造園シマ・クニ論批判

はじめに
 造園はニワ造りに由来する点で人類の古代に遡ることができる。壮大な造園史がそれ故に何人もの人によって試みられたたのである。さらに、広場論では原始時代の共同体論に由来し、人類の根源にまで遡る論議となるのである。これらの基本要因は人間と自然、主体と環境の関係ということにになり、人類史と今日の人の生活の有り様までを通観する哲学か社会学か、文化人類学かの問題となる。
 造園学において、シマ・クニ論の問題提起は、私の知る限り、中村一氏によるものであるだろう。その論拠は日本書紀蘇我氏の専横した時代、蘇我氏がシマのおとど(大臣)と呼ばれていた点にヒントとなっており、他の人に中村氏の説を模倣する人も現れたのではないかと考える。私も中村氏から風景概念の論文の指導を受ける際にこの論をある程度、共通認識として土台として考えたのであり、シマ、クニは共同体の進展と関係していたからである。風景の知覚の起源を近代から古代に遡った試論を構築する上で、有用な論拠と考えたからであるが、共同体の進展に関しては、マルクスの論、大塚氏の論拠によらなくてはならなかった。単に言葉からの類推であるシマ・クニ論をより科学的な論拠で批判するとともに、渡辺達三氏の提起していた広場論との関係も明確にしていく必要があると考えるのである。

ニワ・シマ・クニ論
 シマ・クニからの類推となる造園論は、原始共同体のテリトリーをシマと重ね、古代社会に原始共同体をクニに統合し、奴隷制社会が生じ、クニの中で土地所有制が生まれる中で、個人の占有する土地であるシマにニワが造られ、ことになったとするのであり、それ故に、ニワをシマと称するのだというのである。日本書紀には、ニワの司が見られ一方でシマのおとども現れるのである。しかし、ニワは共同体の広場が神殿の広場となり、その場所を示す言葉に由来すると考えられ、共同体がクニに統合される中で、広場が転換したものと考えられるのである。
 しかし、現代人として日常親しむ庭から古代に遡って考える論議は別の論議があるのではないかと考えるのである。近代の市民社会は、個人の集合によって意志的に国民が国を成立させるものであり、庭はささやかな市民の所有地を個人の生活空間として創造するものである。家にとっての戸外空間が庭であり、近隣の空き地に自治体による公園が造られているのである。庭が戸外室と呼ばれ、身近な自然が創造される近代造園の考えは、田村剛が実際的な造園技術論として提示している。
 一方、伝統的な日本庭園は、庭の眺めを重視して、眺めとなる自然を神聖化している。この日本庭園を現代造園に適用するのは、困難な課題であると理解されるのであるが、庭の築造にまで神主のお祓いまでする庭づくりが、上原敬二によって対比的に提示されてきたのではないだろうか?田村の普遍性に対して、上原による日本の独自性の主張といえるのであろうか?
 かって、森おさむ氏の新築の庭の見学に伺ったことがある。庭の中心はただ菜園があるだけで、古代からの庭の研究家であった自負として誇らしく提示したものであったのだろう。わたしたちには、ただ、分かるだろうということばだけであったが、・・・・・