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2011-03-17

「被災地からの報告 阪神震災とは違う実情」を読んで気になったこと

※あらかじめ注意をしておきます。このエントリーは「物資を送るな」「この団体を信用するな」といった主張をするものでは全くありません


本日、次のようなエントリーが話題になっていた。


被災地からの報告 阪神震災とは違う実情

http://npo-uniken.posterous.com/46132557


被災地に救援物資を! いま私たちに求められていること

http://pressa.jugem.jp/?eid=213

http://japan.cnet.com/sp/eq2011/35000629/


このエントリを読んで、少し嫌な予感がした。当初は、この団体自体が「詐欺ではないか」とネット上で疑われていたため、依頼を受けてリサーチしようかとしていたのだが(しかし勝間和代氏や佐々木俊尚氏がリサーチしていると知って保留していたのだが)、僕が気になったのはむしろ、その文章の内容のほうだ。以下、佐々木氏の書いた文章を引用する。


ボランティアが日本ユニバ経由で大量に現地入りしている。(…)そして判明したのは、今回の災害は阪神大震災の時とはまったく異なるということだ。  

阪神大震災では、兵庫県や神戸市、芦屋市といった各自治体の機能は生きていた。したがって政府と日本赤十字社からの物資や義援金は、自治体経由で被災地に送り込むことができた。この結果、阪神大震災の教訓として「物資ではなく義援金で」「救援は赤十字社に一本化」という考え方が広く定着した。

ところが、今回の震災では救援の受け皿となる自治体そのものが各地で消滅している。この結果、赤十字や自衛隊や消防隊の救援は、全体をカバー仕切れていない。どこかの避難所に集団で避難している人たちが、誰からも発見されず、水も食糧も燃料も電気も電話もなにもなく、完全に孤立してしまっているという酷い状況が生まれてしまっているのだ。

だから今回の震災では、阪神大震災のルールを適用すべきではない。(…)

とにかく被災地の人たちは、濡れている。濡れて寒くて死にそうになっている。阪神大震災では「古着を送るのは迷惑だ」という教訓が残ったが、今回は異なる。着替えの物資は絶対に必要だ。古着も送ってほしい。(…)テレビでもインターネットでもみんな「阪神の教訓」で語りすぎだ。今回は阪神の教訓で語ってはいけない。まったく異なる、異常な事態となっていることを認識してほしい。

http://pressa.jugem.jp/?eid=213


こうした文章を読み、僕は次のようなツイートをした。


・佐々木俊尚氏エントリ。一点、「今回の災害は阪神大震災の時とはまったく異なる」「阪神大震災のルールを適用すべきではない」といった表現だけが一人歩きすることも警戒。地域ごとにニーズや事情が違うので、一元的ではいけないという警鐘を再確認。 http://bit.ly/fSCmim

・阪神と今回とでは地域や被災状況が違うので、同一視がまずい部分もあるが、「阪神の教訓」も重要。人手不足とはいえ、素人の現地入りを推奨してないことも再確認すること、「金より物資」と単純化してもまずいことなど、逆方向への拡散も懸念したいです。 http://bit.ly/fSCmim

・もちろん逆に、「物を送るな、金こそ大事」と一元化するのも、まずい。現地のニーズを把握しているNGOや団体などが、「当事者から要望されたので、うちはこれを配るので、この物資をうちに送ってくれれば取りまとめます」と(デマではなく本当に)訴えているなら、それは大事な支援のはず。

http://twitter.com/#!/torakare


しかし、その後のツイッターやはてブの反応をみると、やはり「古着こそ求められてる」みたいに受け取ってしまってる人がでてきている。もちろんいますぐ古着が必要な地域もあるだろう。その支援はすぐにでも必要だ。だが、当たり前だが、「濡れている」地域ばかりじゃないし、行政が機能していない地域ばかりじゃないし、このNGOが活動している地域が全てではないので、こうした一部のニーズを全体化するかのような言説には注意しなくてはいけない。佐々木氏のエントリはひとつの団体のニーズと言い分をまとめただけで、決して今回の「被災地全体」を代弁してはいない。同団体の活動が誠実なものであり、佐々木氏の取材が真実だとしても、その意味では不注意な呼びかけだと思う。


今夜放送の、TBSラジオ「ニュース探究DIG」に出演いただくための準備に、阪神・淡路大震災を経験した、被災地NGO恊働センター代表の村井雅清さんに電話取材をした。村井さんによれば、本当の「阪神・淡路の教訓」とは、「とにかく最前線の被災者に寄り添うこと」だという。人によっては、話を聞いてもらうことかもしれない。人によっては、政府の支援かもしれない。人によっては、暖をとることかもしれない。食事や通信かもしれないし、毛布や衣服かもしれない。医者かもしれないし、娯楽かもしれない。地域ごと、被災者ごとにニーズが異なるので、それらを徹底的にくみ取ることを忘れない、というのが「阪神・淡路の教訓」だ。決して、「今回はこれこそが答え」というひとつの支援に、一方的にとびつくことではないはずだ。


トップダウンではなく、個別のニーズをしっかりと汲み取ること。その点で「阪神・淡路と違う面」に視点を送るのは重要だが、阪神・淡路という経験を経て、「違うからこそ見えてくるもの」もたくさんある。そして、「阪神・淡路と違うこと」もたくさんあるが、「阪神・淡路から学べて、今も使えること」もたくさんある。そう村井さんは語ってくれた。


阪神・淡路の時とは大きく違うのは、例えば原発、ガソリン不足、津波などのファクターがそれだ。そうした「違う面」を意識するのは重要だが、それはあくまでも、個別のニーズに応えるためだ。にもかかわらず、「阪神とは全く異なる」「今回は古着が必要」という部分ばかりが一人歩きしてしまうのは本末転倒だ。村井さんは電話で、「支援は、常に複数の仕方で必要」と強調した。「これが答えだ」という情報ばかりには飛びつかないほうがいいだろう。


「古着を必要としている人もいる」も「古着などが来ると負担がかかる人もいる」も、どちらも正しい。「むやみに物を送ると迷惑になる」も「必要な物を送るべき」も、どちらも正しい。被災地にいない、情報の取得をしっかりと行う余裕のある人達は、正しい情報を元に冷静な判断をする必要がある。「古着こそ必要」「お金じゃなく古着を送ろう」と、全体化したりすることのないように、しっかりと「当事者の声」に耳を傾ける必要があると思う。


襟を正して向き合おう!〜阪神・淡路大震災から15年〜 村井 雅清 被災地NGO恊働センター代表

人として生きていく上で大切なことを教えてくれたあの時のボランティアの行動は、これからの日本の社会のあり方に対する貴重なメッセージでもあるということを、15年経った「いま」あらためて強く思うだけに、襟を正して向き合わなければと、感謝の念を込めて誓いたい。ボランティアが残した財産は、「多様性の意義」であろう。最後に亡くなられた加藤周一さんが遺された言葉を紹介しておきたい。

 ―これがいいことだというのが一つあって、それにみんなが賛同すべきだという考え方をやめるように努力することが、集団としても大切だと思います。

http://www.asahi.com/kansaisq/kaihou/no120/shinsai/page02.html


※もういちど注意をしておきます。このエントリーは「物資を送るな」「同団体を信用するな」といった主張をするものでは全くありません。佐々木氏を貶めるものでもありません。あくまで「古着をこそ送ろう」といった方向に偏ることを懸念し、複数のニーズに適切に応じるため、冷静に情報を共有しよう、というよびかけです。急ぎ書いた文章ゆえ、あとで補足などを加える予定です。


少しだけ補足

※「普通の人」には、なかなか「当事者の声」が届きにくいため、例えばNGOなどの、各専門分野で活躍している団体がハブになることが重要です。

※ただし、そうした団体もまた、広報の専門家ではなく、情報のハブになる機能が別の場所に求められることもあるでしょう。

※そうした情報の中にはしかし、募金詐欺なども多く含まれているので、それにもまた注意が必要となります。