関与を含む史料は含まれていなかったこと」を厄介視すること自体おかしな話です。

単に日本政府は調査にあたって、日本政府の責任を回避・矮小化するために条件を徹底的に厳格化し、そこから外れた事例は一切無関係として無視したかっただけでしょう。加藤談話の時点でもその態度は如実に表れており、加害性に無関係な間接的関与のみであるかのように偽装したに過ぎません。

なお、繰り返しですが加藤談話以降、河野談話までに対象地域が広がったのは、加藤談話直後のインドネシア政府からの抗議に見られるように実際に被害にあった地域、特に占領・軍政慰安婦問題以外にも多くの被害を受けた地域からの声があり、それを無視できなかっただけと考えて大過ないでしょう。


このことの意味はやはり「スマラン事件」の例を考えればわかりやすい。この事件における日本軍によるオランダ人慰安婦の強制連行の認定は、バタビアに設置された臨時軍法会議によって行われ、結果、日本人元軍人の一人に死刑が宣告されている。典型的な旧連合国による国際軍事裁判の結果の一つである。

そして、ここで忘れてはならないことは、日本政府はサンフランシスコ講和条約において、これら旧連合国が行った一連の国際軍事裁判の結果を「受諾」する義務を負っていることである。もちろん、この義務の範囲については論争が存在するものの、重要なことは結果として、「河野談話に挑戦すること」が旧連合国による戦後処理に対する挑戦、つまり「国際軍事裁判の受諾」に関わる問題になってしまったことである。同じ野球比喩を使うなら、ストライクゾーンを広げた代わりに、日本政府は旧連合国という異なる「審判」を迎えてしまうことになったわけである。

結果として、河野談話はその成立に至る過程の著しい不透明さにもかかわらず、「強制連行」された事例を確保し、しかも、それが旧連合国による「動かし難い裁判結果」により支えられることで、一定の持続性を確保することができた。現在の日本政府の、成立過程については再検証するものの、談話の文言を見直すことはないう、一見矛盾した姿勢の背景にも、このような談話の独特の成り立ちと構造がある。

しかし、そのことこそが逆に、日本国内における異なるフラストレーションを高めさせる効果をも持つこととなっていくのである。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

ここで木村氏が描いたのは、“朝鮮人慰安婦に対して「強制連行」しておらず、謝罪すべきことも補償すべきことも一切ない”無垢で間抜けな日本政府が、袋小路に迷い込んだという非現実的なストーリーですが、さすがにそれは日本政府を舐め過ぎてるんじゃないでしょうか。


木村氏の主張

木村氏説では、加藤談話から河野談話へと至る過程で国際軍事裁判で裁かれたスマラン事件などを含むようになったため、河野談話を変えることができなくなった、ということになっています。それは“連合国にとって「動かし難い裁判結果」を否定する行為は認められないから”という理屈です。

しかし、この理屈によるなら“朝鮮人以外の慰安婦に対しては「強制」を認めるが、朝鮮人慰安婦に対しては「強制性」はなかった”という形に河野談話を変えることはできることになりますね。

そこまで言わずとも、河野談話朝鮮人慰安婦に対しては「強制」を認めていない談話だという主張であることは間違いありません。河野談話という盾で旧連合国からの批判をかわしながら、韓国朝鮮人に対しては侮辱と二次強姦をこれまで通り続けて構わない、という論拠になる主張です。

河野談話はどこで「連合国戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか」という記事を要約するとこうなります。

日本政府は加藤談話で謝罪し補償の代替措置を認めた

・しかし朝鮮人慰安婦に対しては補償の根拠となる「強制」がなかった

・やむなく朝鮮人以外の慰安婦にも調査範囲を広げた

朝鮮人以外の慰安婦には「強制」があり、それを踏まえて河野談話アジア女性基金で謝罪・補償した

・しかし朝鮮人以外の慰安婦の「強制」は「連合国戦後処理」を含む問題であり、河野談話が変更できなくなった

木村氏が言いたいことは上記と解釈できますが、違うと言うなら反論してほしいところです。

Kan Kimura ‏@kankimura

ここからはサービス。「河野談話ABC」は結局、何だったのかのここまでの答え。A)河野談話は結論先にありきで作られている(だから議論になっている)、B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている(だから変えられない)。さて、C)が何になるかは、じっくりとお考え下さい。

と言ってるようですので、多分間違ってないでしょう。

この木村氏説からは当然に、朝鮮人慰安婦に対しては謝罪や補償の根拠となる「強制」がない、にもかかわらず日本政府朝鮮人慰安婦らに謝罪・補償してやった、という認識が生まれます。

そういう認識で発言している排外主義者はたくさんいますが、木村氏の記事は彼らに餌を与えたようなものです。

私が木村氏の記事を問題だと指摘した理由がこれです。

まあ、理解はしてもらえそうにありませんが。

*1http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140412/1397232106

*2:「インドネシア「非難声明、穏当にした」 慰安婦問題」朝日2013年10月13日11時02分 http://digital.asahi.com/articles/TKY201310120358.html

*3河野談話時点では当時の警察関係者などに聴取しているが、加藤談話時点でも聴取されていたかはよくわかりません。

*4http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140408/1396883009

*5https://twitter.com/kankimura/status/454074415609679872

*6:私向けなのかどうかわかりませんが、「自分で調べようともせずに、偉そうに「史料を出せ」と人に要求する、と言うのは、人間としてどうか、と思うぞ。」とか言ってるのを見ると期待できなさそうですが。

*7:木村氏の言う「問題の性格」とは慰安婦問題人権的側面ではなく、外交的側面として日韓間の問題が旧連合国と日本との問題に変わった、という意図だと思われますが、「言説を文脈で解釈する」(https://twitter.com/kankimura/status/454516633126457344)という割には、文脈がお粗末だと思いますね。

*8:同様の事態が頻発していれば、再発防止策の不作為で追及されるでしょうが。

2014-04-11

「日本政府がそれまで明らかに手抜きをしていた調査」

さて、前回述べたように、河野談話を考える上で重要だったのは、その道筋が1992年1月初頭の朝日新聞報道からはじまる1週間足らずの間に「十分な調査さえ行われることなく」決まってしまったことだった。

混乱した状況の中行われた首脳会談で、日本側は繰り返し謝罪を行う一方で、二つのことを約束している。すなわち、この問題の真相究明と何らかの「誠意を見せるための」措置の検討である。実は日本政府朝日新聞報道からわずか3日後の1992年1月14日、既に「補償の代替措置」を検討することを公にしていた。こうして、慰安婦問題に対するその後の展開、つまり、河野談話からアジア女性基金への流れは出来上がってしまう、ことになる。

首脳会談の後、日本政府泥縄式慰安婦問題に関する歴史的史料の発掘に取り組んだ。韓国政府に対して約束したからだけでなく、自らが行動するための歴史的根拠を確定しなければならないからである。こうして所蔵する史料をしらみ潰しに当たった日本政府は、1992年7月6日、127件の日本「政府の関与」を示す史料が発見された、との調査結果を公表する。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

この部分を普通に読む限り、日本政府の調査が始まったのは1992年1月の首脳会談後かせいぜい1992年1月初頭の朝日新聞報道以降という解釈になると思います。

Kan Kimura

‏@kankimura 相変わらずこのコラムは酷い。自分は「十分に謝罪した」という論点を取っていない。また、日本政府がそれまで明らかに手抜きをしていた調査を、92年1月の日韓会談の後本格化」させた事は、新聞記事のみならず、石原副官房長官の回顧からも明らか。http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140410/1397061581

https://twitter.com/kankimura/status/454074415609679872

このツイートには同意できますね*1。そうです。日本政府は1992年1月まで慰安婦問題の調査を明らかに手抜きしていたんですよ。木村氏の元記事からは、とてもそうは読み取れませんでしたけど。

「十分な調査さえ行われることな」かったのは、朝日新聞報道から日韓首脳会談までの期間が1週間足らずしかなかったからではなく、それまで1年以上にわたって日本政府慰安婦問題調査に真面目に取り組んでこなかったからです。

だとすれば、木村氏のこの前の記事の以下の部分はどうなんでしょうか?

河野談話が出されるに至る経緯を理解するためには、1992年1月11日の「慰安所への軍関与示す資料」という表題の朝日新聞報道にまでさかのぼらなければならない。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/comfort-women-issue_b_5074477.html

さかのぼる場所はそこですか?

それにどうして1992年1月の朝日新聞報道までの1年半、日本政府が調査を手抜きしていたことに言及しなかったんでしょうか?

日本政府慰安婦問題に対する消極的な姿勢を知る上で重要な事実だと私は思いますけど。


ところで私はこう書きました。

日本政府1990年中には史料の調査を開始していますので、1992年1月の日韓会談以降に「泥縄式に」「発掘に取り組んだ」と表現するのは明らかに間違っています。もっとも日本政府が意図的にサボタージュしてたというなら別ですが。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140410/1397061581

木村氏には「日本政府が意図的にサボタージュしてた」という部分に同意していただいたようですので、その点感謝します。

まあ、夏休みの課題を8月31日までやってなかった小学生が泥縄式に宿題に取り組んだみたいなもので日本政府の自業自得ということですね。

朝日新聞が1992年1月に報道していなければ、日本政府は調査の手抜きを継続してたでしょうし、当然1992年1月の日韓会談でも大して触れられることなかったでしょう。その意味ではひょっとしたら木村氏は1992年1月朝日報道日本政府の調査姿勢を積極的に変えたという意味で評価しているのかも知れません。だとすれば、それが記事の文面から伝わってこないのが残念です。

「強制連行」の語に含まれる意味を木村氏に質問したい

例示。加藤談話翌日の朝日新聞の見出しは「「従軍慰安婦」に政府関与認める 強制連行は否定 調査結果を公表」。また、毎日は「事実上の強制連行 韓国政府中間報告 日本側発表に反論」、を7月末に掲げて、韓国政府の姿勢をまとめている。当時のメディアの関心が強制連行にあったことは明確。

https://twitter.com/kankimura/status/454170250657812480

Kan Kimura

‏@kankimura 某コラム続き。このコラムの特徴は「外交」を見ていないこと。加藤談話の後、韓国政府は「強制連行」の認定を執拗に求めてきている。また、当時の日韓両国の新聞もこの点について繰り返し論じている。史料を見ないで歴史について論じるのは無意味。http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140410/1397061581

https://twitter.com/kankimura/status/454161028025040896

そうですね。韓国側は「「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」による動員を強制連行であると」*2みなしていますから、朝鮮人慰安婦に対する動員過程も当然に「強制連行」であると主張しています。それに対して、日本側は「強制」を極めて狭い範囲に絞って「強制性」を認めなかったわけです。

木村氏は「強制連行」とは、官憲による直接的な暴力を用いた連行であって、それ以外は「強制連行」とは認めないのでしょうか?

「当時の日韓両国の新聞」は「強制連行」をいかなる意味で論じていたのでしょうか?

木村氏にはこの辺を是非とも史料に基づいて説明してほしいところです。

「関与」という表現に特殊性を感じるのなら、同じように「強制連行」という表現にも特殊性を感じていただけると思いますし。

Kan Kimura

‏@kankimura 慰安婦問題については、政府の「関与」という表現の特殊性だとかとか、92年1月までは韓国政府も法律的には解決済みの立場だった、とか、更に93年2月にもう一度解決済みに戻るとか、韓国政府慰安婦支援団体を押さえ込んでくれることを前提にし日本政府が動いている、とかいろいろあるんだよね。

https://twitter.com/kankimura/status/453336973541769216

ところで木村氏に確認しておきたいのですが、「「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」による動員を強制連行であると」仮に定義したとすれば、朝鮮人慰安婦はまさしく「強制連行」された、ということに木村氏は同意いただけるのでしょうか?

それとも、朝鮮人慰安婦だけは「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」によらずに集まった自発的売春婦だったと考えているのでしょうか?

あるいは、「強制連行」をそのように定義することは認めないので回答を拒絶するのでしょうか?

*1:「酷い」とかいうのは言われ慣れてるのでスルー。

*2:挺隊協の1993年報告書

2014-04-10

河野談話はどこで“強制連行の有無”の問題へとすり替わったのか・1(木村幹氏の記事の問題点)

木村氏が続きを掲載しましたが、前回よりひどい内容です。

河野談話はどこで「連合国の戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか――従軍慰安婦と河野談話をめぐるABC

さて、前回述べたように、河野談話を考える上で重要だったのは、その道筋が1992年1月初頭の朝日新聞報道からはじまる1週間足らずの間に「十分な調査さえ行われることなく」決まってしまったことだった。

混乱した状況の中行われた首脳会談で、日本側は繰り返し謝罪を行う一方で、二つのことを約束している。すなわち、この問題の真相究明と何らかの「誠意を見せるための」措置の検討である。実は日本政府朝日新聞報道からわずか3日後の1992年1月14日、既に「補償の代替措置」を検討することを公にしていた。こうして、慰安婦問題に対するその後の展開、つまり、河野談話からアジア女性基金への流れは出来上がってしまう、ことになる。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

1992年1月の日韓会談でも、日本側はそれまで同様の型どおりの「お詫び」と「反省」を表明しただけで別に日本政府の加害責任を明確に認めたわけではありません。「二つのことを約束」のうちの一つである「この問題の真相究明」は1990年5月から求められていたことで調査そのものは1990年中には一応開始しています。大仰に「混乱した状況の中行われた首脳会談で」交わされた約束と表現するにはずれています。「「補償の代替措置」を検討することを公にしていた」というのも、“法的責任は認めないが同情しているから”補償の“代替措置”を検討しているわけです。

この1992年1月の首脳会談時点で出来上がった流れとはむしろ、“日本軍の関与は認めるが責任は認めない”といった今に続く路線でしょうね。


首脳会談の後、日本政府泥縄式慰安婦問題に関する歴史的史料の発掘に取り組んだ。韓国政府に対して約束したからだけでなく、自らが行動するための歴史的根拠を確定しなければならないからである。こうして所蔵する史料をしらみ潰しに当たった日本政府は、1992年7月6日、127件の日本「政府の関与」を示す史料が発見された、との調査結果を公表する。とはいえ厄介だったのは、この時発表された史料の中に、当時の日韓両国世論が最も大きな関心を寄せていた問題、すなわち、慰安婦の動員過程における日本政府の直接的関与を含む史料は含まれていなかったことだった。日本政府は事態の沈静化を図るために、加藤紘一官房長官名にて談話を発表し、この中で加藤は再び「我々の気持ちを」示すための方法を「誠意をもって検討する」ことを約束する。しかしながら、日韓両国の世論はもはや収まらず、調査結果は袋だたきに遭うことになる。こうして事態はいったん、暗礁に乗り上げることになる。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

繰り返しになりますが、日本政府1990年中には史料の調査を開始していますので、1992年1月の日韓会談以降に「泥縄式に」「発掘に取り組んだ」と表現するのは明らかに間違っています。もっとも日本政府が意図的にサボタージュしてたというなら別ですが。

その意味で言えば、「自らが行動するための歴史的根拠を確定しなければならないから」「所蔵する史料をしらみ潰しに当たった」というのも変な話です。慰安婦問題における日本軍政府による組織的な責任を示す「歴史的根拠」を本気で求めるのなら「所蔵する史料」だけの調査ですみません。言うまでもなく“民間女性を本人の意思に関わりなく、法的根拠もないまま強制的に連れ去り、売春を強要せよ”などと書かれた文書など発生するはずがなく、それを調査するなら当時の関係者から聴取することで慰安婦制度の実態を解明する必要がありました。戦中に20代30代だった当事者は1990年当時、まだ70代80代で健在だった人も多かったはずです。慰安婦慰安所に関わった元軍医や主計将校、出入国を管理する外務省官僚植民地政府官僚などいくらでも聴取できる人はいたはずです。1990年当時の状況から協力を拒む人も多かったでしょうが、それでも相当の情報は得られたでしょう。しかし、日本政府はそれを十分にはやっていません。予算や人員の都合というのもあるのでしょうが、要するに日本政府は本気で調査するつもりがなかったというに尽きます。

「当時の日韓両国世論が最も大きな関心を寄せていた問題、すなわち、慰安婦の動員過程における日本政府の直接的関与を含む史料は含まれていなかった」も表現がおかしいです。1992年には既に訴訟を起こしていた金学順氏の事例では、そもそも動員過程での日本政府の直接的関与など問題視されていません。後年のことですが、1993年の報告書では「「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」による動員を強制連行であると」*1みなしています。要するに日本軍管理下の慰安所売春を強要されたことが最大の問題であり、動員過程において日本軍政府の直接的な暴力があったかどうかは問題ではありませんでした*2

1992年7月6日の加藤談話が叩かれた理由

とりあえず加藤談話を読んでみましょう。

加藤内閣官房長官発表

平成4年7月6日

 朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題については、昨年12月より関係資料が保管されている可能性のある省庁において政府が同問題に関与していたかどうかについて調査を行ってきたところであるが、今般、その調査結果がまとまったので発表することとした。調査結果については配布してあるとおりであるが、私から要点をかいつまんで申し上げると、慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められたということである。調査の具体的結果については、報告書に各資料の概要をまとめてあるので、それをお読み頂きたい。なお、詳しいことは後で内閣外政審議室から説明させるので、何か内容について御質問があれば、そこでお聞きいただきたい。

 政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。

 この問題については、いろいろな方々のお話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがする。このような辛酸をなめられた方々に対し、我々の気持ちをいかなる形で表すことができるのか、各方面の意見も聞きながら、誠意をもって検討していきたいと考えている。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

これを読んで、日本政府が自らの何の行為について謝罪しているかわかる人はいるでしょうか?

慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等」に日本政府が関与したことでしょうか?しかしこれらのことは「従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦」に直接つながる話でもなく、間接的にすら関連が見出しにくいものばかりです*3

「いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。」というのは確かに謝罪しているように見えますが、「辛苦」の責任を認めたうえでの謝罪というより、自然災害の被害者に対して政府が謝罪しているかのような被害の発生そのものに日本は全く関与していないかのような文面になっています。

「辛酸をなめられた方々に対し、我々の気持ちをいかなる形で表すことができるのか」「誠意をもって検討していきたい」と言っていますが、ここはもう明らかに日本政府には責任はないが、“自然災害の被害者”に同情して善意でもって救済してあげようという形式になっています。

日本軍管理下の慰安所売春を強要された被害者に対する日本政府の公式発言であることを考えれば、これが被害者に受け入れられないのはむしろ当然というほかありません。

(試しに、加藤談話を教団談話に置き換えたネタを書いたのでヒマなら読んでみてください。)

*1http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140310/1394384568

*2:もっとも、動員過程をどう呼ぶかについて日韓間で懸隔があったのも事実ですが、加害者・被害者・第三者の各視点での認識に違いがあるにもかかわらず不用意に立場の違う相手に適用したことによる問題と言えるでしょう。

*3慰安婦制度に詳しい人が知識で補完すれば関連性を見出せるでしょうけど、普通は難しいでしょうね。

2014-04-09

1992年1月日韓会談の過大評価(木村幹氏の記事の問題点)

「とりあえず謝っておけばどうにかなるだろう」から始まった

河野談話はどこで「連合国の戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか

上記2つの木村幹氏の記事ですが、根幹となっているのは、1992年の吉見教授らによる軍関与の証拠発見報道の直後に行われた日韓会談で、日本側が狼狽して謝罪を繰り返してしまったから河野談話への道筋ができた、という認識です。

しかしながら、日韓会談に伴う晩餐会での挨拶・スピーチなどを見る限り、1992年1月の会談での宮沢首相が「もはやほとんど会談の体をなしていない状態」(木村幹*1)とは思えません。例えば、1992年1月の日韓会談に伴う晩餐会や政策演説の宮沢首相の発言中、「お詫び」や「反省」にあたる部分は以下の通りです。

[文書名] 大韓民国大統領盧泰愚閣下ご夫妻主催晩餐会での宮澤内閣総理大臣スピーチ

[年月日] 1992年1月16日

 このような協力の基礎として,私は,両国間の信頼関係をこれまでにも増して確固たるものとしていくことが必要だと思います。信頼関係を支えるのは,相互理解であります。その際,私たち日本国民は,まずなによりも,過去の一時期,貴国国民が我が国の行為によって耐え難い苦しみと悲しみを体験された事実を想起し,反省する気持ちを忘ないようにしなければなりません。私は,総理として改めて貴国国民に対して反省お詫びの気持ちを申し述べたいと思います。

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19920116.S1J.html

「反省」2回、「お詫び」1回、慰安婦問題に関する言及なし

[文書名] 宮澤喜一内閣総理大臣大韓民国訪問における政策演説(アジアのなか、世界のなかの日韓関係)

[年月日] 1992年1月17日

このような重要なパートナーシップの基礎として,私たちは,何よりも両国間の信頼関係を確固たるものとしなければなりません。我が国と貴国との関係で忘れてはならないのは,数千年にわたる交流のなかで,歴史上の一時期に,我が国が加害者であり,貴国がその被害者だったという事実であります。私は,この間,朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて,ここに改めて,心からの反省の意とお詫びの気持ちを表明いたします。最近,いわゆる従軍慰安婦の問題が取り上げられていますが,私は,このようなことは実に心の痛むことであり,誠に申し訳なく思っております。

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/exdpm/19920117.S1J.html

「反省」1回、「お詫び」2回、うち慰安婦問題に関するもの「お詫び」1回

確かに「反省」と「お詫び」が述べられていますが、問題はこれは異例と言えるのかということです。この2年前、1990年5月にも日韓会談が行われています。

[文書名] 大韓民国大統領盧泰愚閣下ご夫妻歓迎晩餐会での海部内閣総理大臣の挨拶

[年月日] 1990年5月25日

 私は,大統領閣下をお迎えしたこの機会に,過去の一時期,朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて謙虚に反省し,率直にお詫びの気持を申し述べたいと存じます。

 我が国は,戦後,厳しい反省に立って平和国家の道を選択し,その後一貫して貴国をはじめ広く国際社会全体の信頼を回復することに努めてまいりましたが,私は,我が国は,今後ともこの姿勢を変えることなく,更にその努力を強めていかなければならないと考えます。日韓両国の悠久の善隣友好関係も,先ず我が国のかかる努力が貴国民に納得されてはじめて揺るがぬものとなるのでありましょう。

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19900525.S1J.html

「反省」2回、「お詫び」1回

吉見教授らによる軍関与の証拠発見報道より1年以上前の1990年5月の時点でも、同じように「反省」と「お詫び」を述べています。

要は、民主化韓国との外交において日本は、とりあえず「反省」と「お詫び」を表現しておけばよいというやり方を採っていた、ということです。この背景には1965年日韓基本条約請求権協定の存在により賠償問題は生じないという確信があったのは想像に難くありません。それでもタカ派からすれば相当な譲歩のつもりだったでしょうが。

日本政府による「反省」と「お詫び」の表明は、民主化韓国を相手とする外交において常に韓国大統領の背後にいる民意に留意する必要が生じたための修辞に過ぎませんでした。実際、この「反省」と「お詫び」の表明には具体的な言及はほとんどなく、これを根拠に賠償という話にはなりえません。

1992年1月17日の宮沢首相の政策演説では慰安婦問題に触れられていますが、「私は,このようなことは実に心の痛むことであり,誠に申し訳なく思っております」と同情と何に対してか曖昧な「お詫び」しか述べられていません。「このようなこと」とは具体的に何を指すのか、「心の痛むこと」が起きた責任は誰にあるのか、そういうことには全く言及していません。

こうしてみると木村氏が1992年1月の宮沢首相による日韓会談を「当時の日本政府は一種のパニックに陥った」「主要閣僚が「国の責任」に言及し、その勢いで首脳会談になだれ込んでしまう」「もはやほとんど会談の体をなしていない状態」と評しているのが的外れであることがわかります。

1992年1月の日韓会談に対し、日本政府は自身の責任について言及することなく形式上の「反省」と「お詫び」の表明だけというそれまでと同様のやり方で乗り切ったに過ぎません。

具体的な責任に言及していない*2以上、それ以降の日本政府の行動を拘束するような会談にはなりえませんでした。

木村氏の記事は、1992年1月の軍関与の証拠発見報道日韓会談を過剰に重要視してみせることで、それが河野談話アジア女性基金の原因であり、現在の日韓関係の原因でさえもあるかのように誘導しています。それも記事全体のトーンから明らかに否定的な意味での誘導です。木村氏は当時の状況についてよく知っているはずですが、状況をやたら単純化し誤誘導しているように見受けられます。

ちなみに「自身の責任について言及することなく形式上の「反省」と「お詫び」の表明」というやり方はそのまま1992年7月の加藤談話で示されることになります。

*1http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/comfort-women-issue_b_5074477.html

*2:木村氏は1992年1月の会談で慰安婦「問題の真相究明と何らかの「誠意を見せるための」措置の検討」を約束した、と書いていますが、真相究明は1990年から求められており形式上とは言え日本政府もそれを実施中でしたし、「「誠意を見せるための」措置」というのもそれはつまり日本政府の責任ではないが、善意として救済するという意味合いのものでしかありませんでした。この約束が日本政府の行動を拘束したとはとても言えません。