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日本基督教団 仙台南伝道所 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-10-23-Sun  「平和の主」    伝道師 平賀真理子

[]9章9−10節

娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。 わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ。

[]11章1−11節

一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」 二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。 我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

はじめに

 今日の聖書は、イエス様生前の最後の一週間の初日(日曜日)として、イエス様のエルサレム入城の出来事を記している箇所です。

イエス様は、ご自分がエルサレムで十字架に架かることを預言されていまが、それは、人々の罪を贖(あがな)う為の、神の御子の悲惨な「刑罰による死」でした。イエス様は、ご自分のことをメシア(救い主)として告白したペトロを中心とした12人の弟子を愛し、ご自分がこの世を去った後の、地上での神の国を築き上げる基盤として彼らを教育されました。弟子達は、イエス様の期待に応えるには不十分でしたが、イエス様は忍耐強く導かれております。

子ろばと柔和

 イエス様一行がエルサレムに近づき、ベトファゲとベタニアの町にさしかかった時です。イエス様は弟子達に「子ろば」を連れてくるよう命じました。それは、ゼカリヤ書の預言に従って、メシアとして子ろばに乗り、エルサレム入城をなさる為でした。「子ろば」は頑丈だけれども体全体は小さくて、大人しい性格で、「高ぶることのない」(9節)身近な動物でした。又、預言では、エルサレムに来る王は「神様に従い、勝利を与えられた者」とされています。マタイ福音書では「柔和な方」とあります。どちらも、神様を頼りにして思い上がらない者です。「柔和」とは「貧しい、低くされた(申15:11、詩76:10)」から出た言葉であり、自己に頼らず、ただ神に信頼すること、他者に表わす謙遜(民12:3)を指し、神との関係の中で正しく自己を知り、それゆえに他者への関係を正しく知る者の有り様であって、キリスト者の貴い性質・態度として求められているものです。

証人とされる

イエス様から命じられた二人の弟子は、その言葉に従って子ろばを連れてきました。主の預言や御言葉の正しさを証明する証人にされたのです。彼らは恐らく、自分達の行動の意味を理解していなかったでしょう。彼らは期せずして、そのような恵みに与(あずか)ったのです。主に従っていく時、そのような恵み、後で振り返って「神様のご計画に招き入れられて恵みだった」と思えることがあります。

エルサレム入城

二人の弟子は、自分の上着を子ろばの上に敷きました。この行為は、王に敬意を示し、即位を喜ぶ意味が含まれています(列王記下9章)。それに倣うかのように、群衆が道路に上着や葉のついた枝を敷いたりして、待ち続けたメシアをイエス様に重ね合わせ、「ホサナ」(詩編118:25〜26)と叫びました。これは、ヘブライ語「ホーシャーナー」という言葉からきており、「主よ、我らを今、救い給え!」の意味ですが、この頃には「巡礼者の聖地に入る時の挨拶」又は、「主を賛美する呼びかけ」に変化していたようです。しかし群衆が期待したメシアは、ダビデのような王であり、ローマの支配や重税から自分達を救ってくれるメシアでした。

真のメシア

イエス様の、メシアとしての役割は「苦難のメシア」(イザヤ52〜53章)でした。この世を武力で抑えつけるのではなく、この世の暴力によって殺され、罪のない者として血を流すことで、人々の罪をあがない、神様からの赦しをいただくことが神様からのイエス様への使命でした。イエス様は、御心を第一とし、「人々の救い」と「神の国を造り上げる」ことに全てをかけられました。群衆や弟子さえもご自分を理解していないと思える時も、ご自分が世を去った後、弟子達が中核となって教会や神の国を造り上げていかれるように、忍耐強く教え愛し抜かれました。それは、人々に徹底的に仕え、柔和に、謙遜に生きていく「平和の主」のお姿です。イエス様の昇天後、弟子達は聖霊の助けにより教会の基礎を造り上げ、福音は全世界に広がっていきました。

私達も又、罪の世界の法則や価値観の中で苦しんでいた時、神様の一方的な愛によって救われたのです。神の民として歩める幸いを感謝し、今週も聖霊の助けによって神様の恵みの中で過ごし、本物の弟子として成長できるように、祈り求めてまいりましょう。