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日本基督教団 仙台南伝道所 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-05-13-Sun 説教要旨 「五つのパンと二匹の魚」 牧師 佐藤義子

[] 14章13−21節

13 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。

14 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。

15 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」

16 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」

17 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」

18 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、

19 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。

20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。

21 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

はじめに

 本日の聖書には二つのことが書かれています。一つは、イエス様は人里離れた所に行かれた後、ついてきた群衆を深く憐れみ病人を癒された話。もう一つは、五つのパンと二匹の魚で五千人が満腹した話です。

「イエスはこれを聞くと」(13節)

 これ、とは、すぐ前のヨハネの弟子からの報告(ヨハネが殺されたこと)と考えられます。預言者ヨハネの死は予測されていたとはいえ、ある日突然に(殺したヘロデ王でさえ、考えてもいなかった)起こりました。ヨハネの死を聞いたイエス様は「一人 人里離れた所に退かれ」(13節)ました。

一人になる

 ヨハネの死は、イエス様ご自身の受難が近づいてきているしるしでもあります。神様からの使命を果たしながら、近い将来迎えるその時まで、イエス様は働き続けていかれます。その根底を支えるのが、人から離れ、一人になって祈ることでした。

 私達は日常生活の中で、突然予想を越えた出来事に出会うことがあります。そのことは、時に私達をゆさぶり、私達を不安にし、落ち着きを失わせます。しかしヨハネの死を聞いたイエス様が、まず神様との交わりの時を大切にされたことを覚え、私達もイエス様に従う弟子として「まず祈る」者でありたいと思います。

「歩いて後を追った」(13節)

 群衆は、イエス様に会いたくて歩いてその後を追いました。そして病人はいやされました(14節)。

「あなたがたが与えなさい」(16節)

 追ってきた群衆は、女と子供を別にして五千人おりました(21節)。時は過ぎ夕方になりました。食糧を買いに行くには村まで時間がかかります。そこで弟子達はイエス様の所に来て、群衆を解散させるようにお願いしました。この時イエス様は、群衆を空腹のまま帰らせようとなさらず、弟子達に食事の世話をするように命じられました。

「ここにはパン五つと魚2匹しかありません」(17節)

 イエス様は弟子に「それしか持っていない」というそのすべてを持って来させました。そして群衆を草の上に座らせ、五つのパンと二匹の魚をとり、天を仰ぎ、賛美の祈りを唱えました。それからパンを裂き、それを弟子達に渡されました。弟子達はパンを受け取るとそれを群衆に与えました。その結果、男も女も子供も全ての人が満腹になりました。余ったパンは12の篭に一杯になった、とあります。

天を仰ぎ・賛美の祈りを唱え・パンを裂き・弟子達に渡す」(19節)

 この言葉は、最後の晩餐のイエス様の言葉と同じです。或いは又、この情景は、神様の食卓に招かれ、神様の言葉をいただき、神様の恵みにあずかる毎週の礼拝の姿であるとも言われます。さらに、群衆の全ての人が食べ、満腹し、残ったパン屑が12の篭に一杯になったことから、これは、終末時の神の国で食卓を囲む「祝福の先取り」をあらわしているともいわれます。

神の国

 イエス様がおられるところは神の国です。神様の恵みが、愛が、満ちている所です。イエス様から食事の世話を命じられた弟子達は「ここには・・しかない」としか答えられませんでした。天から降ったマナの話を知っていたことは役立ちませんでした。ところが「・・しかない」と差し出されたものをイエス様は祝福され、それは何倍にもなって十分な余りが出ました。このイエス様に私達は従っているのです。