麻生太郎(と安倍晋三)はカエル  プーチンは殺人で、日本の政治屋は部下を自殺させ

佐川前理財局長のクビを代償に一件落着を図ろうとした麻生と安倍の、見え透いた魂胆が許容されるはずもなく、麻生が大臣辞任の意向を質されたら、まるで無いと居直ったのはまさにカエルのツラだった。
本を読まない点で共通するトランプ並みの低能ぶりを振りまいていたけれど、部下(佐川)のせいにして自分はトボケていられるのは、やはり育ちが悪いのかな。
安倍も含めて、親や祖父の代から、部下を切り捨てながら自分じゃ責任を取らないというやり方が身についているのだろうネ。
カエルヅラの麻生や安倍は、子供の頃から失敗しても部下や友達に責任を取らせ、自分は許されるという育て方をされたのだろうナ。
だから今回も佐川というシッポ切りで事は済んだ、とホンキで思っているのかもしれないネ。
今回あえてブログに記すのは、佐川などはどうでもイイので、佐川の部下が自殺していることを知って怒り心頭だからなんだナ(新聞にも名前は伏せられていた)。
政治屋が事件を起こすと、官僚が自殺して責任をとるというパターンは、安倍や麻生の親・祖父の世代から聞かされていたので、今度の自殺も嫌な既視感(デジャ・ヴュ感)があるのだヨ。
プーチンみたいに他人を殺すことで自己保存を図るなら見やすいけれど(絶対に許せないけど)、日本の政治屋は自殺に追い込んで自らは責任を逃れるというのだから、理解に苦しむ。
安倍晋三麻生太郎のような、人間としてレベルの低い政治屋のために自殺して上げるという心性がそもそも理解できない。
日本人的心性というのかネ、バカだヨ(死んだ人には失礼ながら)、せめて政治屋の名前を出しつつ有形・無形の圧力で自殺するという遺書を残せヨ。
(怒りの表出優先で、表現のレベルは後回しになった。)

三つ子の魂、百までも

チョッと気分転換。
一昨日のゼミに行く途中、OKストアで呑み部用の買い出しをしたのだけど、3・11がらみの非常食買いだめなのか、ものすごく混んでいたのだナ。
いつもと違ってレジに長い行列ができていて、10分近く待たされてしまった。
何もできずに無駄な時間を強いられると、脳が無駄なことを考えだして暴走しがち。
その時は、午前中テレビで津波の映像を見せながら、災害の記憶を忘れてはいけないというメッセージが流されていたのを思い出していた。
そこで「三つ子の魂、百までも」ということわざが浮かんだら、すぐに脳内で変奏されて

 三つ子のタマタマ、6個まで。

というパロディとなった。
三つ子の意味が変るところがミソながら、タマタマだけに3人の男女比によって0・2・4・6個という0か3通りの偶数になる次第、でも6を超えることはないし奇数にもならないのだネ(説明し過ぎかな?)。
でも「爆笑問題」の田中のタマは1個で奇数だけど、シッカリ子供ができたのだからタマが多ければイイという問題じゃない、爆笑?

これをゼミの前に発表したら、目の前にいたミチル姉さんにまた「バカみたい!」と言われてしまった。
この姉さん、昔の『青銅』に書いたことがあるけど、やはりゼミ(近代文学3ゼミだったか)の際に、ボクがストリップの光景を「金襴緞子(きんらんどんす)の帯締めながら、花嫁御寮はなぜ泣くのだろ」(小学唱歌)をパロって

 金襴緞子の帯解きながら、淫乱ダンスを踊ります。

と言ったとたんに「バカみたい!」とのたまわった御仁である。
でも下ネタがとっても好きなんだと察しているのだけどネ。