むのたけじ  「たいまつ」

朝日新聞の夕刊で「むのたけじをたどって」という連載が続いている。
とはいえ若い人たちには馴染みのない名前だろうけれど、戦争中に朝日が戦争協力的な記事を載せていたことに憤慨・反省して、敗戦と共に朝日新聞社を辞したという反骨の伝説を持つ人。
実はこの連載で、それほどカッコイイ辞し方だったことも明かされてはいるものの、101歳で亡くなる3ケ月前にも講演集会で反戦演説を叫んだとのこと、いつもながら頭が下がる人だ。
朝日を退社してすぐに地方新聞「たいまつ」を創刊し、奥さんと2人で長期にわたって発刊し続けたことはよく知られている。
ボクは学部生の頃(1年目か2年目か)の帰省中に、群馬大学の学園祭に講演者として呼ばれていたむのさんに会えたことを自慢にしている(明かすのは初めてだけど)。
聴衆が十数人だったのでテーブルを囲んでお話しを聴いたのだけれど、質疑応答の際に質問したところ、むのさんは老け顔のボクを大学の教員と勘違いしたらしい応答をしてくれたのは、恐縮というか恥ずかしかったというか、冷や汗ものだった。
死ぬまでボケずに反戦を訴え続けた志の強固さを模範にしつつ、生きて行こうという気にさせてくれる人だ。

連載記事を読んでくれると嬉しい。