仲俣暁生  金井広秋  糸井重里

昨夜は法政大の非常勤講師の「懇親会」で、さまざまな出会いと情報が得られた。
まずは女性2題。
① 学大出身の女性講師がいて、聞けば懐かしいタキン先生(田近洵一)に卒論指導を受けたとか。
 タキン先生の定年退職を記念して、タキン先生率いる国語教育チームと、指サック(山田有策)先生率いる近代文学チームで対抗野球試合をやったのが一番の思い出。
 定年とは思えないタキン先生のボールさばきは華麗そのものだったのを忘れない。
 試合はタキンチームにはボクの研究室にも出入りしていた「ギター片手に世界を放浪する男」がいて、コイツが元野球部なので我らには打てない球を投げるので指サック・チームの負けとなった。
 こちらの応援には、ドラミを中心とする都市対抗試合なみの女性応援団がいて華やかだったのだけれど、実力では圧倒されてしまった。
② 立教大院の修了生がいて、ボクの授業に出ていたと言われたら顔に見覚えの残るYさんだった。
 学大赴任時からずっと立教大には学部も含めて通っていたのだけれど、Yさんは始めの頃の人だったので名のられないと判らなかった。
 ナオミの姉御より後輩だとは言っていたナ。
次に男性2題、断ったものの強引に連れていかれた二次会での話。
① 仲俣暁生という未知の人を紹介されたのだけれど、マロ(中丸)先生からも藤村先生からも無知ぶりを呆れられてしまった。
 編集もやる物書きらしいのだけれど、来学期だか来年だかに大学院の授業を担当するという話だから、実名を記して宣伝しておく次第。
 驚いたのは、サブカルチャー評論家として有名らしいのだけれど(その方面にも無知だけれど、群像新人賞の佳作に選ばれた時には紹介した)学大修士の矢野利裕クンと、夫人の鈴木さとみチャンの2人と仲良しだと聞いた時。
② もっと驚いたのは、小秋元文学部長から思いもしない男の情報を聞かされた時。
 学部長が慶応大付属三田高校に勤めていた時の同僚に、ボクがマエタカ(前橋高校)の1年生時に同級生だった金井広秋がいたというのだ。
 金井クンはボクが出会った文学関係者の中でもっとも及び難さを感じた男で、高校1年生にも拘らず国語科の教員よりも文学の理解が深いのではないかと思わせたものだ。
 彼の質問には、国語の先生(いわゆる東大出の先生が2人いて、その1人)が「金井の質問は意味が分からない」とサジを投げたこともあったくらい。
 背伸びしてヤスパースの文庫本なんかを教科書にしたせいだろ。
 生徒はもちろん先生からも一目も二目も置かれて輝いていたものだけれど、学年全体で数回の漢字のテストを受けさせられた時は、飛び抜けた成績でトップだったのは1年生全員がショックを受けたものだ。
 その時のテストに「忖度」があったような気がするけれど、文学には関心の無かったボクには金井クンの漢字力と文学理解力には脱帽するだけだった。
 休み時間に彼が読んでいる文庫本を見たら、聞いたこともない海外文学の小説だったのも覚えている。
 本人はそんな能力を自慢することもなく、フツーの顔をして高校生を演じていたのではないかと思うけれど、同学年には糸井重里たちがいて彼らの方がずっと目立っていた。
 とはいえ当時の糸井はその後に花開く才能が現れる前だったので、目立たぬとはいえ金井の存在感の方が圧倒的だった。
 慶応大院では斎藤茂吉を研究していたと聞き、金井が学内で発表するという情報を得て慶大に行ったこともあるのだけれど、その時ボクは教育実習中だったので遅れて金井の発表は聴けなかった。
 金井の次の博士課程の院生の発表は聴けたので、参加者の中で唯一のよそ者ながら質問したらその院生は答えられず、代りに池田弥三郎先生が説明してくれたので、さすがに池田大センセイだと感心したものだ。
 終わってから金井がボクの突っ込み質問に賛同してくれたのも覚えている。
 学生時代に1度だけ、新宿の呑み屋で2人で呑んだこともあったナ。
 全共闘時代の金井の活躍については、慶応の付属高校で勤め上げたのだから書かない方が彼のためだろう。
 慶応修士を出てから附属の志木高校で教えていると聞いたことがあったので、志木で教えていた学会仲間に確かめたら金井という教員はいないとのこと。
 辞めたのか? 死んじゃいないだろナ、とか心配して今日に至ったわけだけど、まさか法政大の懇親会で金井の元気な近況を聞けるとは思わなかった。
  
 女性の方はともかく、貴重な出会いや情報が得られたので素晴らしい二次会だった。