田村景子『三島由紀夫と能楽』

山城さんの小林秀雄論の感想を記しながら、ずいぶん前に田村さんの三島論の感想を書くと言いながら果たしていないことを想起していた。
感想といっても不満や批判ばかりになりそうなのも、書き渋った理由かもしれない。
第2部の作品論のうち、①「邯鄲」②「綾の鼓」③「弱法師」の3本は読んだけれど、それ以上はそそられなかったので放置したままである。
何よりの不満は、この若さにも拘らずテクストを読むに際して作家を取り込み過ぎている点である。
三島カラ―で彩ってしまえば、それぞれの作品の持ち味・特色・面白さが立ち上がってこないでワンパターンになってしまう憾みが残り、せっかく8(田村氏は「源氏供養」を入れて9)つの作品で違いを見せようとした三島の芸達者な才が楽しめない。
以下、ページを追って最小限の一口メモの羅列。
(71) 「邯鄲」についての三島の覚書を「けっして無視できない」と自己限定してしまっては、いつまでも作家の掌から出ることはできない。志賀直哉研究が「創作余談」の呪縛から逃れないまま、読みの豊富さを獲得できぬまま不毛な歴史を積み重ねてしまったことを銘記すべきであろう。
(84) 菊と三島の祖母直結させるなど、まったく無意味な思い付きでしかないので記すべきではない。三島なら尚のこと、実生活をテクストの読みに直結すべきではなかろう。
(85) 「邯鄲」を戦後における「生の否定」を深化させていると解いているが、マイナス志向の読みは、次郎の能天気さや死んでいた庭が蘇って花が咲き乱れる明るい光景のプラス面と矛盾している。三島像の先入観に囚われて、テクストをニュートラルに読もうという姿勢が欠落しているのはマチガイの元。
(101) 「金子の言葉は、当たっていない」と言い切っているが、多くの論と同様に「悪意の部屋」を全否定してしまっては読みが、したがって「綾の鼓」の世界が単純すぎて一辺倒な理解になってしまうと思う。私見はそれに対する問題提起にもなっている。
(105) 「禁色」から登場人物が説く「美」を引用しながら、華子が希求・絶望しているのも「「美」といってよいかもしれない」と書いているが、まず「かもしれない」という言い方には禁欲的であって欲しい。田村氏に限らないが、自信のないことを書き足す時に「かもしれない」と付すのは未練たらしくてミットモナイので止めるべきだ。さらに他の作品から根拠のない単なる思い付きを引き出すのは初歩的なミスである。思い付きだけを投げ出して終わるのではなく、「美」である傍証・論理を開陳すべきなのが研究論文のはず。面白けりゃイイ、という評論じゃないのだから。 
(223・230) 「弱法師」の俊徳と級子との間に「共犯関係」を読もうとしているが、両者には「もともと底通する部分があった」とするのは恣意的に過ぎて無理がある。両者は治療者と被治療者との関係だというのが私見なので、そこから私が抜け切れないせいもあるのだろうが、2人の間には埋めがたい距離があるのを前提にしない論には説得力を全く感じない。だから(240)で級子が「もう一人の告発者として帰ってくるかもしれない」(また「かもしれない」!)予感や、幕が下りても「この世のおはりの焔」の熱気だけが残るという論には失笑が漏れるだけだ。俊徳が相対化される物語として読む私としては笑うしかないのだが、『現代文学史研究』第22集で私論を読んで納得してもらう外ない。「近代能楽集」には奇異な論が少なくないけれど、私見を読めば三島テクストの奥の深さが納得できるはずである。
三島由紀夫という作家を持ち込むと、テクストが単純に方向付けられてしまうけれど、作家が戦後を否定しているからといって登場人物がそれをなぞる必要は全くない。三島のヒットラーが「中道」を行くように、三島のテクストは偏っていないということである。それを無理に右寄りに(三島よりに)読もうとすれば、誤読に陥る他あるまい。

本書は博論の一部だとあるが、初出一覧を見ると学外のレフリー付きの雑誌に載った論は『昭和文学研究』の一本だけで多いのは学内の雑誌である。
ワセダの博士といえばすぐにリョースケ先生(学大卒業生を院生として指導してもらったので)である山本亮介氏が思い浮かび、彼のレベルの高さがワセダのイメージにつながってしまうのだけれど、けっこう裾野は広いようである。
というのも数年前に早稲田で木村陽子氏の博論を審査したことがあり、その時も山本氏の博論が意識されていたのでチョッと心配したけれど、木村氏の方は『昭和文学研究』だけでも4・5本は掲載されていたので今からすれば杞憂だったわけである。
「あとがき」を読んだら、田村氏は卒論を十重田裕一修論を高橋敏夫・博論を千葉俊二の各氏に指導を受けたと記してある。
木村氏は学外では実績を積んだものの、学内の雑誌では不自然に掲載に至らず(○○所属のヤツには博士号などやらないと公言していた教員もいたという)、某研究会の資料をコピーさせられた5万円分の代金を立て替えたものの支払われないとか、田村氏ほど恵まれた条件で博論を出せたわけではなかったようだ。
中島国彦氏というジェントルマンを代表として一見クリーンに見えるワセダではあるものの、実際には種々のアカハラパワハラ、果てはセクハラまでがが横行しているようで、学外には知られていないだけの模様。
人の良いお友達のチバちゃんも、大学の名誉のためか恥部については語りたがらないので伝わりにくいものの、学生の口などから洩れてくるものはけっこうあるものだ。
ともあれ木村氏が様々なハラスメントを乗り越えて博士号を取得するまで、指導教員の宗像さんは苦労の連続だったとのこと。
田村氏の「あとがき」に隠されているものが無いことを祈るのみ。