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日本基督教団 仙台南伝道所 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-02-06-Sun 「復活を信じる信仰」 牧師 佐藤 義子

[]12章1−4節

1 その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く/国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう/お前の民、あの書に記された人々は。

2 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り/ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。

3 目覚めた人々は大空の光のように輝き/多くの者の救いとなった人々は/とこしえに星と輝く。

4 ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう。そして、知識は増す。」

[]24章10−23節

10 総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。「私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。

11 確かめていただけば分かることですが、私が礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。

12 神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。

13 そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。

14 しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。

15 更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。

16 こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。

17 さて、私は、同胞に救援金を渡すため、また、供え物を献げるために、何年ぶりかで戻って来ました。

18 私が清めの式にあずかってから、神殿で供え物を献げているところを、人に見られたのですが、別に群衆もいませんし、騒動もありませんでした。

19 ただ、アジア州から来た数人のユダヤ人はいました。もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。

20 さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。

21 彼らの中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」

22 フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので、「千人隊長リシアが下って来るのを待って、あなたたちの申し立てに対して判決を下すことにする」と言って裁判を延期した。

23 そして、パウロを監禁するように、百人隊長に命じた。ただし、自由をある程度与え、友人たちが彼の世話をするのを妨げないようにさせた。

はじめに

 今日の新約聖書は、千人隊長の命令によってパウロがカイサリア(ローマ総督駐在地)に護送されたその後の出来事が記されています。パウロの暗殺計画が失敗に終った後、パウロに殺意を抱くユダヤ人達は、今度は、総督に訴える為わずか5日後にはカイサリアにやってきました。その為パウロは、ローマ総督フェリクスの前で弁明することになりました。今朝はその裁判を見ながら、パウロの告白する復活の信仰について学びたいと思います。

告発

 法廷では、大祭司アナニアと長老数名および弁護士テルティロがパウロを訴え、彼が世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしていること、さらに彼が「ナザレ人の分派の主謀者である」と述べ、最後に「神殿を汚そうとしたからパウロを逮捕した」と告訴の理由を語りました。聖書本文にはありませんが、「そして、私共の律法によって裁こうとしたところ、千人隊長リシアがやってきて、この男を無理やり私共の手から引き離し、告発人達には、閣下のところに来るようにと命じました。」(使徒言行録最後の頁の24:7参照)と千人隊長への不満をも訴えた写本が残されています。

パウロの弁明

 この告発に対するパウロの答弁が、今朝読んでいただいた10節から21節にあります。パウロは、自分がエルサレムに来たのは礼拝の為であり、しかもエルサレム到着後12日しかたっておらず、ここでの告訴の内容は、誰も、何の証拠も挙げることは出来ないと訴えを退けています。ただし、「ナザレ人の分派」であることは認めて、自分の信仰を明確にしています。

パウロの信仰告白

 14節以下で、パウロは、自分は先祖の神(天地創造主の唯一なる神)を礼拝する者であり、律法と預言者(旧約聖書のこと)をことごとく信じていると告白します。さらに、自分は復活する希望を抱いており、これは自分を訴えている人々と同じ信仰だと主張します。(ユダヤ教の三つの柱は、神が唯一であり、旧約聖書は正典であること、そして復活の期待の確信)。ユダヤ教の中には復活はないとするサドカイ派がおりましたが、彼らは他のユダヤ教徒から、忍耐をもって受け入れられていたのでした。

復活の希望の確信

 パウロは「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています」と告白しています。イエス・キリストの復活は新約聖書の信仰の根本であり、弟子達の宣教の中心は「神様がイエス・キリストを復活させた。自分達はその復活の証人である」でした。パウロ自身も復活の主に出会い、キリスト者への迫害者から伝道者へと180度変えられました(9章)。


 パウロは「イエスは、私達の罪の為に死に渡され、私達が義とされる為に復活させられたのです」(ロマ4:25)と語っています。イエス・キリストの死と復活は切り離すことが出来ません。私達の罪が赦される為に、神様の働きによってなされたのがキリストの死と復活なのです。コリント書でも「キリストが復活しなかったのなら、あなた方の信仰は空しく、あなた方は今もなお罪の中にあることになります」(15:17)とあります。

私達の信仰

 私達もパウロと同じように、信仰によって、肉体の死がすべての終りではなく、復活して神の国に入れられることを信じています。私達は、神様を神様として信じてこなかったそれ迄の罪を悔い改め、イエス様を神の子・救い主と信じる信仰により、罪から救われて、神の子とされた喜びの中に生かされています。それゆえに、死は恐怖ではありません。大切なことは生涯「死に至るまで忠実であれ」(黙示録2:10)との御言葉に従って生きることです。


 多くの誘惑や困難が、時として私達を苦しめます。しかし私達には、復活のイエス様が約束通り聖霊と共に常に傍にいてくださり、私達に知恵と勇気と励ましを与えて下さいます。


 礼拝の恵みにあずかることを通して、しっかりとイエス・キリストにつながっていましょう。