龍之介「杜子春」

(呑み会のことを記したら、授業の感想も書いたものと思ってしまっていたので、遅まきながら。)

もう龍之介で演習をすることは無いと思っていたけれど、中国の留学生の希望で「杜子春」を取り上げることになった。
「龍之介が生きていても、生涯芥川賞は取れない」というのがイチローの迷言にあるとおり、龍之介の文学的価値は高いレベルではない、という固定観念が抜けきらないままだ。
久しぶりに読んだ龍之介(それも「杜子春」)からも文学的感銘を覚えなかったけれど、議論を盛り上がってくるにつれて面白く聴けたのは収穫だった。
サイ君の発表は龍之介作品のネタとなった「杜子春伝」との比較を主に考察したものだけれど、その場で渡された原作を後で読んでみたらかなり大きな改作が加えられている印象だったので、まだまだ考察の余地が残っていると感じた。
それとテクスト(作品の本文)と作者を短絡してしまう、中国の留学生にありがちなミスを犯しがちな点も気になった。
作者を読みに組み込んでいけないとは言わないけれど、それは第二段階としてまずは(双方の)テクストを丁寧に読み込んで両者の差異を突っ込んで考察してもらいたい。
もう1つ、先行研究に引きずられないように注意すること(同じことを言っても意味は無い)。
そうした基礎ができてくれば、その前向きな姿勢から突破口が見えてくるはずだ。

補助役の日本人・カンナイ君が論点をスッキリ・ハッキリ打ち出して論議の話題を提供して実力を見せたのも、充実した討論ができた元。
龍之介の類似作品「仙人」との比較を含めて、サイ君が自分の論を組み立てる上で役に立つはず。
マキさんは求められてから意見を言うのではなく、積極的に発言して行くのも自他のため、せっかく別の視野からの読みができていたのだから。

次回は松本清張「父系の指」。
清張はヒグラシゼミで何度も取り上げてきたけれど、いつもながら(龍之介以上に)文学的価値を感じない。
なぜ清張が芥川賞を取れたのか、未だに納得いかないでいる。
もちろん龍之介同様、充実した議論が楽しめればいいのだけれど。