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日本基督教団 仙台南伝道所 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2013-09-15-Sun 「神の国に入る道」    牧師 佐藤義子

詩編119:33−40

マタイ19:16−30

           

はじめに

今日の聖書には、三つのことが語られています。一つは、イエス様と金持ちの青年との会話。二つには、人間にとって不可能なことが、神には可能であるということ。そして三つ目に、終末への約束と警告です。

お金持ちの青年

お金がある、まじめな青年がイエス様の所に来て、「永遠の命」を得る為にはどんな善いことをすればよいかと質問しました。「永遠の命」とは、信仰の熱心なユダヤ教徒が熱心に望んでいたもので、それは、救い主の支配のもとで祝福に満ちた来るべき世に住むことを意味していました。ユダヤ教では終りの日(終末)に、ある者は復活して永遠の命に入り、ある者は永遠に続く恥と憎悪の中に置かれるということが預言されています。(旧約聖書・ダニエル書12:1)。

このお金持ちの青年は、聖書で約束されている永遠の命を、今より確実に得る為に、イエス様のもとに来たのです。

「命を得たいのなら、掟を守りなさい。」

イエス様はこの青年に、もし永遠の命を得たいのなら、掟を守りなさいと言われました。青年はどの掟かと聞き返し、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また隣人を自分のように愛しなさい」とイエス様から言われた時、即座に「そういうことはみな守ってきました」と答えています(マルコ福音書では「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」)。この青年は、倫理的な生活面において、まじめに生きてきたのでしょう。「まだ何か欠けているでしょうか」と続けて問いました。

青年の質問

「まだ何か欠けているか」と問う青年は、「永遠の命」は、律法を守る生活を積み上げて来た人間の努力・宗教的な実績によって獲得できると考えていたことがわかります。だからこれ迄も、その努力を欠かさなかったし、今後も努力するつもりでした。自分の善い行ないと引き換えに、永遠の命が手に入ると考えていたこの青年に、イエス様はこう言われました。「もし完全になりたいのなら、・・貧しい人々に施しなさい。」

「賜物として」受ける

永遠の命は、自分の努力で獲得するものではなく、全くの神様からの賜物として与えられるものです。もし目に見える善行や、業績によるならば、行為の完璧さが求められるでしょう。それは不可能です。

彼は、自分の限界に気付き、これまでの生き方の原則を捨てて、「永遠の命」は、賜物として、恵みとして受けるものであることを知り、謙虚な姿勢へと変わったならば、イエス様のもとから去ることはなかったでしょう。しかし彼は、イエス様の言われたことを、付け加えるべき善行の条件として聞き、その結果、財産放棄は出来ないと、悲しみながらも去って行きました。イエス様は、このあと「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだやさしい」と言われました。

「永遠の命を得る」=「神の国に入る」

先週、説教されたウェイド宣教師は、「神の国には主権者がおられます。御国の民とされた者は、命をはじめとして、肉体、体力、能力、健康、財産、家族、賜物など、すべては神様からいただいた神様のものです」と語られました。ところが青年は、自分の財産に執着し続けました。

金持ちが神の国に入ることは・・

お金持ちが富から自由になることは、らくだが針の穴を通るよりむつかしいと、イエス様は、その困難さを弟子達に語りました。弟子達は驚き、それでは救われる人がいないのではないかと答えますと、イエス様は、「人間には出来ないが神は何でも出来る」と答えられました。神様だけが、人の心を変えることが出来るお方です。

先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる

 終末については、私達には多くのことが隠されています。信仰生活が長いことが自慢になるわけではありません。その人が今、どれほど喜んで、神様に感謝して、神様に従う生活を送っているかが大切です。

イエス様は、従う者への終末の祝福の約束と、警告を語られています。神の国について、私達はさらに学んでいきたいと願っています。