『論潮』第十号  ジッドと志賀直哉

いつも送っていただいている早稲田の『繍』など、落掌して少しでも拝読してから紹介しようなどと考えているうちに、数ヶ月も放置したままの研究誌が仕事机の横に溜まっているので「心が痛い」(故リリィの歌)。
今年は法政大院の授業を持ったせいもあって、なかなか自由になる時間が持てないせいもあるけれど、いずれ太宰など守備範囲の論文を読んでから感想を記したい。
『繍』第29号の太宰治「竹青」論や安部公房の論などは、それぞれ専門に研究している法政第大院生にコピーを上げたので役に立ってはいる。
先日はこれも毎号頂戴している『論潮」の最新号を手にしたが、あまりに興味を惹かれてしまったのですぐに拝読し始めている。
この貴重な研究誌をずっと支え続けている伊藤佐枝氏の「ジッドと志賀直哉」が目に入ったからだ。
伊藤氏専門の志賀だけならすぐには読まなかっただろうけど、ジッドと対で論じていたから引力が倍だったのだろう。
ジッドはヒグラシでも発表したことのあるフランス帰りのユキオちゃん(西村クン)の研究対象だし、小林秀雄のみならず志賀直哉を読んでいてもジッドの影響が気になっていたものだ。
影響という言葉ではジッドから得たものを括れないだろうけど、意外に志賀の書くものからジッドの影が読み取れる印象が残っていたので伊藤論に飛び付いた次第。
志賀とジッドとの関連は気にはなっても、自分で調べるほどの研究者じゃないから伊藤さんの論は「待ってました!」と声が出るほどだったのですぐ読んだわけ。
でもフツーの論文の倍以上の50ページを超える論だから、まだ20ページまで読んだところ。
予想を遥かに超えて面白い!
ジッドはボクだけでなく今や読まれない作家だけど、論じられている「背徳者」は読んだこともないし、「田園交響楽」は中学生の頃からクラシック音楽ファンだったので表題に釣られてその頃に読んだのだったかも(内容は全く覚えていない)。
それらが志賀の「邦子」という(平野謙以来)気になる作品と関連付けられながら詳述されているので、ジッド作品を知ることができるし「邦子」を新たな視野から検討できるような気にもなるので、久しぶりに読み応えのある論文に出会ったという感じ。
伊藤さんは『論潮』第7・8号では若き日のイチロー(関谷)がハマっていたつかこうへいまで論じていたので(これも長い論文だ!)、並みの研究者じゃないというのがボクの評価。
(何日かかけて記した記事なので、続きで何を書くつもりだったのか忘れてしまった。)