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せいぶきょうそブログ

2007-05-22

[]=平和と改憲=本当にこれでいいのですか 04:39

高木敏子(児童文学作家)

東京都知事石原慎太郎さんが脚本を書き製作総指揮をした、太平洋戦争の特攻隊員たちを措いた映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」が公開されましたね。石原知事をインタビューした朝日新聞の広告特集を、私は鳴咽(おえつ)しつつ何度も読み返しました。

 石原さん、戦争の悲惨さを伝えたいのでしたら、この映画にかけるお気持ちが本当なら、あなたが初当選した後に凍結した「東京都平和祈念館」 (仮称)の建設を、いまこそ始めてもらえませんか。

 戦争の惨禍を記録し、戦争とは何なのか、なぜ戦争が起きたのかを学ぶ場を東京に作りたい。そう考える私たちは鈴木俊一知事時代に都にお願いしました。青島幸男知事の時にゴーサインが出ましたが、石原知事1年目の1999年に凍結されてしまいました。以来、そのままです。

1945年3月10日の東京大空襲を措いた「ガラスのうさぎ

を出版後、私は全国各地から呼ばれ、講演してきました。行く先々で、学校の先生や子供たちから言われたのが「もっと戦争と平和を学びたい」「東京大出垂や、なぜ戦争になったのか学ぶ場は東京にありますか」ということでした。原爆が落とされた広島長崎には惨禍を記録し後世に伝える施設があります。ですが、東京には軍人や軍属の人たちをまつる施設はあっても、戦争で亡くなった一般の人たちを記録し、戦争を考える都の施設はありません。

 例えば、京都にある立命館大学の国際平和ミュージアムのように、昭和のはじめから戦争、敗戦、その後の人々の暮らしがわかる、そんな施設をぜひ建ててもらいたいのです。

私たちは、東京大空襲を経験した人たちの話をビデオに撮ったり録音したりしてきました。当時の資料を保存している人たちもいます。でも、みんな高齢化が進んでいます。もうすぐ75歳の私もそんなに長くは生きられないでしょう。資金も足りなくなりました。みんな持ちこたえられなくなってきています。このままでは遠からぬ時期に散逸しそしまいます。8年前の凍結の理由は財政難でした。


いま、東京オリンピックを開くお金があるのなら、

施設は出来るはず。どうか今のうちに建てて欲しい。

 「ガラスのうさぎ」のなかで、私は憲法9条の条文を書きました。児童書には珍しいといわれました。

「戦争の放棄」をうたう条文は、戦争で父と母と妹2人を亡くした私にとって、太陽のようにまぶしいものでした。戦争をしなければ、よその国の人も自分の国の人も死なさずにすむ。

こんなすぼらしいことはありません。戦後生まれの人にぜひ知ってもらいたい。でも、その9条がいま危ないのです。

14日に国民投票法が国会を通りました。あれよあれよ、という感じです。

いま国民投票をしたら、憲法改正は通ってしまいますよ。

北朝鮮がミサイルを撃ち込んだらどうする、攻めてきたらどうする、と言われたら「憲法を変えないと」と思ってしまうのでは。戦争は昭和16(1941)年にいきなり始まったのではありません。何年も前からだんだん、あおられ、戦争にっながっていきました。あの時と似てきているのではないでしょうか。

 19歳の孫が「この間の戦争について、何も習っていないよ」と言います。入試に出ないから、というのが理由とか。私もかつては軍国少女でした。

1942年、日本軍がシンガポールを占領したとき、無邪気によろこんでいました。

いまの若い人は

戦争のこと、日本がアジアでひどい、ことをしたことを教わっていないし、知りません。その彼らに、「北の脅威」を吹き込んだら、かつての軍国少年、軍国少女と同じ。18歳から国民投票を認めたら、改憲に賛成するでしょうね。

 私はいま病気をいくつか抱えていて、要したくても出来ません。この夏、最後の思いをまとめた本を出す予定です。「ラストメッセージ」という題にするつもりです。

 でも、出来るのなら重点の真ん中で訴えたい。「みなさん、本当にこれでいいんですか。歴史をきちんと学ばないまま9条を変えていいのですか」と。

(朝日新聞 2007.5.21 から)

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