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日本基督教団 仙台南伝道所 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-10-09-Sun      「叫び続ける」   伝道師 平賀真理子

[] 29章11−14節

Tわたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。 わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、 わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。

[]10章46−52節

一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。 そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

はじめに

 イエス様が、十字架という受難を受けるべき場所・エルサレムを目的地として、一行は旅をしています。そしてあと20数キロという町エリコに来ていました。町を出ようとしていた時、一人の盲人バルティマイが、イエス様一行が来ていることを人々から伝え聞きました。「過越の祭」を前に、エルサレム神殿には多くの人々が参拝のため集まり、その手前の町、エリコも賑わっていたことでしょう。そのざわめきの中から、「ナザレのイエス様一行のお通りだ」との声を聞いた時、バルティマイは千載一遇のチャンスととらえました。恐らく彼は、人々の噂になっていたイエス様の癒しの力や奇跡の業、語られる御言葉を通してイエス様のことを「来るべきメシア(救い主)」と素直に信じていたと推測されます。

バルティマイの信仰

「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」(47節)との彼の叫びは、彼の信仰告白です。ユダヤ人達は預言者の言葉を通して「メシアはダビデの子孫から生まれる」と信じていました。バルティマイの、イエス様への呼びかけは、「メシアであるイエス様!」との信仰告白でもあります。そして「私を憐れんでください」の叫びは、苦しみを共感して下さる全能の神様に対して、救いを求める祈りと言えます。バルティマイの叫びを聞いた弟子や群衆は、「叱りつけて黙らせようと」(48節)しました。盲人で物乞いの「取るに足りない人間」の願いを無視してもよいと考えたのか、或いは、イエス様の道行きをさえぎるほどのことはないと判断したのかもしれません。彼らの態度は威圧的だったことでしょう。この世の価値基準が、イエス様の価値を直感でわかって信じるバルティマイの妨げになっています。しかし彼は屈することなく、一層大きく叫び続けたのです。

「あの男を呼んで来なさい」

バルティマイの叫びをイエス様は聞かれ、「あの男を呼んで来なさい」と言われました。そこで人々は、「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」と、今度は招きの仲介をしています。バルティマイは、その言葉に喜び、上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエス様のところに来ました。救いにあずかるのにふさわしい姿といえるでしょう。イエス様の「何をしてほしいのか」の問いに、「目が見えるようになりたいのです。」と訴えました。

「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

彼は癒されました。すぐ見えるようになったのです。彼は自分の何が問題であるかを知っていました。彼はイエス様を救い主と信じ、治して下さると信じて呼びかけに喜んですぐ応じました。そして自分の願いをはっきりと言い表し、治していただきました。そして、イエス様が「行きなさい」と促したのに帰らず、イエス様が行かれる道に従いました。イエス様の憐れみを受けたことへの感謝を表したい、救い主と共にいられることの幸いがいかに大きいかを知り、離れたくないとの思いからの行動だったのでしょう。彼は一瞬の出会いと癒しで決意したのでした。

信じ、求め、憐れみを受け、感謝し、主を愛し、主に従う。

バルティマイは、長年、盲人ゆえに物乞いをして生きることを強いられ、苦しみと絶望、困窮に対して忍耐を続ける中で、救いを求めていました。叫び続けることができたのは、自分の苦しみはイエス様によって絶対救われる、との信仰を持ち続けることが出来たからです。

私達も又、「あなた方が私につながっており、私の言葉があなた方の内にあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」(ヨハネ15:7)と約束されています。神様が先に私達を愛して下さり、招いて下さったことを忘れてはなりません(同16節)。福音やその力の素晴しさを知らされた私達は、イエス様を信じる信仰によって救われたことを認識し、感謝し、それに応えて主を愛し、主に従っていきたいと思います。又、「二人又は三人が私の名によって集まる所には、私もその中にいる」(マタイ18:20)」との約束の下で、教会の会員の間で互いに愛をもって祈り合い、神様の助けを希うことも赦されています。イエス様の御名によって、必要な救いは必ず与えられる恵みを感謝したいと思います。