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日本基督教団 仙台南伝道所 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-09-26-Sun 「神の言葉で造り上げられる」 牧師 佐藤 義子

[]33章1−9節

1 主の言葉がわたしに臨んだ。

2 「人の子よ、あなたの同胞に語りかけ、彼らに言いなさい。わたしがある国に向かって剣を送るとき、その国の民は彼らの中から一人の人を選んで見張りとする。

3 彼は剣が国に向かって臨むのを見ると、角笛を吹き鳴らして民に警告する。

4 角笛の音を聞いた者が、聞いていながら警告を受け入れず、剣が彼に臨んで彼を殺したなら、血の責任は彼自身にある。

5 彼は角笛の音を聞いても警告を受け入れなかったのだから、血の責任は彼にある。彼が警告を受け入れていれば、自分の命を救いえたはずである。

6 しかし、見張りが、剣の臨むのを見ながら、角笛を吹かず、民が警告を受けぬままに剣が臨み、彼らのうちから一人の命でも奪われるなら、たとえその人は自分の罪のゆえに死んだとしても、血の責任をわたしは見張りの手に求める。

7 人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。

8 わたしが悪人に向かって、『悪人よ、お前は必ず死なねばならない』と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任をわたしはお前の手に求める。

9 しかし、もしあなたが悪人に対してその道から立ち帰るよう警告したのに、彼がその道から立ち帰らなかったのなら、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。

[]20章17−38節

17 パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。

18 長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。

19 すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。

20 役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。

21 神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。

22 そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。

23 ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。

24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。

25 そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。

26 だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。

27 わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。

28 どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。

29 わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。

30 また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。

31 だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。

32 そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。

33 わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。

34 ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。

35 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」

36 このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。

37 人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。

38 特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。

はじめに

 今日の聖書は、パウロがエフェソの教会のリーダー達に別れを告げるに際し、あたかも遺言を残すように語る場面です。パウロはまず、自分がこれまでどのように生きてきたかを思い起こしてもらいたいと語り始めます。第一に「自分を全く取るに足りない者」と思って主に仕えてきたこと、第二に「涙を流しながら」主に仕えてきたこと、第三に「ユダヤ人の陰謀の試練に遭いながら」主に仕えてきたことです。自分を低くして、涙を流すほど真剣に誠実に教会の人々に向き合い、自分の福音宣教に反対する人達との戦いに負けることなく戦ってきた仕事を、これからはリーダー達が引き継ぎ、担い、教会を守り導いていくのです。

パウロが語った二つのこと

 さらにパウロは、自分は教会に役に立つこと、有益なことは、公衆の面前でも方々の家でも、一つ残らず伝え教えてきたと語ります。その内容についてパウロは、「神に対する悔い改め」と「私達の主イエスに対する信仰」の二つを取り上げています。神を信じると言いながら、いつのまにか、自分の心を神としている人達に、神のもとに帰り、神中心の生活へと生き方を転換するよう教え導き、さらに、神様が救いの為に遣わした御子イエス・キリストを自分の救い主と信じて従うように伝道したのでありました。

パウロの任務

 パウロは、自分の任務は「主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しする」ことだと語り、この任務を果たし続ける為に、聖霊に促されて、投獄と苦難が待っているエルサレムに行くと話します。パウロは、自分に与えられた道を走り通すことが出来るなら、自分の命を惜しいとは思わないと語り、神様の救いのご計画、救いにあずかる道など、すべてを隠すことなく伝えてきたので、もし、そこから外れて滅びの世界に落ちる者がいたとしてもパウロに責任はないと明言します(エゼキエル書を参照)。エフェソのすべての教会員が、パウロが教えたキリストの福音と真理にとどまり、救いと永遠の命を手放すことがないように語っています。

教会とは

 教会は「神が御子の血によってご自分のものとなさった神の教会」(28節)です。イエス様が私達の罪のために十字架で流して下さった血によって、私達は神様から赦され、聖められて、神の子とされ、教会の群の一員とされました。ところがパウロが去った後、教会には外から偽りの教えが入り込んだり、内部から邪説を唱えてキリスト者を惑わす者が出るなど、誘惑や困難に襲われる出来事が起こることを、パウロは予見していましたので、それらの誘惑や試練から守られる為にも、パウロは、これまで一人ひとりに夜も昼も涙を流して教えてきたことを絶えず思い起こして「目を覚ましていなさい」と警告します。

御言葉には「造り上げる力」がある

 そしてパウロは、「今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることが出来るのです。」と語りました。


 神様の恵みの言葉、神の言葉はキリスト者を造り上げ、神様の恵みを受け継がせる力をもっています。神の言葉は人間から出て来るものではなく、神から出て来るのであり、それは生きた神の力であり、人々を堕落と滅びから守り、人々を信仰の高嶺へと導き、人々を形成し築き上げていきます。詩編には「あなたの御言葉は、私の道の光 私の歩みを照らす灯火」や、「どのようにして、若者は歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉通りに道を保つことです」とあります(119篇)。又、ヘブライ書に「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんなもろ刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることが出来る」とあります(4:12)。


 私達はこの神の言葉である聖書を手にしており、いつでも読むことが出来ます。そして礼拝ごとに、又、諸集会で御言葉を学ぶ機会があります。ここにおられるすべての方が、恵みの言葉によって自分自身を造り上げていただき、恵みを受け継ぐ幸いな者とされたいと願うものです。