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日本基督教団 仙台南伝道所 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-08-07-Sun 「神の平和」  牧師 佐藤義子

[]97編 7−12節

すべて、偶像に仕える者/むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。神々はすべて、主に向かってひれ伏す。 シオンは聞いて喜び祝い/ユダのおとめらは喜び躍る/主よ、あなたの裁きのゆえに。 あなたは主、全地に君臨されるいと高き神。神々のすべてを超え、あがめられる神。 主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り/神に逆らう者の手から助け出してくださる。 神に従う人のためには光を/心のまっすぐな人のためには喜びを/種蒔いてくださる。 神に従う人よ、主にあって喜び祝え。聖なる御名に感謝をささげよ。

[] 4章 1−9節

だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。 わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。

はじめに

日本基督教団では、毎年8月第一週の日曜日を、平和聖日として守っています。フィリピ書3章20節に、「私達の国籍は天にある」(口語訳)とあります。イエス・キリストを信じる者は、この地上における国籍とは別に「神の国」の「国籍」を持っています。神の国の民とされた者には、終末の時、復活の約束が与えられています。では、天に国籍を持つ者は、この地上において、どのように生きるべきでしょうか。

どこに立つか

今日読んだ1節には、「主によってしっかりと立ちなさい」とあります。

「主によって立つ」は、「信仰の中に立つ」、「恵みの中に立つ」、「福音の中に立つ」という言い方もされます。「主によって立つ」者は、その存在自体が「主」に属していますから、「主」によって生き方が定められます。主体が「主であるイエス・キリスト」、従が「わたくし」です。つまり、「わたくし」は、イエス・キリストに従う者、イエス・キリストを主人として、その主人につかえる「しもべ」といえます。(これに対して、神様を信じない者は、主体も従も「わたくし」(=自分が最高決定者)ということになります。)

主によって立つ者、すなわち天に国籍を持つ教会の人々に対して、4節以下では、教会がどのような群であるかを指し示します。

まず、教会を支配しているのは喜びです。この喜びは、イエス・キリストを主として仰ぐことを根拠とした喜びであり、その喜びの中に留まり続けるようにと命じています。

 

*「あなたがたの広い心が全ての人に知られるようになさい」(5節)

「広い心」とは、権利とか建前にしがみついたり、こだわったりせず、よりよい善のため、とりわけ愛する者の為に、本来あるべき姿から離れて行動する、柔軟で寛容な考え方を意味します。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、人間と同じ者になられました。」(フィリピ2:6−)とあるように、です。そしてこの後すぐに再臨が近づいていることを告げます。この「広い心」は、再臨のイエス・キリストに関心が向けられ、私達が主の御前に立つことを考えたなら、誰に対してもかたくなにならず、しがみついている様々なことから解き放たれて、こだわりが消え、柔軟で寛容な広い心を持つことが可能となるということでしょう。

「どんなことでも思い煩うのはやめなさい」(6節)

思い煩いとは、自分の未来を何とか自分の手の内に握ろうとする人間のあがきであるともいえます。しかし思い煩いは、「先ず、神の国と神の義を求めよ」(マタイ6:33)という戒めを妨げるものです。

未来を左右するのは神様だけです。ですからパウロは、悩み心配する代わりに、「祈る」ことによってキリスト者の特権を用いるように導きます。キリスト者の祈りは、感謝と賛美が伴います。私達の為に正しく配慮して下さる神様の前に、すべてのことを神様の支配に委ねる信仰をもって祈るのです。キリスト者の祈りは、この世の御利益宗教のように願い事だけ祈るのではなく、感謝を基礎とする信頼の表明でもあります。 

神様の平和

  神様は、私達を救う為に、御子イエス・キリストを私達のもとに遣わされました。私達が、それぞれの罪を悔い改め、イエス・キリストを信じて受け入れ、従う時、思い煩いから解放され、感謝を込めて、求めていることを神様に打ち明けることが出来ます。そしてその時、私達の心の中はこの世のものではない、神様の平和(神様の恵み・神様の憐れみ)に満たされます。

「神様の平和」は、神様だけからくる「平和」なのです。