土手草の多様性

はじめに
 山間地の水田には水田と同じくらいの面積の広い土手が存在している。圃場整備の遅れとともに、水田の土手には多様な植生が存在している。その植生は遷移を退行させるような農家の管理によって維持されてきたものである。草刈の時期や回数、方法が農家によって相違している。それによって遷移の退行の仕方が相違する。頻度の高い草刈はシバ草原となり、放置の状態はススキ草原を生み出す。しかも、草刈は草を利用するために、家畜の飼育、堆肥の生産が行われ、また、フキなどの山菜、花の採取や鑑賞、薬草の採取などが行われる農家に不可欠な場所でもあった。その多様な利用目的が様々な植物の生育を持続させた。

多様性の衰退
 私は、柳田國男のクサボケの記述、信州随筆のコナシの話からずっと考え続けてきた。水田の土手は農家の営みの現れであり、その生活によって自然の豊かさが保たれた場であったのである。古く稲作の広まる時代から山間地の水田が生まれ、現代にも続く棚田が持続してきた。しかし、山間地の狭小な水田ほど、放棄農地となって、土手と耕作地も山地に復する自然回復が進行してきた。衰退した農業地域で畦畔や土手の草刈は大きな負担となり、土手草の利用も行われなくなった。
 利用の衰退による水田土手の自然回復は、植物の多様性にとっては後退となった。水田は稲作農業伝播とともに、水田周囲特有の植物の生育を広範に広げてきた。信州の土手草と明日香村の土手草の共通種が多いことはこれを示している。自然回復はこうした水田植生から、地域ごとに周辺の山林の自然環境への移行をもたらすものになるといえる。
 山間地水田維持のための圃場整備は機械化を促進するために、耕作地を統合して拡大するものであり、その結果、土手となる法面も拡大する。拡大した法面は侵食防止のために早期に緑化され、多くはオーチャードなどの牧草の土手となる。多種の野草は失われ、同時に、野草の利用はいっそう、衰退することなる。また、草刈管理は回数が多くなり、負担が多くなると共に、単調な植生を維持するものになる。整備された水田では機械耕作のできない高齢者は従事できなくなり、野草利用の技術も衰退する。

今後のこと
 山村の民俗学の世界自体が失われ、植物や生物の多様性ばかりでなく、多様な文化自体が喪失している。これは、であり、山村の農林業の衰退と人口減少によって生じた現象であり、衰退の原因が変わらない限り、進行するばかりである。
 公園区域などで植生保存のために、管理方法を持続させることも考えられるが、野草園の維持は大変、手間を要し、かつ、手間をかけるほど失敗し、持続できなくなることが経験された。新たな自然風造園技術に転換することが考えられる。
 ある山村で水田土手の植生遷移の途上で、多様な野草の生育が盛んとなり、山菜、草花などの採取が豊富となって、これを利用して、地域の産物としているところがある。ここから、人口増大、農林業の回復への糸口が生じればと期待される。