パソコンの買い替え

8年前に買ったデスクトップ・パソコンが毎年のようにクラッシュするので、「買い替えなくては」と思っていたが、先立つものに制限もあるので、(毎日のようにバックアップを取りながら)騙し騙し使ってきた。

(パソコンに詳しい知人からは「なんで○○○○のパソコンなんて買ったの? プリンターくらいだったら買うかもれないけど…。」なんて言われていた)

CPUはデュアルコアの走りで、当時としては処理能力は平均並以上、むしろ高性能の部類に入ったと思うが、メモリーが1Gでは最近の高画質の映像を処理するには不十分のようだ。グーグルの地図やストリート・ヴューなども覚束ない有様。おまけに高熱になるため冷却ファンがすぐに起動し、かなり耳障りな音をたてる。

先々週、買い物で近所の家電量販店に寄ったついでに、冷やかしのつもりでパソコン売り場も覗いてみたら、この春発売されたブック型(液晶画面15.6インチ、メモリー8G、CPUはクアッドコア。ハードディスク750G、BRスーパーマルチ・ドライブ)が、実質7万円台で売っていた。

こんなに性能で7万円台半ばとは!(近年業績悪化に苦しんでいるとはいえ、日本を代表するコンピューターメーカーの製品なのに。) 店員さん曰く、「夏モデルが発売されたので、この値段なんです。こちらが夏モデルですが、ウルトラブックのインパクトが強くて、薄型軽量になっています」とのこと。

といっても、私の生活スタイルでは持ち歩くことはないし、性能自体には夏モデルとそれほど差があるわけではないようだ。思い切って買うことにした。

各種設定に手間どったけれど、データの移行などもどうやら終了。さすがにwindows7は速い。ファンの音も全くしない。何よりも、使っていて信頼感があるのがよい。クラッシュに怯えていた○○○○とは雲泥の差だ。

2011年フランス旅行 10日目 

11月1日(火)

いよいよ明日帰国するので、その前にマルセル・デュシャンのお墓参り。ノルマンディーの中心地ルーアンまで行く。


ホテルの中庭から明方の空を見上げる。


今回の旅ではホテルの朝食は、どこもビュッフェ形式だったが、内容は充実しており、クロワッサンや小さなフランスパン、ハム、ソーセージ、チーズ各種、果物、シリアルなどが美味しかった(野菜はいまひとつだったが)。(特にコルマールのホテルはナッツや果物のコンポート、ジャム、蜂蜜などの種類が多く、印象に残る。)

このパリの安ホテルもリヨンのビジネスホテルも、焼きたてのパンが出てきたのはよかった。(生地をオーブンで焼くだけの形にしてホテルに供給しているパン業者がいるらしい。)朝食さえしっかり食べておけば、昼食は軽めで済むし、抜いてもあまりお腹が空かない。


朝のパリ オペラ通り


サンラザール駅(今回は早めに来て8時20分の急行に乗った。)


ルーアン駅構内


ルーアン駅の佇まい


ルーアン市街


ルーアン記念墓地への坂道


墓地前の花屋「エーデルワイス」(エクサン・プロヴァンスの墓地の前にも同じ店があったような気がする。チェーン店かもしれない)


デュシャン家の墓を示す案内板(キリスト教式の墓石が並ぶ中、ここだけは無宗教の質素なプレートだった。左手に並んでいる)


上からレイモン・デュシャン=ヴィヨン(長兄、彫刻家)、ジャック・ヴィヨン(次兄、画家)、シュザンヌ・デュシャン=クロッティ(妹、画家)、ガビュ・べッフ(ジャック・ヴィヨンの配偶者)に続いて、マルセル・デュシャン(1887-1968)、アレクシーナ・サトラー・デュシャン(ティニー夫人。1906-1995)の名前が刻まれている(「さりながら死ぬのはいつも他人なり」という墓碑銘も読める)


供物と供花(ウルトラマン風の人形のお供えは日本人によるものだろうか)


同じ墓地にある文豪フローベールの墓


墓地から市街(大聖堂の方向)を望む。


このあと墓地の丘を下り、ルーアン市街に戻って散策。レジスタンスの英雄(犠牲者)たちのモニュメント。祝日(万聖節)に当たっていたためか、きちんと国旗が掲揚されていた。


ルーアン大聖堂(モネが繰り返し描いたことでも有名。あいにく雨模様となってきた。)



ジャンヌダルク教会


ルーアン市街。昼食に名物の生牡蠣を食べようか迷ったが、明日は帰国で飛行機に乗るのに、お腹を壊しても困るので、軽くサンドウィッチにしておいた。


列車でパリに戻り、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場などを散策。 (どこかの土産物屋にモナリザの図柄のハンカチを置いていないか捜してみたが、無かった。)


シャトレ近くのブラッスリーで最後の晩餐。パリでの夕食は外れ続きだったので、今回はガイドブックを頼りに探したが、紹介されていた店は「休日で休み」や「すでに閉店」ばかりで、3〜4軒、無駄足を踏む。リストの後方に掲載されたこの店は、大当たりだった。

「予約してないんだけど、空いてる?」と聞くと、20歳くらいの美人ウェイトレスが「どうぞ、どうぞ」と招き入れてくれた。案内された奥の席に座ると、いきなり「フランス人ですか?」と聞かれた。(この旅で最初にして最後だった。たぶん生涯でもそうだろう)。「いや」と首を振ると「じゃあ、イギリス人?」「いや」「イタリア人?」などと人懐こく聞いてくる。「日本人」というと「ああっ!」と納得した風。

「じゃあ、あなたはフランス人?」「いいえ」「イギリス人?」「いいえ」「イタリア人?」と同じ順番で聞くと、笑い出して「東ヨーロッパの国」という。「ルーマニアかな?」というと、「いいえ、その隣。ウクライナとの間の国。さあ、どこでしょう?」と謎をかけられてしまった。
判らないまま、とにかくメニューを開く。リヨンでもマルセイユでも魚料理だったので、この晩は肉料理にする。


スマフォに地図が入っているのを思い出し、調べてみると「モルドヴァ共和国」だった。ワインを運んできた時に「判った!モルドヴァだ」というと、にこにこして「そうです。キシナウから来ました」という。「恋のマイアヒ」が大ヒットしたグループもモルドヴァ出身と判っていれば、唄ってあげたところなのだが…。


フォアグラのソテー、牛頬肉の赤ワイン煮込みなどの料理も、ワインも、何種類かのデザートも、申し分なく美味しかった。




11月2日(水)

シャルル・ドゴール空港11時発のJAL・エールフランス共同運行便で帰国。

友人は市内で買ったお土産(フェラガモのバッグ、ピエール・ラニエの腕時計など)の免税手続きのため、中国人ばかりの長蛇の列に並んだ。こちらは空港の免税ショップでゲランのオードトワレ・セットを買っただけなので、スムーズに出国手続きを終えた。

ラウンジで優雅にコーヒーを飲みながら友人を待ったが、なかなか現われない。搭乗が始まってイライラ、ヒヤヒヤしていると、ギリギリのタイミングで駆け込んできた。間に合ってよかった。


11月3日(木)午前6時55分羽田着。早朝とはいえ休日なので通勤ラッシュに遭遇せずに帰宅できた。

2011年フランス旅行 9日目

10月31日(月)

部屋のバルコニーから見た地中海の夜明け(手前の岬の後方に見える陸地はイタリアだ)


1階エントランスでの朝食(昨晩ビールを飲んだのと同じ席)


チェックアウトで会計してもらうと、一人130ユーロ未満で済んだので驚いた。(宿泊費に加え、メインディッシュに肉・魚の2皿付いた前の晩の夕食とアルコール代、この日の朝食、税・サービス料などもすべて込みで。)


レンタカーでロクブリュヌ=カップ・マルタンに戻り、海岸に面した「ル・コルビュジェの別荘(小屋)」を見学


カップ・マルタン駅(ちょうど列車が到着したところ)


カップ・マルタンの丘(山というべきか)


ロクブリュヌ=カップ・マルタンの海


ル・コルビュジェの別荘(小屋) 付近にも庭にもサボテンが自生していた。


ル・コルビュジェのプレート(表札)



丘の上まで急坂を上り、ル・コルビュジェ夫妻の墓に参る。


後ろから来た車が突き上げてくるので、途中でよけて先に通してやった。早速、猛スピードで追い抜いていったが、しばらく行くと(5分もしないうちに)、何とその車がものの見事に対向車線のオートバイと衝突していた。その後、現場に急ぐ救急車ともすれ違ったが、オートバイの男性はたぶん即死だろう。

安全運転でエズまで行き、ニーチェの小路とエズ城を見学。(エズはニーチェが滞在して「ツァラトゥストラ」の最後の箇所を構想したところそうだ)


その後も安全運転に努めて、無事ニースまで戻る。ニースの海(地中海)は青かった。海岸で拾った石ころを(瀧口修造にならって)「ガラクシス」と呼ぶことにする。


熱海のような印象(少し俗っぽさを感じた)。駅前にはポルノショップなどもあった。


レンタカーを返し、TGVでパリ(リヨン駅)に戻る(車内で夕食)


1・2日目と同じホテルにチェックイン。夜遅く到着したので、カウンターには(前の学生アルバイトのお姉さんではなく)おじさんが居た。2度目の宿泊なので、1階奥の広めの部屋を用意してくれていた。

ロビーの冷蔵庫のビールを買って一息入れる。日本の友人宛に絵葉書を書いて出しに行こうとしたら、表は雨が降り始めていた。カウンターのおじさんが傘を貸してくれたので助かった。

2011年フランス旅行 8日目

2011年10月30日(日)

ホテルのレストランで朝食(この日から冬時間に変わったので、1時間だけ得をした気分)。


ホテル内でジョギング姿が目立つと思ったら、何とマラソン大会の開催日と重なっていたのだった。テレビ局の中継車なども来ており、大きな大会らしい。地下鉄の駅のすぐ隣が立派な陸上競技場となっており、大変な人混みだ。道路が歩きにくい上、地下鉄駅の手前の入口は出口専用にされており、向う側の端の入口まで遠回りさせられた。予定より30分ほど遅れて出発することになった。


サン・シャルル駅構内でレンタカーを借り、高速道路でエクサン・プロヴァンスに移動(レンタカーのカウンターがなかなか見つからず、この時点ですでに1時間以上の遅れとなった)


セザンヌのアトリエを訪ねる。正午から昼休みに入るので、見学時間はわずか10分ほど。内部は撮影禁止だった。


その足でセザンヌがサント・ヴィクトワール山を描いたことで有名なレ・ローヴの丘を散策。(セザンヌの旧宅に気を取られているうち丘の入口を通り過ぎてしまい、30分ほどロス。)プロヴァンスは空気が乾燥して日差しが強く、日本の初夏のようなさわやかな暑さ。現地の人はほとんどが上着なし。半袖姿も目立った。(こちらは冬仕度で来たのだが…)


この後、休憩場所があるか判らなかったので、エクサン・プロヴァンス街中のカフェで一休み。コーヒーだけで済まそうと思ったら、ラテン系の美人若女将に「うちはレストランですから、何か食事をしていただかないと」と言われ、やむなくプロヴァンス風サラダを注文する。が、とても食べきれない量で、残すことに…。

会計をしてもらいながら「とっても美味しいんだけど量が多くて…」と言うと、にっこり笑って見送ってくれた(中央に立っている黒い服の美女。どことなく黒木瞳に似ている。察しのよい人で、トイレを借りようと席を立つと、何も聞いていないのに目があっただけで「地下よ」と教えてくれた)。


セザンヌのお墓参りをしたところで、同行の友人に運転を替わってもらったが、10メートルも行かないうちに、左ハンドルのマニュアル車は無理と判明。結局(旅行手配、現地案内、日常会話程度の通訳に加え)全行程にわたって運転手を務めなければならなかった。


サント・ヴィクトワール山麓のトロネ街道を行く。予定より2時間ほど遅れており、計画していたセザンヌゆかりの「ビベミュスの石切場」と、ロマネスク教会建築の「トロネ修道院」(ル・コルビュジェも参考にしたという)の見学は断念。(この後、先を急いでひたすら車を走らせたので、写真撮影の暇はなかった。サント・ヴィクトワール山の岩塊など圧倒的な景観だったのだが…)


高速道路に入り、カンヌ、アンティーブ、ニース、モナココート・ダジュールを一気に横断。イタリア国境の街マントンで高速道路を降りるつもりが、ひとつ手前で降りてしまい、暗くて狭い山道(断崖沿いなのに、街路灯もまともなガードレールもない、片側一車線の地方道。しかも右側通行で断崖側!)をこわごわ運転する羽目に陥る。

道なりに車を進めていると、偶然、元の高速道路に入る入口に行き当たり、何とか無事にマントンの出口まで辿りついた。そこからくねくね曲がる急な山道を下り、20分ほどで海岸に面した4つ星ホテルに到着(すでに7時をかなり過ぎていた)。


チェックインし、予約していた夕食を「8時から」と頼んで、部屋に入る。最上階でバルコニーの付いた(同じホテルの中でも)かなりランクの高い部屋。


1階に下り、エントランスのバルコニーで地中海の夜景と海の微風を楽しみながらアペリティフ。一日中緊張して運転した後なので、ビール(クローネンブルグ)がことのほか美味しかった(つまみはミックスナッツとチーズ)。


やがて「準備ができました」とお声がかかり、ホテル内のレストランで夕食。すでにオフシーズンかと思っていたが、冬に入る前の連休を楽しむフランス、イタリアの客で大変な賑わいだった(連日のさわやかな暑さもあったのだろう)。料理もイタリア風の感覚(メニューにもイタリア語の表記があった)。

2011年フランス旅行 7日目 

10月29日(土)

3泊したリヨンのホテルを後に、列車でマルセイユのサン・シャルル駅へ移動。


駅を一歩出るなり、マルセイユのシンボル「ノートルダム・ド・ラ・ガルド教会」が見える。


地下鉄で「マルセイユ共同住宅」付近へ、さらに15分ほど歩くと、ようやく「共同住宅」の建物が姿を現した。


共同住宅」内の2フロア(確か3、4階)がホテルに使われており、チェックイン。


ル・コルビュジェの内装が残る客室(窓側の赤いベッドはエキストラ・ベッド)。


日よけの「ブリーズ・ソレイユ」。鳩対策で有刺鉄線が巡らしてあった。鳩に悩むのは、日本の公営住宅と同じか。


その後、そのまま建物内外・屋上を見学。屋上は幼稚園・小学校として使われていたそうだ。


地下鉄で市内中心部に出て、凱旋門マルセイユ旧港、ノートルダム・ド・ラ・ガルド教会などを散策。


路面電車が大活躍。


マルセイユ凱旋門


マルセイユ旧港。(かつては主要港として使われていたが、いまはヨットハーバーとなっているらしい)


裏町の広場


ノートルダム・ド・ラ・ガルド教会と日没。夕景の地中海をクルーズ船が行く。(撮影に時間を費やして、教会内が見学できなかったのは残念)


裏町のビストロで夕食(上の写真の広場に面した左側の店。魚のスープが懐かしい味だった)その後、地下鉄で「共同住宅」に戻る。


夜のエントランス。

2011年フランス旅行 6日目

10月28日(金)

列車でフィルミニ駅へ


フィルミニの街はル・コルビュジェの都市計画に沿って建設されてきたそうで、教会、陸上競技場、文化会館、プール、共同住宅などの建物も、ル・コルビュジェの基本設計によるものらしい。そうした都市計画自体を(観光も含む)街づくりの中心に据えているようで、街全体がル・コルビュジェへの敬意に溢れているように思われた。

途中の商店街の食料品店


陸上競技場」


「文化会館」


「サンピエール教会」


共同住宅


「屋内プール」


列車とバスを乗り継ぎ、リヨン市内に戻る。途中の高速道路が事故で渋滞しており、自家用車がかなり乱暴にバスの前に割り込んでくるが、運転手は(ゴルゴ13のように)顔色ひとつ変えずに先を急ぐ(そういえば髪型もゴルゴ13そっくりだった)。途中で山間の裏通りに入り、予定の30分遅れくらいでリヨンのパールデュー駅前に到着した。


そのまま歩いて旧市街、ソーヌ河畔を散策。


カルノー広場(ぺラーシュ駅前)のアンリ4世像


ソーヌ河畔の夜景(ロマンティックな景色で、抱擁を交わす若いカップルも多い。フランスの出生率が高いのも納得)


キリスト教の礼拝用品店のヴィトリーヌ(ショーウィンドウ)


有名シェフ経営のブラッスリーで夕食。(前日と同経営だが別の店。)鮭のソテーとキャベツの豆乳煮の付け合せ。鮭を分厚い輪切りにしてあるのが豪快だったが、味はやはり日本の魚料理の面影があった。

会計の際にお世辞半分で「昨晩は○○○に入ったけど、こちらの方が美味しかった」というと、給仕長(ホール・マネージャー?)が満面に笑みを浮かべ「アーッ、メルシ!」と応えた。

2011年フランス旅行 5日目

10月27日(木)

ホテルの部屋からリヨン(新)市街を望む。


明方のパールデュー駅(泊まったホテルとは反対の表側)。最近ビジネスホテルがいくつも建てられているようだが、どれも満室で予約が取れなかった。(どうして泊まったホテルに空室があったのかは、昨晩チェックインしてすぐに判った)


列車でラルブレール駅へ


リヨンの車窓から


ラルブレール駅


途中、小さなパン屋さんを発見。昼食用にサンドウィッチを求める(といってもバゲットにハムとチーズと野菜をはさんだフランス風のだが)。


坂道がけっこうキツイ。


ラ・トゥーレット修道院」を見学(半日)。もちろんル・コルビュジェの設計だが、若き日の作曲家クセナキスも手伝った作品だそうで、なおさら興味深い。


パリで見たサヴォワ邸もロンシャン礼拝堂もこの修道院も、古い割には(日本の最近のコンクリート打ち放しの建物よりも)コンクリートの肌理が緻密で状態も良いので、同行の建築家に「何故だろう?」と聞くと、「もちろん湿度やメンテナンスの違いなどもあるが、一番大きいのは、施工の監理がしっかりとしていて、設計者の意図が現場に徹底されたことだと思う。今のように添加剤などのない、硬い状態のコンクリートが、これほどきれいに打てているのは、それだけ現場が設計者の意図に忠実に、時間と労力をかけて丁寧な仕事をしたということだろう」との話だった。


その後、列車でリヨン市内(旧市街のゴルジュ・デ・ロープ駅)に戻る。


フィルヴィエールの丘、サンジャン大聖堂、ローマ時代の円形劇場遺跡、旧市街の裏通りなどを散策。


有名シェフ経営のブラッスリーで夕食(鱸のソテー、付け合せにポワロー葱の繊切り。フォンドボーのような、溜り醤油のようなソース。日本の魚料理を研究した跡が見える)