はじめに

今日の聖書の箇所では、私達の主、イエス様が、この世に人間として来てくださった次第が、具体的に述べられています。

一節に、皇帝アウグストゥスから勅令が出たとありますが、このアウグストゥスこそ、ローマ帝国で初めて「皇帝」つまり「王」になった人物でもあります。彼はジュリアス・シーザーの養子であり、その功績と栄光を引き継ぎ、帝国を発展させました。それでローマ市民に英雄視され、敬意をもってつけられた称号に「神の子」とか「救い主」がありました。

天から、本物の「神の子」「救い主」であるイエス様を送り出す直前に、人間界の中では、「神の子」「救い主」と呼ばれる人物が立てられたのです。人間が定めた王アウグストゥスは、軍隊という武力で人々を支配しました。一方、天からの王、イエス様は、神様からの御言葉をもって、人々の心を支え、現在に至っています。

住民登録

帝国の支配下にあった属州の民は、皇帝の一声(勅令)で、故郷に戻り住民登録をしなければならず、それは、先祖の町から遠く離れている人々にとっては、肉体的、経済的に大きな負担でした。更に、盗賊などの生命の危険も伴います。その人々の中に、神の御子イエス様の両親という役目を担ったヨセフとマリアがいました。神様はこの二人を弱い立場のまま、むしろそのことも用いて、本当の神の救いが何かを示そうとされました。 

ガリラヤのナザレの町に住んでいたヨセフは、住民登録の勅令が出なければ、遠いベツレヘムへ行くことはなかったでしょう。「救い主は、ダビデの子孫から、ダビデの町ベツレヘムで生まれる」という預言は、サムエル記下(7:12)をはじめ、イザヤ書詩編、ゼカリヤ書などにあります。神様は、ご自分の御計画を予め預言者に託され、「救い主ご降誕」の預言を成就される為に、人間の働きを用いられたのです。

本物の救い主誕生

 ヨセフと身重のマリアにとって、故郷への旅は苛酷でした。頼る人も、物も部屋も情報もない困難の中で、二人は大変な役割を、信仰(神様への信頼)ゆえに、乗り切ったのでしょう。本来なら盛大にお祝いされるべき本物の「神の子・救い主イエス様のご降誕」は、謙虚さを愛される父なる神様の性質に倣って、この世で最も謙虚な様子となりました。

ローマ帝国の、「この世の救い主」が贅沢に過ごしていた、まさにその時、神様から遣わされた本物の「救い主・イエス様」は、帝国属州の、片隅の家畜小屋で、貧しく低くされた中で、お生まれになりました。

人類の罪からの救いの完成

このようにお生まれになったイエス様の、その後の歩みを思います。神様は、イエス様を、やがては十字架につけて、死なせるという過酷な定めにされました。しかしそれで終わらず、神の子イエス様の「復活」によって、「人類の罪からの救い」を完成させられました。その御業の第一歩として、「救い主・イエス様ご降誕」を、神様が、まず準備して下さいました。次に、多くの人々を、その「罪からの救い」に今なお招き、私達の心に呼び掛け、働きかけてくださっています。

 「神、我らと共にいます(インマヌエル)」の称号を持つイエス様は、そのために、人間となられ、私達と共に歩んでくださっています。信じる者には、その恵みが惜しみなく与えられています。私達は、そのことを既に知らされています。そのことを感謝して受け、イエス様に繋がって、その思いを周りにいる方々に伝えていきたいと願っています。