植民地朝鮮におけるGDPと識字率に関する若干の考察

こういうコメントを頂きました。

大学生 2012/10/31 11:34

識字率の件についてはどうでしょうか? 韓国の識字率が日本が介入してから大幅に上がった。とその手の記事で見たことがあります。日本語の強制など文化破壊の問題もあったようですが、GDPの増加と教育水準の向上というのは善政とまでは言えずともそれなりの統治だったのかなと思う、自分の中の一つの基準になっています。
悪政なのか善政なのか判断し兼ねているので、どうかよろしくお願いします。大変おもしろかったです。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20081012/1223815346#c

GDP識字率に関しては書きたいと思っていたので、この機会に書いておきます。
でも時間がないので簡単に。

GDP

植民地朝鮮の統治の正当化に歴史修正主義者がよく取り上げるのが「GDPの増加」です。数字の上でGDPが増加したのは確かなので、間違ってはいません。データを重視する人たち全てが気をつけるべきこととして、データの意味を理解すること、があります。
菊池誠氏が、データを重視するべきみたいなツイートをしていましたが、それ自体は正しいことなのですが、データの意味を知らなければ解釈と判断を誤りますので、データと同様にデータの読み方は重要です。

原発事故直後の放射線レベルに関する話題では、数値がたくさん踊りましたが、その数値が環境や人体にどれほどの影響を持つのか知っていると思しき人はほとんど見かけませんでした*1 *2

GDPの場合、GDPとは何を意味するのか、どうやって算出するのか、を理解しないと数字の意味するところは当然に理解できません。さらに言えば、20世紀初頭における朝鮮の社会背景を理解することも必要でしょう。

GDPとは単純に言えば、経済活動に伴って動いたお金の総和です。従って、近代的な貨幣経済が成立している状態でなければ比較してもあまり意味はありません。

例として、以下のような場合を比べてみましょう。

近代化以前

・ある村に住む酒造りの上手いAさんの家が台風で半壊しました。
・村の人たちは協力してAさんの家を修理しました。
・Aさんはお礼に村の人たちに自家製のお酒を振舞いました。

この場合、金銭のやり取りが発生していませんので、GDPへの貢献はゼロです。

近代化以後

・ある村に住む酒造りの上手いAさんの家が台風で半壊しました。
・Aさんは村の人たちに自家製のお酒を売り、1000円を手に入れました。
・Aさんは1000円を村の人たちに支払って家を修理してもらいました。

この場合、金銭のやり取りが発生していますので、GDPへの貢献は2000円になります。

近代化以前を美談的に仕上げることもできますが、それはせずに両者同等と考えますと、以前以後で豊かさに変化があったとは言えません。近代化以後について言えば、お酒の値段や家修理の値段によって、Aさんは資産を残せる場合、家を修理できない場合、いずれもありえます。豊かさについて単純に比較はできないわけです。
しかし、GDPだけを見れば近代化以後、2000円増えています。

GDPが増えた=豊かになった

とは限らないわけです。
近代化されることで、生活の中の様々な活動が金銭で価値化されるようになり、それと共にGDPが増加するわけですが、それはそれまで金銭で価値化していなかっただけに過ぎず、GDP増加分が豊かさの増大分と必ずしも比例しないのです。

GDPの意味を理解せずに数字だけ見て判断すると、こういったことを見落としてしまいます。

識字率

識字率に関しては、色々言われていますが、朝鮮総督府が公式に識字率を調査したのは1930年の1回限りです。全人口すら調査し切れなかった1910年に、識字率の公式データがあるわけもなく、民間レベルの推定くらいしかありません。
また、識字率と一言で言いますがその定義は様々です。文字が読めるか、読めるだけでなく書くことができるか、書けるとしてその程度はどうか、などですね。近代的な学校がある場合は就学率を持って識字率の参考とできますが、近代学校が出来てから間もない時期は学校教育を受けていない世代が社会の中核を占めていますので、就学率=識字率とは言いがたいです。さらに、植民地朝鮮ならば、ハングルの読み書きを判定するのか、日本語の読み書きを判定するのか、も考慮する必要があります。

これらの条件を揃えた上で、1910年頃と1930年頃を比較できるのなら、識字率の向上云々を評価できるでしょうがそのようなデータは存在が確認されていません。
そういったことすら踏まえず、断片的な信頼性の低い数字を切り貼りして、日本がハングルを普及させたなどと主張してもデタラメとしか言いようがありません。

それらを踏まえて質問にある「韓国の識字率が日本が介入してから大幅に上がった。」について事実かどうかを検討してみます。

使えるのは、1930年の朝鮮総督府のデータです。
植民地期朝鮮における識字調査(pdf)」という論文がweb上で見れますので、これが参考になるかと思います。
特徴として女性の識字率が一貫して低いのですが、前近代の名残と言えるでしょう。日本でも似たような傾向がありました。

明治期の文部省及び陸軍省による調査が検証されている。1899年の調査では、全く読み書きできない者とされている率は、仙台、津、長野、福島などでは10%強だったのに対して、沖縄の76.3%はともかく、高知、鹿児島、大村、松山などで40〜60%近くと非常に高い数字が残されている。これは陸軍の壮丁教育調査であり、徴兵に際して行われたものなので女性は含まれない。江戸期の調査などから、性差はどの地域でも見られ、もちろん女性の方が非識字率は高い(ただし、地域差に比べると性差は小さい)。
北海道、東北、四国、九州といったところは非識字率が極めて高く、それが改善されるのは1909年頃のことである(あくまでも20歳男性を基準にしたものだが)。

http://kiten.blog.ocn.ne.jp/kisouan/2009/09/16001900_b693.html

1930年の朝鮮総督府による識字率調査は、「カナおよびハングル識字」と「ハングルのみ識字」をそれぞれ調査していますので、データとして興味深いものがあります。「カナのみ識字」はほぼ無視できる程度なので省略します。また、女性識字者は一貫して低いため、男性について検討します。

「カナおよびハングル識字」者は、10-14歳の世代が一番高く30%弱、世代が上がるごとに減っていき40歳以上になるとほとんどいません。つまり、1910年の韓国併合当時に成人になっていた人たちは基本的にカナを解さないわけです。一方、「ハングルのみ識字」については、10-14歳の世代は40%ですが、15-19歳の世代が50%、20-24歳の世代が55%で、40歳以上でも40%以上の識字率となっています。
このことから、1910年以降に学校教育を受けた者はカナの識字率は上がったと言えるでしょう。つまり植民地朝鮮での学校教育がカナ中心であったことが示唆されるわけです。
一方、40歳以上の「ハングルのみ識字」率の高さを見れば、1910年以降の日本統治の貢献度が高いとは言いがたいと言えます。日本統治下で教育を受けていない世代における40%の識字率は、併合以前に既に「ハングルのみ識字」率が40%程度あったことを示唆しています。

ちなみに1930年当時の60歳以上に限定しても「ハングルのみ識字」率は40%近くあります。併合当時40歳の彼らが、1910年当時ハングルを解さなかったと解釈するのは無理があります。普通に考えれば、1910年当時の男性のハングルのみ識字率は40%程度あったと考えるのが妥当でしょう。女性を含めても20%程度だったと考えるのが妥当です。

それを踏まえると、1930年当時の識字率25%と言うのは日本統治が20年続いたにしてはお粗末な発展レベルと言えると思います。
その原因は、併合前からハングル識字率がそこそこ高かったにも関らず、併合後カナ教育を導入し言語的な混乱を招いたからではないかと思われます。

もし、併合以前にハングル識字率が低かったのならカナの導入はスムーズに進んだでしょう。
もし、併合以前のハングル識字率の高さを踏まえてカナを導入せずハングル一本で教育を進めていれば、1930年の識字率が25%という低迷はしていなかったでしょう。

要するに、朝鮮総督府の言語政策の失敗を1930年の統計は物語っているわけです。

まとめ

以上で、大学生氏の疑問に答えられたと思いますがいかがでしょうか。
識字率については、参照したPDFの論文を読んでもらえると良いかと思います。とても興味深い内容です。

善政か悪政か、簡単に断言できるものではありませんが、当時統治下にあった朝鮮人たちが3・1運動に見られるように日本の統治に疑問符をつけていたことを踏まえると、少なくとも善政とは言いがたいと思います。

善政という結論と当時の朝鮮人の抵抗という事実は、基本的に整合しません。
ある種の人たちは、「善政という結論」が先にあるため「朝鮮人の抵抗という事実」からその結論を導くために「朝鮮人は恩知らず」という民族レベルでレッテルを貼るのですが、論理的でも誠実でもないロジックです。

私は、抵抗があった以上、悪政と呼んで差し支えない、と考えています*3

*1:基本的に一般人が放射線に関する専門知識を持っているわけがありませんので、それは当然なのですが。

*2:環境や人体の影響も踏まえてデータという表現もありますが、ここでは計測数値そのものをデータとしています。

*3:このロジックを敷衍すると、米軍による日本占領政治は、色々問題があったとは言え、悪政とまでは言えないことになりますが。