ガウディ  サグラダファミリア  外尾悦郎  西岡常一  小川三夫

先日のBSプレミアムで外尾(そとお)悦郎さんの特集の再放送をやっていた。
といっても知っている人はほとんどいないはずで、サグラダファミリアの彫刻家だ。
若い頃に思い立って何の伝手(つて)も無いままバルセロナに乗り込み、言い尽くせぬ苦労の果てに現場に受け入れられ・評価され、今や主たる彫刻家として活躍している人である。
彼の跡をなぞるように、大竹さんという女性が日本での教職を捨ててバルセロナに乗り込み、当初は断られながらも外尾さんの許可を得てからは助手として(無報酬なのでバイトしながら)働いているとのこと。
実に深イイ話なのだが、それだけの魅力がガウディにはあるという証明になっているだろう。
在職中に読み始めたまま放置してある小説の1つにアンドレ・マルローがスペイン戦争(反フランコの内乱)を描いた「希望」があるけれど、(そこに描かれているか不明ながら)内乱時にサグラダファミリアまでも戦火に遭って破壊されていたとは知らずにいた。
学大赴任の翌年に35週ほどのヨーロッパ旅行してバルセロナにも行ったのに、サグラダファミリアに戦争の爪痕を見ることができなかったのは、外尾さん達の日々の努力と情熱のお蔭だったのだと知った。
ご存じのようにガウディは生前の完成を目差していなかったけれど(ヨーロッパの教会には100年以上かけて建てるものが少なくない)、途中で多くの部分が破壊されることなど考えもしなかったであろう。
外尾さん達は一方でその補修をしながらも、他方では図面も未完成ながら事故死したガウディの考えに沿いながら図面も描きながら、建築全体の完成を目差しているわけだ。
気の遠くなるような話だけれど2030年頃(?)には完成の予定だそうで、別の番組で見たサグラダファミリアは内部が見惚れてしまうほど美しくなっていた。
ボクが行った時は内外の区分が無いような状態だったので、美麗さのみならず進展の速さにもビックリしたものだ。
生きているうちに完成しても再訪する気力も金力も無いけれど、若い仲間の皆さんにはおススメしたい建築だ。
さて一番伝えたかったのは外尾さんの言葉、ガウディの遺志に沿って創造する際には、
「どうやって疑問を持つかが大事なのであって、答えは自分で作り出すものだ。」という内容のもの。
関谷一郎『シドク――漱石から太宰まで』の前書きさながらであり、イチロー先生が日頃から繰り返している言葉に重なるからだ。

ついでと言ってはナンだけれど、これも先日の朝日新聞に特集されていた宮大工の小川三夫さんの言葉も覚えておくといい。
小川さんも惚れ込んだ西岡常一師に何度も弟子入りを断られながら、やっとのことで内弟子として受け入れられたものの、いざとなったら何にも教えてもらえなかったという。
よくある話ながら職人の世界は見て学べということであり、「教えられたことは身に付かない」ということ。
(お2人の著書は広く読まれていて、桐原書店の教科書にも採用したことがあったと記憶する。)
テクスト論の流行した頃から、安直・便利な読解道具が求められるようになってしまい、肝心な読む力を養うことが疎(おろそ)かになったままである。
テクストから自力で疑問を見出し、それを自力で解くことでしか〈読む〉力は身に付かない、肝に銘じるべきだ。
道具は時代と共に廃(すた)れてしまうものだから、それに頼っている限り時代を超えた読み方(論文)は残せないのだ。