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関谷ゼミブログ

2011-01-03

上×××の特任教授延長は<老害>のもと  (堤玄太の急死)

 *** 堤玄太の急死 *** 

 急なことで未知の方はさぞかし驚かれるであろうが、暮れも押しつまった30日、堤玄太に永遠(とわ)の別れを告げてきた。45歳の若さながら、脳の血管が破れたのが死因とのこと、顔色もよくてまことに眠っているがごとき姿であった。薬害でも知られた悪名高い大学が勤務先で、配置換え等のイジメに会ってストレスが溜まり、周囲にもこぼしていたとのこと。可哀想で可哀想で、死に追いやった奴バラに対する怒りが抑え難かった。

 唯一の家族である父君もご高齢のため、通常通りの通夜も行われなかったが、斎場のみならず「お清め」の会場である『日本海庄や』には多くの友人達が集まり、故人を偲んだ。何よりもゲンタの<人徳>によるものであろう。10年ほど前か本学に非常勤講師に来てもらった時も、「蟹工船」ブームの中で名の知られた神村和子(当時は長縄姓)をはじめ、学生達がゲンタになついて多くを学んだようである(学部生時代に父君の授業を受けた私としては、ツツミとは呼びにくいのでゲンタと呼んでいた)他人(ひと)からも親しまれる良き教育者であるとともに、朔太郎を中心とする日本近代詩の研究者としても評価されていたからこそ、学会の仕事を任され続けていたものと解される。当日は共に学会の委員を務めた中間達が多く集った。

 ここに謹んで哀悼の意を表したい(が、この無念さを表す言葉が見つからない)。

*** 上×××の特任教授延長は<老害>のもと ***

 ゲンタの急死もあってここに記すのが遅くなってしまったが、先般12月15日の教授会で、来年度の特任教授の報告がなされた。他の若い3名の方には異存が無いものの、65歳の上×××については大いに疑問・不快感を抱いたので、その場で私の疑義を明瞭に表明した。学内政治に隠然たる力を発揮してきたこの上某氏の周辺が、私の発言を歪曲して伝えて誤解を招くのも迷惑だし、その場に出席していなかった人や他の学系の人、そして何よりも当人に私(達)の疑問と不快感を知らしめたいので、ここに訴える次第である。なお、当初は当人の名前を伏せて記すつもりであったが、後に述べるように上某の研究実績等についての情報を寄せてもらうため、その他の理由から関係者には特定できる形で記すことにした。上某が「つなぎ」の1年だけと思われた授業が2月まであるので、とりあえずはビラ配布や「公開状」の類を貼りだすことは控えておきたい。

 教授会の2日前だったか、学務課の方へ向かって行く上某の後姿を見て不快感をもよおしたのは事実である。その際ふとよぎった不安は、来年度もこんな不愉快な気持を強いられたらカナワンな、あと数カ月の我慢で終って欲しいというもの。嫌な予感は当たるものなのか、教授会で先の報告がなされたので、驚きと怒りで最近薬を飲み始めた血圧が急上昇した思い。ゲンタのように脳の血管が切れたら<憤死>といったところか。

(1) 来年度、上某が担当する授業科目はいわゆる「余人を以ては換え難し」ふうのものとも思えないので、他の3人の特任教授のように若い人に機会を開くべきではないか? そう考えるのは、上某が特に優れた研究者とは寡聞にして聞いたことはない、ということもある。分野が違うから知らぬだけだという反論も予想されるが、分野を異にしながらも元同僚の山田昌弘氏については、単に売れている人というだけでなくその研究者としてのレベルの高さは、著書や業績一覧で私にも理解できていると思っている(無断で山田氏の名前を挙げたが、「有名税」と受け止めてお許し願う)。もし上某が山田氏ほど有無を言わさぬ研究者であるなら、学外からでもそうした評価を私宛か学系長宛で寄せてもらいたい。集まった「証拠」は学系長室で閲覧できるようにすべきであろう。代替可能なフツーのレベルの研究者なら、何も反対を押し切ってまで上某を招く必要は無いはず。

(2) 実情は知らぬものの、当該のアジア研究室から提出された特任教授案は、上某が定年後もお得意の隠然たる力を発揮した結果という疑念は払拭できない。他の例をあげれば、ある私立大学がベテランの近代文学研究者(この人の場合はハイレベルの実績がある)を招いたところ、そろそろ別の人に代わってもらおうと思う度に、「オレ来年も来るヨ」と頼まれもしないのに言い放つので往生したという。アジア研究室の場合でも、こうした無言・有言のプレッシャーがあったのではないか、という下司の勘ぐりは抑えきれない。プレッシャーも無くスムースに決まったとしても、ホンの一握りの集団の決定でしかない。国語はおろか同じ社会でも、上某の存在を快く思っていない人がいない、という保証は全く無い(例示は後述)。

(3) 上某が前の学系長として選出された際に、私は「王様は裸だ!」という文書を学系内に公表して(当時はブログをやっていなかったと記憶するが、文書をお目にかける用意あり)、「社会(対)国語」の対立の物語を生きる不毛さを、国語の人を含む学系全体に訴えた。その反響として、学系外から「上×さんはある委員会の長をしていた際に、デマを流して人文系のある分野をツブす陰謀を企み、その陰謀を○○さん(私立大に転出)に暴かれて失脚し委員長を降ろされた経緯がある。それなので、もう表には出てこないと思っていたのに、、、」というメールをいただいた。いわば人文系の見識を疑われた形となったが、そうしたスキャンダラスな上某の暗躍に関しては、彼に投票した人の全てが知っていたわけではなかろうから已むをえないところである。存在を否定されそうになった当該分野の人も、先般の学長選挙の時まで自らは真相を明かさなかったので、私も上某を追及した人の名は知らずにいた。その○○さんが、昔教員処分に情熱を燃やした元学長・蓮見音彦氏の「教え子」と聞き、蓮見学長を追及した私としては多少○○さんにスマナイ気がしたものである。(細かいことを言うのは、私が上某のようにはデマを言ってないことは、○○さんに確かめてくれればいいというサイン。)ともあれ上某を嫌悪するのは私個人だけではなく、前回の学系長選挙で不快な思いを強いられた国語等の人だけに止まるのでもなく、存在を抹殺されそうになった某分野の人も含まれるのは自然であろう。(蓮見元学長で思い起こすのは、共に処分反対の発言をした細江文利氏である。

その細江氏も昨年故人となられた。ご冥福を祈ります。)

  問題はこのような「不名誉教授」を定年退職後にも特任教授として迎えることの不条理さ、現職である私(達)に不愉快な思いを強いてまで来年度もキャンパスをウロつかせる不条理さである。世には退職した人間が大学に関知すること自体を歓迎しない、という意見もあることは知っているが、私はそこまでは思わない。しかし現職である私(達)の要望に反してまでも来年度に上某が迎えられるとしたら、頭の悪そうなロシア大統領に故郷を踏みにじられた北方4島の人々の怒りと悲しみを共有しなければならない。本人が撤回するか、周りが説得して私(達)の教育・研究の環境を乱さないでもらいたいと強く要求するとともに、制度人事委員会には延長の決定を撤回してもらいたい。(「頭の悪そうな」と記したのは上某氏を誹謗したのではなく、「悪賢そうな」顔でKGBを使って反対者を粛清し続ける殺人鬼、プーチンと対照したまでである。)私のことを快く思わない人達が、退職後の私がキャンパスでウロウロする姿を見る時の不快さを想像してみれば、私の嫌悪の大きさは理解できよう。

(4) 先般の学長選挙で、私は数人の者を「政治ゴロ(ツキ)」と規定しつつ批判した。

その一人が上某で、頼まれもしないのに現学長になった当時の候補者にすり寄り、推薦人に名を連ねさせてもらったという(上某には恥という観念が欠落しているのか?)。清潔感溢れる現学長なので、上某の申し出を誰しもが「おおかた副学長とか何かのポストを狙ってスリ寄ったのであろう」という見方をしていた。現学長を支持した側としては、ダーティなイメージの上某の名があると選挙にはマイナスに働きかねないながら、断るわけにはいかず困っているという本音も聞いた。このように自己の野心・利害だけでウロつき回る者は、学生にも良い影響を与えかねないと案じられるのも、上某を断るべき理由である。

(5) 研究者としてのみならず、また人間としてだけでなく、そしてまた教育者としての上某も歓迎すべき存在とも思えない。上某が「余人をもって換え難」い類の教育実践をしているという話も聞いたことはない。私のところには黙っていても学生から様々な情報が入るが、国語以外の教員で好評なのは数学の藤井斉亮さんや美術の柴田和豊先生の名を聞くくらいである(悪評は多く入る)。当初は教科教育の教員に限って考えられたはずの特任教授(の延長)を、代替可能なレベルのフツーの退職教員にも敷衍したら教育の荒廃は目に見えている。

(6) はてさて最も大事な問題は、上某に対する私の批判を単なる私闘に終わらせてはならない、ということである。特任教授を最大5年まで延長するということは、定年を5年延ばすということになる。本来<老害>を防ぐためにあったはずの定年制をなし崩しにして<老害>を蔓延させる、ということである。その最大の被害者は、近年ますます弱者の立場に追いやられている<学生>である、というのはいつもながらのこと。教育者として救いようがない教員でも、定年が間近なら学生も希望が持てよう。それが5年も延長されるとなると、4年制の大学だと死の宣告にも似た絶望感を学生に強いることになる。大仰というなかれ、実際にその種の教員は存在してきたし(最近ではさしずめ私の教務委員[長]時代に苦労させられた自然系の某か)、後述のように今現在も間違いなく存在する。

 <老害>で思い出すのは、私が若き日に7年間勤務した都立上野忍岡高校定時制における実体験である(私が絶対の自信をもって授業や学生指導ができる拠り所)。昭和50年当時は定年制が無く、特に定時制は全日制では「使い物にならない」老人達の墓場と化していた。言語に絶するその具体例を挙げるとキリが無いので、最小限を例示して<老害>の怖さをイメージしてもらおう。

 暴力を行使しないという程度の理由だけで、都側としてもM(問題)教員を収容する施設に送れない、頭のオカシイ老人は最悪の例で多くの犠牲者を出した。別の老婆は放課後の見回りの際に階段で眠りこんでしまい、夜になって警備員が幽霊かと驚いたというカイダン話もある。二人とも担任を任せられないのは無論のこと。そこまで野放図が許されていたせいか、定年前でも授業を毎回のように自習にして生徒を放置し、放送室に籠って自宅で経営している学習塾の予習をするようなショーモナイ奴もいた。当時は国立大学に籍を置きながら都立高校に勤務できたのは、そうした高校側の荒廃した状況があったためである。

 <老害>の最悪の結果が、意欲のある生徒が失望して学校を去って行くということである。自分を抑えきれなくなった私は、職員会議で「担任を任せられないということは教育ができないということであるから教員失格であり、そういう者は教育現場にいるべきでない」旨の発言をして失格教員どもを震撼させて恐れられた。<老害>教員達を退職させようとしていた校長(これは単なる役人)や本橋信興教頭(敬愛する教育者なので実名)にとって好都合なことを言っていたことになるが、私は主任制導入に対しても果敢に闘ったリッパな組合員であった。

 ともあれ職場では生徒・学生という<弱者>の立場で言動するという私の生き方は、今始まったわけではない。廃校にはなったが歴史のある定時制高校でも、唯一毎年同窓会をして顔を合わせている、担任として送り出した2クラスの卒業生達との思い出に耽っている場合ではないが、定年を延長すると恐ろしい結果が待っているか分かってもらえよう。世には還暦前にダメになる人間もいるが、65歳過ぎても元気な人もいるのも確かである。だから定年の延長を、人それぞれに対して可・不可を見極めて線引きするのは不可能であろう。上忍高校定時制でも尊敬していた老先生も確かにいたが、教頭の説得に素直に従って辞めて行かれた。わが学大で<老害>を防ぐには、キッパリと「つなぎ」の1年だけに止めるほかない。それを所属研究室の判断に任せて延長を認めるというのは危険極まりない。昔から大学教員の多くが専門バカで、プライドだけは高いがその自浄能力が欠如している惨状は、セクハラアカハラの横行をはじめ目を覆いたくなるものだ、ということを忘れまい。

@ このブログはもともと授業連絡を主たる目的として開いているので、いわゆる書き込みができないように設定してもらっている。上某氏の優れた業績等をご教示下さる方、私の考えに異論・反論のある方はメールか大学宛に書面で寄せていただきたい。

184−8501 小金井市貫井北町4−1−1 東京学芸大学人文社会科学

                          学系長あるいは関谷一郎宛

 インターネットをやらない(できない?)私は「2チャンネル」というのを見たことがないが、そもそも個人的な責任を免れたところでコソコソと匿名の言動をする、という卑怯なやり方を私は心底から嫌悪する。ブログの設定が敢えて書き込みできないままなのは、単に私には設定を変更する能力が無いだけではない。非対称な力関係にあるならともかく、同等の立場でいながらも陰で私について無責任な言動を繰り返すヤカラ達(軽蔑すべき糞ッタレ以外のモノではない)のように、「陰・匿名」でしかモノを言えない燕雀(小人)どもの生き方を憎悪するからである。

教員である私は、学生に対しては同等ではない非対称の力関係にあるので(例えば学生を「処分」できる)、アカハラにならぬよう十分留意しているつもりである。というより、上記の通りに常に<弱者>である学生の立場で発言しているつもりである。

 

 *** 須関正一先生 ***

 理想的教師像を問われると、私には前橋高校2年生の時の担任だった須関正一先生が思い浮かぶ。ご高齢ながらお元気のご様子で何よりだが、以前から先生についてのエッセイを書きたく思いながら果たせずにいる。高校時代から卒業後も、先生がいつも私に念を押してくれた言葉は「関谷、丸くなるなヨ」である。この言葉を常に胸中で反芻しているわけではないが、想起するたびに「士は己を知る者の為に死す」と言いたくなるほど心が動く。それぞれの生徒・学生に「分かってもらっている」という感じを抱いてもらえるようにするのは大変なことだが、最初から諦めていればいいということではない。教育現場に勤めるかぎり、弱者である生徒・学生と<伴走>して行くという発想を失うべきではない。「自ら反りみて縮くんば(なおくんば=正しければ)、千万人と雖も(いえども)吾往かん(われゆかん)。」というのが次に浮かぶ言葉である。正しいと思ったら、たった一人でも闘いぬく。それができなければ我々教員は再び学生を戦場に送ることになる。(ここで終ったら少々カッコ良すぎるので続ける。)

 闘うことばかりが前景化してしまったが、それは<弱者>の立場に立った時の姿勢である。学生と<伴走>する実践例としては、落ち込みやすい学生・卒業生と電話も頻繁に使って話すことである(一番有効な研究費の使い方かもしれない)。卒業生もよく研究室を訪れてくれるが、暮れにも重傷・軽傷一人ずつ顔を見せてくれ、ゼミ忘年会も含めて楽しく会談した。遠い地から上京した前者は、数度の電話では十分伝わらなかった気持が、会って話すことによって氷が解けた感じで嬉しかった。もちろん重い心を抱いて苦しんでいる現役生も常に数人抱えているので、いつも心を開いて待っているつもりでいる。特任教授の延長という、常識破りの弊害と闘うことに時間を費やされるのが、惜しまれてならない。学内外の4本の博士論文審査にも関わっているし、毎年休講ゼロを目差しているのに(教育実習のためは別)明日の4日からもう授業が始まるし、こうしてはいられない!

 (文章のプロとしては、もう少し手直ししたいが已むをえない。)

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