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日本基督教団 仙台南伝道所 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-11-07-Sun 「神に栄光を帰する」 牧師 佐藤義子

[]116編8−11節

8 あなたはわたしの魂を死から/わたしの目を涙から/わたしの足を突き落とそうとする者から/助け出してくださった。

9 命あるものの地にある限り/わたしは主の御前に歩み続けよう。

10 わたしは信じる/「激しい苦しみに襲われている」と言うときも

11 不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。

[]4章7−15節

7 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。

8 わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、

9 虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。

10 わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。

11 わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。

12 こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。

13 「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。

14 主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。

15 すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。

はじめに

 毎年、11月の第一聖日を「召天者記念礼拝」として守っています。私達すべての者は、この地上での生活に終りの時を迎えます。それを私達は「死」と呼びます。しかし聖書は、肉体の死がすべての終りではなく、その後に続く「永遠」の世界があることを教えています。 神様を信じ、イエス・キリストが、神様から遣わされた神の御子・救い主であることを信じて従う者には、神の国に入る永遠の命の恵みが与えられることを聖書は約束しています。この写真にある方々は、信仰をもって生き抜いた方々です。私達は、キリスト者として生き、良き証しを立てられたこれらの方々の足跡を思い起こすことを通して励まされ、又、思いを新たにいたします。

アンケニー宣教師ご夫妻

 これは、平野武夫兄のご家族に福音を伝えられたアンケニー宣教師ご夫妻の写真です。戦前から戦後にわたって仙台で伝道し、ご主人は東北学院の院長も務められました(夫人はシュネーダー宣教師の二女)。宣教師の方々が祖国を離れ、言葉も文化も全く違う世界で生きることの困難さは、私達の想像を越え、特に戦争を挟んだ時代は大変なものでした。日米開戦時には、アンケニー先生はじめ宣教師の方々はスパイ容疑で投獄され、やがて一か所に身柄を拘束されて生活されました。半年後、国際赤十字の仲介で、アメリカで抑留されている日本人外交官などとの交換が実現し、交換船でアメリカに帰国されました。そして、戦後再び来日し、日本人への伝道と教育のために生涯を献げられました。

私はすでに世に勝っている

 私達は、イエス・キリストの福音がどのようにエルサレムから全世界へ伝えられていったのか、弟子達がキリスト者として福音をどう生き、どう伝えたのかを使徒言行録で学んでいます。昔も今も、御言葉を伝える業には多くの困難が伴います。しかしイエス・キリストの「あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)との御言葉に励まされて、多くの宣教者・信仰者達が福音を宣べ伝えました。私達もそれに倣う者となりたいと思います。

土の器

 今日の聖書では、私達は「」(福音・神の栄光を悟る知識)を、土の器である私達の中に納めていると記されています。神様が私達を、その「宝」を納める土の器とされたのは、「宝」(偉大な力)がまさしく神様のものであり、人間のものではないことが明らかになる為でした。それゆえ四方から苦しめられても、途方に暮れても、虐げられても、打ち倒されても(このようなこの世の艱難を受ける時、弱い人間は倒れるしかありません)、「福音」・「神の栄光を悟る知識」という宝を納めている土の器は、決して行き詰まらず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされないと聖書は断言します。この「並はずれて偉大な力」は神のものです(7節)。

神に栄光を帰する

 神様の栄光は、神様の恵みが感謝を生み出すことによって生じます。神様の御業や恵みを数える時、神様がいかにこの小さな自分を愛していて下さっているかを知ります。そして神様への感謝が、讃美や祈り、礼拝や献げもの、さらに周りの人々への証となって表わされる時、その一つ一つが神様に栄光を帰すことになることを覚えたいと思います。