相模原障害者施設殺傷事件をめぐる報道について

相模原障害者殺傷事件を受け、厚労省が再発防止のための検討チームを設けました。検討チームにはぜひ、冷静かつ有意義な議論を期待します。個人的雑感を兼ねて、7月29日の東京新聞「紙つぶて」に寄稿した原稿をアップします。



相模原でおきた障害者大量殺傷事件。とても恐ろしい事件です。背景には謎も多く残りますが、報道に触れる際には、注意しなくてはならないことがあります。
今回の容疑者は、「障害者なんていなくなればいい」と語っていたと報じられています。こうした発言は、典型的な優生思想に分類されます。優生思想とは、命を選別し、「劣った」とみなされた命は淘汰して構わないとする考え方です。容疑者がどうしてこうした差別意識に「感染」したのか。差別的言説に「感染」しやすい環境がなかったか。問い直す必要があります。
こうした事件が起きると、容疑者の心理状態や過去の略歴などに焦点が当たりがちです。なかでも、容疑者が特定の疾病を患っていたこと、措置入院の経験があることに注目が集まっています。福祉の議論は重要ですが、現段階で安易に疾病等と結びつけるべきではありません。特に、「なぜそんな危険人物を野放しにしたのか」といったような反応は危険です。そうしたことを口にした段階で、特定の疾患を持つ人は、あらかじめ隔離すべきという優生思想を肯定することになるからです。
容疑者の声明文を淡々と紹介する報道にも違和感があります。言うなれば、悪質なプロパガンダを注釈なく放送し続けるようなものだからです。間違ってもセンセーショナルに取り上げるべきではありません。その声明に誤って賛同する人がでないよう、丁寧な批判を加えることが不可欠です。冷静な報道を求めます。
7月29日の東京新聞「紙つぶて」より


以下、補足です。


まず前提として、今回のような事件は、戦後犯罪史のなかでもかなり特異なケースです。他方、この事件および事件についての語りが、結果として浮き彫りにした課題もあります。そうした中、犯罪報道の多くは、「その段階で分かっている材料」のうち、それらしいテーマをピックアップして、「原因探し」をします。今回はその結果として、「措置入院」等がクローズアップされることになりました。その論点化がまったく無意味だとは言いません。ですが、その集中報道の結果として、「精神疾患=危険」というイメージを拡散することになっているように思えます。


かつて、池田小学校児童殺傷事件の際にも、特定の疾患と結びつける報道が行われたことで、多くの当事者が報道に傷ついたという調査結果(PDF)もあります。今回も、報道をみた当事者が、恐怖を覚えたり、自尊心を傷つけるようなことがないよう、報道の際には注意が必要な事件です。にもかかわらず、そのような声は、今回の報道にあまり生かされていないように思います。一例として産経新聞は、社説において、池田小事件と結びつけ、措置入院の見直しを強調しました。ここまで露骨でなくとも、類似構図の報道は他メディアでもみられました。報道面の課題も、もっと議論されてほしいと思います。


この事件についてはラジオでも大きく取り上げました。シノドスにも、NPO日本自立生活センター自立支援事業所の渡邉琢さんにご寄稿いただきました。長文ですが力作ですので、ぜひご高覧ください。

「亡くなられた方々は、なぜ地域社会で生きることができなかったのか?――相模原障害者殺傷事件における社会の責任と課題」
http://synodos.jp/welfare/17696


また、EテレハートネットTVはウェブサイト上で、各当事者団体の声明を紹介しています。多くの団体が、報道機関への要望を記していることの重みをしっかりと受け止める必要があります。

http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/3400/249882.html