5日の会場

先ほどやっと会場が決まったのでお報せします。
10月5日(日曜)午後2時より
人文社会研究棟2号館2階「日本研究演習室」(時計台の建物の正面階段を上がってすぐ左側)
入り口は正面ではなく、旧大熊研究室の横(第二演習室を利用していた時の出入り口)になると思います。
発表者は構クン(連合大学院3年生・横国大所属)で、作品は火野葦平「夜景」です。

チャイコフスキー「悲愴」

「読む」の欄と同じ位相で設定した(かったのに余りに遅くなってしまった)けれど、「読む」に書きたい記事が溜まるばかりなのと同様、この欄もなかなか記すヒマが無さそうでザンネン(と先取りして言ってしまった)。
ずいぶん前から(退職前から)考えて楽しみだったので、昨日ナオさんから「悲愴」の演奏でお薦めがあったら上げてくれと言われた返信に手を入れて記しおきます。

とっても嬉しい質問だけど、チャイコフスキーはあまり評価してないので詳しくない。
ナオさんがイマイチだというムラビンスキー(レニングラード・フィル)は大好きで評価しているし、チャイコ演奏の模範だと思うがなぁ〜。
ムラビンスキ―のブルックナー(一番大事な作曲家)のレコードを愛聴していたら、評論家の故・大木正興も褒めていたので嬉しかったのを覚えている。
今はプレイヤーの調子が悪いので聴けないのが残念、ボブ・ディランのレコードも10枚はあると思うけど聴けないので淋しい。
ともあれムラビンスキ―のチャイコも聴いたことがあったと思うし、違和感無かったがなぁ〜。
最初は違和感抱いても、それがサイコーの演奏なら自分の方から馴染む方がイイというのがボクの流儀かな。
中学生の時に「ウィリアムテル」序曲が好きだったのだけれど、トスカニーニNBC響の演奏を聴いて笑ってしまった。
まるで素人の演奏に聴こえたからで、ソフィストケートの真逆だネ。
そのうちに他の演奏がヒドクつまらなく思えるようになって今日に至ってます。
トスカニーニの「スケーターズ・ワルツ」は最初からそのテンポの速さに腰を抜かしたまま絶賛が続いてます。

カラヤンは何でも無難という評価のようだけど、ボクは基本的に評価しない。
何でもできるというのが取り柄が無いということで、ツマラナイ。
その点カルロス・クライバーは演奏する作曲家を限定しているところが心底共感できる。
自身の研究に引き寄せて言えば、ボクには嫌いな作家としては牧野信一その他少なくないし、横光を始め論じられない作家がいるけど、それも当たり前だと考えられる。
研究者としてはカラヤンの位置にいたくないし、玄人(くろうと)受けするカルロスが一番かな。
カラヤンが許し難いのは、ボクの大事なグルックナーまでムード音楽にしやがったこと!
7番をマタチッチ(チェコフィル)の演奏(これも非ソフィスト系)と比べると一聴瞭然だネ、9番はシューリヒト(ウィーン・フィル)がダントツ!
マタチッチもシューリヒトもその演奏には《心》がいっぱい詰まっているけれど、カラヤンにはそれが欠落している。
ブルックナーを演奏するのに不可欠なのが《心》だろうナ、演出だけで聴かせられる作曲家もいるけど。
カラヤンの「悲愴」の新盤が出た時に、クラシック・ファンの越智治雄先生がイイねとおっしゃったので、あんなのムード音楽の演奏ですヨと断言したら「キビシイなぁ〜」と言われた。
「悲愴」じゃなくて「幻想」だったかな? (どちらにしろ嫌な演奏だけど、曲には合ってるかも? どちらも大した作曲家とは思えないから。)
越智先生とはいつもこんな調子だったナ、「少年!」呼ばわりされるし。
ともあれカラヤンは止めた方がいい。
ムラビンスキーがダメなら彼の下で福指揮者をやっていたヤンソンスアムステルダム・コンセルトヘボウ)か、現代のムラビンスキーの位置にいるゲルギエフ(ボクの録画はN響だけどウィーンのCDがあるかも)がお勧めだと思う。
両方とも録画したまま消してないというのは、聴けるということだと思う。
小沢とベルリンのも消してないから聴けたのだろう。
いずれにしろチャイコだからほとんど聴き直してないので確信はありませぬ。
でも気に入らないとすぐに消す習慣だから、残っているのだから大丈夫でしょう。
あくまでもボクの趣味ですが。
サバリッシュは若い頃はロシアものは演奏しないか不得意だったけど(レコードを出して冷やかされていたナ)、晩年はN響で悪くないチャイコを振っていたと記憶してます。
・・・音楽を語らせると長いヨ。