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羅馬チェロ

2018-07-14

ヴァイオリン教室 #111

久しぶりにO先生による単独指導があった。「新しいバイオリン教本第2巻」55番「長調短調音階練習」の14回目。ニ長調ロ短調の復習からスタート。続いて63番「ザイツのコンチェルト第2番」1楽章の復習をした。O先生は練習だからといって、もっさりしたスローテンポは採用しない。今回も今までの練習ではあり得ないほど速く弾かせた。それでもこの曲の標準よりは遅めだが、大半の生徒は付いて行った。

私が気になったのは43ページ最下段の2小節目にある三連符。多くの生徒が前のめりになり、急き込んで弾いていた。ここはリタルダンドテヌートの指定があるから、あわてずに弾くべき箇所。そのことをO先生に確認したら、3小節目の3拍目にあるフェルマータに向かって徐々に遅くして行くのが好ましいとの回答、お手本演奏もやって下さった。しかし、その後の練習でも相変わらず突っ込んで弾く生徒達。私と先生の間で交わされた質疑応答や先生の模範演奏が理解出来ないらしい。他人事と思っているのかも。休憩後はO先生のピアノ伴奏に合わせて弾いた。初めてコンチェルトらしい練習を体験した。

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後半44ページからの十六分音符が連続する箇所はアクセント記号のある音を重視するとか、十六分音符が終わって三連符に変わる箇所でのカウントの仕方について注意があった。三連符の最初の音にはgracioso,(典雅に)と注記があり、最初の音にアクセント、さらにスタカート記号も付いている。これらの細かい指定を注視して弾けば、急ぎ過ぎて転ぶことはないと思われるが、三連符というだけで何故か焦る人がいる。別団体の弦楽アンサンブルでは、三連符が出てくると、指導者が足先で床をたたいてリズムを数えながら三連符を弾けと教えている。ヴァイオリン教室の生徒が走るのを見ていると、足でリズムを刻ませる必要性がよくわかる。

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最後にテキスト第3巻の27番サードポジションの練習から27番をの復習をやった。O先生から「ポジションを変える途中に楽譜に書いてない音を一つ加えるのは何故なのか。その理由の説明は聞いていますか?」と質問があったので(理由は知っているけれど)「聞いていませーん!」とお答えした。それでようやく「ポジションを移動する際に手の型を崩さず、そのまま水平移動させるため」という原理に関する説明をしてもらうことになった。O先生によると、間に一つ音を加えて練習させるのは欧州では伝統的なメソードで、日本の指導者はそこを割愛する場合も珍しくないとのことだった。感覚的な説明が多く、演奏理論に関する整然とした解説が不得手な指導者もいる中で、モスクワ音楽院に留学された経験を持つO先生は、外から日本のヴァイオリン教育界を眺めることが出来るのだろう。


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2018-07-12

弦楽合奏#6

毎月2回ある定例練習。7月の1回目に出席した。14時〜16時30分までみっちり。途中10分間の休憩はあったものの、ほとんど弾き通しで疲れてしまった。中高年のグループなのに、皆さんタフだと思う。

【練習メニュー】

基礎練習・・・音階練習
        Mozart 交響曲第17番ト長調 K. 129〜第2楽章
曲の練習・・・黒い瞳
       愛のあいさつ
       80日間世界一周
       ど擁佞硫


基礎練の2番目、モーツアルトの交響曲第17番は今回が初めてだった。1772年、16歳のモーツアルトが作曲した曲である。原曲にはオーボエホルンのパートがあるが、弦楽器と被っているので省略しても演奏可能のようだ。第2楽章はアンダンテの指定があるソナタ形式ハ長調、4分の2拍子。一見弾きやすそうに見えるが、細かいニュアンスを込めて演奏するとなると、なかなか。少年時代のモーツアルトの音楽は、シンプルに書かれた楽譜の行間に音楽が溢れていて、それを演奏者の側で汲み取る必要があるから手ごわい。以前、某アマオケで同じ作曲家の交響曲第26番k.184を演奏した経験がある。17番の翌年、1773年の作曲である。その時も手間をかければ、ちゃんと報われる音楽の陰影の濃さに驚き、17歳の作曲家の天才ぶりに舌を巻いたのだった。こういう曲を基礎練習用に選ぶこのグループのライブラリアンチェロ奏者)の見識に感心してしまう。

今日の練習は、指導者がピリオド派風の快速テンポで弾き始めたから面食らってしまった。アンダンテというよりアレグレット。速足で歩かないとついてゆけない。十六分音符が並んだ箇所などは大忙し。丁寧な表情を込めて弾く余裕がない。モーツアルトの常というか、セカンドヴァイオリンは刻みしかないけれど、単純な刻みにこそニュアンスを込めてもらいたい。速く弾かせるので、セカンドの人達はアタフタして雑な演奏になってくる。破綻寸前では余裕がなさ過ぎるから、次回の練習ではもうちょっと遅く弾かせ錬成してゆくのだろう。

「アンダンテ」のテンポ設定がどうなのか、手元にあるモダン楽器を使用した録音からいくつか選んで聞き比べてみた。17番はマイナーな曲だから、全集録音からピックアップすることになる。

かなり遅くてゆるゆると演奏しているのはハンス・グラーフ指揮ザルツブルク・モーツアルテウム管弦楽団ネビル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団盤(いずれも全集盤)。音楽が微笑むようなのどかな風情。リズムの切れが甘く、ちょっと野暮ったい印象もある。

f:id:seivoci0004:20180712000442j:image:w250 グラーフ

f:id:seivoci0004:20180712000434j:image:w250 マリナー

反対に速い方ではアダム・フィッシャー指揮のデンマーク国立室内管弦楽団とか、ジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団盤。いずれもピリオド派の影響を受けて、モダン楽器による演奏としてはかなり速い。鋭角的な演奏を心地よいと思うか、セカセカしていると感じるかは聞き手次第。

f:id:seivoci0004:20180712000523j:image:w250 フィッシャー

f:id:seivoci0004:20180712000520j:image:w250 テイト


中庸のテンポとしてはチェンバロ通奏低音が入るチャールズ・マッケラス指揮プラハ室内管弦楽団盤が妥当な感じ。見通しのよいスマートな演奏である。マッケラス盤よりも若干遅めのテンポで重量級の音楽を聞かせるカール・ベーム指揮ベルリン・フィル盤は、細部まで目配りが行き届き、あるべきものがあるべき場所に過不足なく収まった印象。構えが大きく若書きの音楽がたいそう立派に聞こえてくる。

f:id:seivoci0004:20180712000557j:image:w250 マッケラス

f:id:seivoci0004:20180712000554j:image:w250 ベーム

ベームが全集録音を行った時代(1959年〜69年)に比べると、現代のモーツアルト演奏は大幅にスタイルを変えてしまった。とはいえ、目新しさを売り物にしたエキセントリックな作為は、手の内がわかってしまえば陳腐化する。その方面のスターだったアーノンクールが亡くなり、ピリオド派のブームが一段落したところで振り返ると、コケ脅しと無縁な謹厳実直な指揮者のスタイルとベルリン・フィルの美質が結びついたベーム盤は、音楽の構築性の見事さもあって、再評価が高まるのではないかと思う。ピリオド派の痩せた響きとベルリン・フィルの分厚い音の落差は凄いが、モーツアルト本人は大人数オケによる自作演奏を喜んでいたらしいから全然OKだと思う。後発のいろいろな録音と聞き比べてみても、ベーム盤に古臭さは感じられず、王道を行く演奏に思われた。


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2018-07-09

チェロ・アンサンブル#66

O先生の指導日だった。5名全員出席。「サポージニコフ教本」はポジション移動の練習曲の68番と69番をやった。68番はドッツァウアーのテキストに出ている曲なので、以前もさらったことがある。69番のロンベルクによる二重奏曲はいつものように一対一で上下のパートを弾いた。きれいな音楽だから人前で弾く時に使えそうな曲である。

エルガー「ニムロッド」は今日で5回目。今回も全パートを入れ替えて弾いた。1番は生徒2名で弾いた。二人の合奏はなかなかユニゾンにならずハモり気味。ハイポジションが多発する1番をきれいに合わせるのは難しいから仕方ないけれど、微妙に音程が食い違う。他のパートも先生からいろいろアドヴァイスを頂いたが、この曲の練習はほどほどで終了となった。最後に先生が1番を、他のパートは生徒が分担して合奏した。2番と3番は2名ずつ、4番は1名(私)。しばらくの間、埋没気味だった主旋律が大きな音ではっきり聞こえるため、合奏して大変に楽しいというのが一同の感想。全員が4つのパート全てを経験した「ニムロッド」は、先生に1番をお願いして時々合わせたいものだ。次回から曲の練習はゴルターマン「ノクターン」に移る。


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2018-07-07

ヴァイオリン教室 #110


I先生の単独指導日だった。「新しいバイオリン教本第2巻」55番「長調短調音階練習」の13回目からスタート。次にテキスト第3巻の27番サードポジションの練習をやってから、第2巻に戻って63番「ザイツのコンチェルト第2番」1楽章の復習をした。前回とほぼ同じ内容である。

この段階で3巻のメニューを先取りしている意図がわからないのだが、今日のサードポジションの練習では、先生はポジションを変える途中に楽譜に書いてない音を一つ加えるよう指示された。上がる場合は1の指、下がる場合は3の指で弾く音を挿入し、B→Fisの移動の場合はB→C→Fisといった具合に弾かせた。ポジションを移動する際に手の型を崩さず、そのまま水平移動させるためのエクササイズである(昔、私が習った先生は、手の型をキープしてポジションを移動する方法を重視し、そこを念押しする教え方をされた)。

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しかし、I先生は何のためにテキストに書いてない音を一つ加えるのか、その理由を説明されないから、多くの生徒は意味不明なまま教本に書いてない余計な音を弾いていたのではなかろうか。指先で音程をまさぐるようなしぐさをする人もいた。白髪の高齢女性はテキストと違う弾き方を指定され、気の毒にパニック状態でオロオロ。練習中も休憩時間も周囲の人にあれこれ問い合わせていたけれど、聞かれた方も(たぶん)意味がわかってない。教える相手が子供なら理屈を話しても無駄だから動きの方法を具体的に指定すればいいが、大人相手の場合は理路整然と説明した方が飲み込みは早かろう。移動の原理、コツさえ理解出来ればサードポジションは容易なのだ。大人にどう教えたらいいのか迷っているようにも見えるI先生の指導と生徒のリアクションを観察しながら、もう一人のO先生ならどう説明されるだろうかと想像していた。



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2018-07-03

東京国立博物館「縄文 1万年の美の鼓動」展を見る 

炎天下、東博の縄文展(レセプション)に行ってきた。表門を入ると目の前に貸し日傘の束が用意されていた。奥まった場所にある平成館までは徒歩で数分かかる。その間に使用し、平成館入り口で返却するシステム。昔の東博では考えられないサービスである。

縄文関係で国宝指定されている6件全部を集結展示するのが今回の目玉だそうだ。全部そろうのは7月31日から9月2日まで。7月29日までは4点しか並んでいない。国宝を全部拝みたい人は8月になってからお出かけ下さい。


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                    8月になると国宝6点が勢ぞろい



展示数は200件を超過。平成館2階の東西の展示室に土器土偶、石器の類が溢れていた。似たようなものが多いから展示が単調になるかといえば、全然そんな気配はない。単なる職人仕事の羅列ではない立派なアート作品が次々に出てくるから、招待客はなかなか見終わらない。内覧会は16時終了予定だったが、部屋からお客さんが出てゆかないので30分ぐらいは延長しただろう。単に数が多いだけじゃなく、展示品の魅力に引き付けられて立ち去りがたい気分になるのだ。

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会場内で旧知の日本美術史江戸絵画)の大先生にお目にかかった。「いや〜参りましたねぇ〜♪」と土器の前で感慨に耽っておられた。そうなのだ。紀元前1万年頃〜紀元前1000年に作られた土器の造形力の素晴らしいことといったら。装飾の多くは何かの自然形態を写しているというよりも、染織などの文様構成と同じ発想で考えられた抽象美術の類だろう。この場合、言葉で補足説明が可能な要素はほとんど無いため、線や面といった純粋な造形要素を操る発想力で勝負せざるを得ない。作り手のセンスがストレートにわかってしまうから、誤魔化しが効かない世界である。


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                      BC.2000-1000年
  クリストファー・ドレッサーのポットを連想させる縄文のエレガンス
  球体に細い突起をいくつか組み合わせるところが・・・


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                ドレッサー 1880年


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火炎土器や遮光土偶のエモーショナルな表情も興味深いが、私は初期の土器のシンプルな造形から滲み出てくる作り手のセンスの良さに感心した。屈託のない素直さをたたえてゆったりと立ち上がる器の表面につけられた縄目の数々。へらでえぐり取った線描が奏でる伸びやかなリズムの心地よさ。エーゲ文明の陶器を連想させる闊達な曲線美に目を見張ってしまった。

文様構成は論理的な法則性を基本にしている。耳飾りという素焼きの小品の複雑な構成に典型的に表れているように、点対称や同型反復という基本原理に従って造形が組み立てられている。1900年頃に一世を風靡したアール・ヌーヴォーを代表するデザイナー、エクトル・ギマールと同じセンスを持つ造形作家が太古の日本に存在していたのである。


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          耳飾りBC.1000-400年

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  ギマールがデザインしたのパリの地下鉄入口装飾(鋳鉄 1900年)


丁寧に作られた装飾の数々を眺めると、日本人は1万年前から「几帳面」な仕事を愛する民族だったことがわかる。朝鮮半島中国の場合は、見えない部分の造作を省略する合理性を持っているが(金銅仏の背中を空洞のまま放置するとか、現代でもホテルの洗面台の裏側は雑に作るとか、平然と手を抜く)、日本人は隅から隅まできっちり作らないと気が済まないわけで、そういうマニアックな仕事ぶりは縄文土器にも看取出来る。

私の場合、東博に行っても考古の常設展示室に立ち寄る機会はほとんどない。いつもスカスカで閑古鳥が鳴いている印象があるのは、東博が先史時代から近現代までを単一施設で網羅する結果、縄文関係が数量的には序論的な扱いになっているためかもしれない。今度の展覧会のような、質量ともに充実した展示を見せられると、先史時代のみを専門に扱う国立博物館があれば、随分と興味のあり様が変わるのではないかと思った。現状のような考古資料としての扱いではなく、美術史的なアプローチによる紹介も欲しいところ。図録の巻頭論文に書かれている「暮らしの美」とか「美のうねり」といった説明は観念的でレトロな時代性を感じさせる。


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