李法卿「七分発展、二分応付国民党、一分抗日」説に関する件。

日本敗戦後の国共内戦における長春包囲戦に巻き込まれ苛酷な体験をした遠藤誉氏は、その経験のためか強烈な反共主義者です。長春包囲戦で民間人が飢餓に苦しんだ原因のひとつに篭城する国民党軍が食料を独占していたという点もあるのですが、遠藤氏の怒りの矛先は中共にのみ向けられています。
それはそれとして、日中戦争中の中共に対する中傷としてよく用いられるものに、毛沢東が1937年8月22日の洛川会議で「七分発展、二分応付国民党、一分抗日」の方針を打ち出した、というものがあります。
遠藤氏がこんな風に紹介している内容です。

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