方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

地図をクルクル回す人は、なぜバカにされるのか?

※ このエントリは、地図を正置(整置)してみよう!をお読みいただいたという前提で書いています。


 地図を進行方向に合わせて回す人は、方向音痴で地図が読めない 

 こんな俗説を聞いたことのある人は多いでしょう。人前で地図を回しながら読んで、バカにされた経験を持つ人もいるかも知れません。「地図を回すと、方角がわからなくなる」と言う人もいますし、「カーナビをヘッドアップモードにしている人は方向音痴」という変形バージョンもあります。

 この俗説が日本で広く信じられるようになったのは、『話を聞かない男、地図が読めない女』の影響だと見てほぼ間違いないでしょう。この本において、空間認識能力に優れた男は地図を回さずに読めるが、空間認識能力の劣る女は地図を回すという意味合いのことが書かれ、地図を回す女性が揶揄されています。
 2010年8月、大手地図会社のゼンリンが、やはり地図を回す女性を揶揄した(揶揄の意図は無い、と弁解するのはかなり苦しいはず)CM広告を首都圏において流しています。電車内の吊り広告で見た人も多いでしょう。テレビCMとポスターは、下記リンク先で見ることができます。 

・株式会社 ゼンリン データコム
 CMギャラリーバックナンバー 2010年8月
http://www.zenrin-datacom.net/mobile/cm/bn_1008.html 


 俗説が一気に広まったのは『話を聞かない男、地図が読めない女』の影響だとしても、それ以前から存在していた説であることもほぼ確実です。ただ、ざっと調べてみても、この説の初出を突きとめることはできませんでした。誰かこの問題に詳しい人に調べてもらいたいところです。
 憶測を交えることにはなりますが、欧米ではかなり以前(1980年代?)から、地図を回す人をバカにする言説があったようです。もっとも、欧米でどの程度一般的だったかは不明です。また、欧米の俗説の影響を受けた一部の日本人も、やはり古くから地図を回す人をバカにしていたようですが、今みたいに広く信じられるには至らず、ごく一部に限られていました。 

 1980年代後半から90年代にかけて、「女性は地図を読めない」という俗説を「科学的に証明」しようとする動きが、欧米の一部研究者の間で起こりました。当時の性差研究の迷走ぶりは、ドリーン・キムラの研究からも一端を伺い知ることができます。それら性差研究の一環として、「男性は北を上にして地図を読むが、女性は進行方向が上になるよう地図を回す」という論文も書かれたらしいのですが、誰のどの論文であるか、突きとめられませんでした。ごめんなさい。誰か調べていただけませんか?
 これらの性差研究は、再現性が確認されなかったり、実験デザインに問題があったり、性別よりもはるかに大きな交絡を完全に見落としていたり、解釈がおかしかったり、いろいろ問題点を指摘されています。しかし、学会で十分な吟味も為されないうちに、大手メディアによって、
「能力の男女差が科学的に証明された!」
と、あたかも科学界の定説であるかのように宣伝され、多くの人が信じるに至りました。2007年に経済協力開発機構(OECD)が「男脳・女脳」説を「神経神話」の一つに位置付け、注意喚起を促した背景には、こういった事情があります。 

 地図を回す話に戻りましょう。
 当たり前のことですが、地図が読めるかどうかは、地図を使って的確なナビゲーションができるかどうかで判断することです。地図を回さない=地図が読めると見做すのは、判断基準として異常です。
 地図読みの中級〜上級者(中級・上級の定義は、「地図が読める人」って、どんな人?を参照してください)は、道(踏み跡)をあまりあてにせず、周囲の風景から得られる情報を基にナビゲーションを行ないます(→関連記事)。そして、風景から得られる情報と、地図から読み取れる情報とを、最も効率的且つ判断ミスを犯さずに照合できる方法が、地図を回して実際の向きに合わせることです。正置(または整置)は、地図読みの基本のキと見做されています。
 また、相対的正置(周囲の風景に合うように地図を回すこと)をするには、 

  • 現在地が分かっている。
  • 周囲の風景と地図との対応関係が分かっている。 

の2条件を満たしていなければいけません。したがって、

 地図を進行方向に合わせて回す人は、地図が読めない 

というのは、完全に誤りです。
 もちろん、相対的正置をすることで、東西南北の4方向だけなら非常に正確に分かります。 

 おさらいしておくと、

  1. 地図を実際の向きに合うように回すのは合理的
  2. 地図を進行方向に合わせて回す人は、地図の見方が分かっている
  3. 地図を回すと、東西南北4方向が正確に分かる

ということになります。
 問題なのは、一部の研究者が、

 地図を進行方向に合わせて回す人は、方向音痴で地図が読めない 

という俗説にツッコミ一つ入れることができず、それどころか俗説を真に受け、あまつさえ俗説を「科学的に証明」しようとしたこと、及び、大手メディアがそれを宣伝したことです。