単純な問題をわざわざ難しく考える理由

日本の国内法的に許容されている売春宿*1で売春を強要されている女性が警察の摘発で救出されれば、誰しもがその被害女性に同情するでしょう*2。その売春宿が、某一部上場企業の依頼で開店され、その企業の社員が利用することを目的としていた場合、これも誰しもがその企業を非難するでしょうね。
直接的に女性をスカウトしたり、売春宿を管理したのは売春宿の経営者であったとしても、その企業自体に責任がないとか思ったりしないはずですね。
まして、その企業の社長が関与を否定したり、合法だとか言えば非難されて当たり前です。

従軍慰安婦問題は、構造としてこの程度の簡単な問題に過ぎません。

ところが、上記の例えの企業が日本軍・政府に置き換わった途端、被害女性の落ち度のあら捜しを始め罵倒したり、比較的まともなメディアも被害女性に同情しなくてもいい理屈を一生懸命考え始めるわけですね。
被害女性に同情しなくてもいい理屈を囚われ逃れられないと、「慰安婦問題という名の泥沼」とか「橋下徹大阪市長の「慰安婦発言」、何が問題か?」とかわざわざ問題を小難しく捕えてしまうわけです。

解決するための方法は簡単ではありませんが、問題の構造としては簡単なのにね*3

*1:警察が黙認している売春施設であるソープランドや、本番行為のない性風俗施設など。

*2:もちろん、金を浪費したからだろとか決め付けて同情しないような人もいるでしょうけど、まず世間一般的には少数派と言っていいでしょう。

*3:もちろん、問題の詳細に踏み込んでいけば複雑になりますが、人権侵害であるという入口で間違わなければ認識を誤ることはないんですよね。