瀧口日和

selavy2008-11-02

10月30日(木)、米国から一時帰国された空閑俊憲さんと、そのお友達の民子さんと、三人で昼食(前の晩に電話があり、急遽お目にかかることになったもの)。空閑さんは晩年の瀧口修造の書斎に頻繁に通っていたアーティストで、岡崎和郎作品集の編集・制作者でもある。その後、渡米し、今は現地で活動している方だ。チベットの音楽家とCDを出すほどチベット文化・音楽への造詣も深い。今回もダライ・ラマの来日の際、御前で演奏するのだそうだ。
お二人とは初対面なのだが、すぐに意気投合。食後、喫茶店に場所を変えたが、瀧口修造の想い出など、いつまでも話しが尽きない感じだ。途中で浜松町の横田茂ギャラリーに移動、すでに来週からのアルマンド展の展示が整えられており、拝見する。
過去の展覧会のカタログ(特にジョゼフ・コーネル展など)を見せていただきながら、コーヒーを頂いた。やがて外出中だった横田さんも帰って来られ、岡崎和郎さんのことや、画廊活動のことなどに話は移った。ドイツ人の写真家ジェルメーヌ・クルルの「メタル」の復刻版などを見せていただく(後で調べたら、女流写真家だった。吃驚!)。6時近くに画廊を後にする。
この後、私はワタリウム美術館に行くことになっていたので、空閑さん、民子さんと一緒に有楽町駅前のMUJIのイートイン・デリで軽く夕食。空閑さんはNYにあるMUJIと比較し、興味深そうにされていた。ここで二人とお別れし、青山に向かった。
ワタリウム美術館吉増剛造氏のレクチャー「瀧口修造の<奇跡の写真>の跡と、その跡、―」を聴講。数年前、慶応義塾大学日吉校舎のホールに、瀧口修造が1958年に欧州を旅行した際の写真・資料が展示されたことがあるが(ご遺族から同大学に寄贈された資料の一部で、同大学アートセンターのスタッフが発掘・整理・編集したもの)、その際にデジタル化された旅行の写真をプロジェクターでスライド・ショーしながら、吉増さんがコメントを朗読するというもの。
吉増さんが入手されていたのは整理・編集する前の状態のものらしく(旅の時間・場所がランダムに再生される)、当時アートセンターのスタッフで今は鎌倉の美術館の学芸員をしているAさんが、撮影場所や被写体などの情報を適宜補足する形だった。
「前に出て行くのでなく、後ろに引いている感じ」「視線が下を向き、地面の方を見ている」など、ご自身も映像を手がけている吉増さんならではの鋭い指摘。瀧口修造の写真というものを考える契機を頂いたようだ。後半の吉増さんご自身の写真・映像を含めて、とても楽しめた。開催されている同美術館のコレクション展には瀧口修造のデカルコマニーも4点展示されていた(上図)。
会場には知り合いが多く、先日富山で会ったばかりの方もわざわざ聴きに来ておられた。実はこの会のことは、その方から教えていただいたものだったのだ。来場されていたアートセンターの先生方にもご挨拶申し上げた。
朝から晩まで、瀧口・瀧口で過ごした「瀧口日和」の一日となった。